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【短編小説】全ては流れ、転がり続ける

雨が窓をたたく音が、高岡誠一郎の思考を遮った。

かつて「K商事の鬼」と呼ばれた男は今、三十階建てビルの二十七階、窓際の特別顧問席に座っていた。豪華な一等地。それは最後の名誉ある置き場所だった。

窓の向こうには、灰色の雨雲の下で呼吸する東京の街並みが広がっていた。バブルの熱狂から冷めた街は、静かに濡れていた。

「高岡顧問、経営会議の資料です」

篠田は丁寧に書類を差し出した。若手社員の眼差しには、敬意と同時に、「過去の人」を見るような憐れみが混じっていた。

バブルの絶頂期、高岡は会社に数十億の利益をもたらした。アジア市場を予測し、コントロールする能力に、誰もが舌を巻いた。家族も親も、全てを捨てて経済の高波に乗った。

だが、その世界が崩れた今、彼は「特別顧問」という名の棚に上げられていた。何も決められない名誉職。

書類を確認しながら、高岡は昔の自分に苦笑した。あらゆることが予測でき、コントロールできると信じていた自分に。


「歴史は予言されるものではありません。どんな予測モデルも、人間の創造性の前では仮説にすぎないのです」

大学の講堂で、若い准教授が熱を帯びた声で語っていた。城ノ内修平。高岡は旧知の取引先の紹介で、この公開講座に参加していた。

「つまり、歴史の終わりなどありえない。なぜなら、人類は常に歴史を創り続けるからです」

高岡は腕を組み、眉をひそめた。なんという理想主義。現実の世界では、予測とコントロールが全てだ。それを失えば、自分のようになる。

「質問のある方はいらっしゃいますか?」

高岡は、自分でも驚くほど迅速に立ち上がっていた。

「現実の世界では、予測と制御こそが命です。あなたのような理想主義は、現場では通用しない。『創造性』では売上も雇用も守れないんですよ」

場内が一瞬、静まり返った。城ノ内は驚いたように高岡を見たが、すぐに穏やかな微笑みに戻った。

「おっしゃる通り、現場の厳しさを軽んじるつもりはありません。でも——」と彼は言葉を選ぶように言った。
「苦しみの多くは、私たちが『予測できるべきだ』『制御できるはずだ』と思い込むことから生まれるのではないでしょうか」

高岡の胸に、鋭い何かが突き刺さった。

城ノ内は続けた。「興味深いことに、約2000年前のローマ皇帝も同じことを言っていました。自分でコントロールできることと、できないことを区別し、後者への執着を手放すことが、内なる平静への道だと」

その言葉を持ち帰り、高岡は何日も考え続けた。


十一月の冷たい雨。高岡は大学のカフェテリアで、再び城ノ内と向き合っていた。二度目の講演会の後、高岡から声をかけていた。

「あの言葉のおかげで、少し楽になりました」高岡は静かに言った。「コントロールできないことを受け入れる。単純なようで、難しい」

城ノ内はコーヒーを啜りながら微笑んだ。「それがストア哲学の核心です。外部の混乱に惑わされず、内なる砦を守ること」

「ストア哲学?」

「はい。現代の心理療法の多くは、実はこの古代の知恵に基づいています」

高岡は窓の外を見た。変わりゆく景色と、変わらない自分の内面。

「私は、変化を恐れていたのかもしれません。『歴史の終わり』なんて言葉に、すがりたかったのかも」

「変化は恐ろしいですが、同時に解放的でもあります」城ノ内は言った。「終わりは、常に新しい始まりでもある」


翌週、高岡は社長室に呼ばれた。

「高岡君、台湾事務所の責任者として行ってほしい。君の経験が必要なんだ」

かつての部下が今や社長になっていた。彼は高岡を「生かさず殺さず」海外に追いやろうとしているのだ。過去の功績への配慮から名目上の栄転。実質的な左遷。

「ありがとう。だが、辞退させてほしい」

社長の表情に、一瞬の緊張と、その後の安堵が浮かんだ。

「そうか。残念だが、無理強いはしない。では…」

「退職願を提出します」

社長は頷いた。形式的な慰留の言葉と、速やかな手続きの約束が続いた。会議の議題は滞りなく次へと移った。

窓際の特別顧問など、会社にとって余計な荷物だったのだ。高岡は静かに微笑んだ。


高岡は退職金を元手に、小さな貿易コンサルティング会社を設立した。かつてのネットワークを活かした、謙虚な規模のビジネス。そして空いた時間で、若手ビジネスマンへのメンター活動も始めた。

「コントロールできることとできないことを区別する。これが真の戦略の基本です」と、彼は若者たちに語る。

ある雨の午後、高岡は自分のオフィスの窓から外を眺めていた。かつて恐れていた「終わり」が、実は彼の人生の新しい「始まり」だったと実感していた。

窓にぶつかる雨粒は、一瞬の命を輝かせて流れていく。万物は流転する。その無常のなかにこそ、確かなものがある。

高岡の胸には、静かな充足が満ちていた。



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