カールマルクスが渋谷に転生した件 8 マルクス、決断する
マルクス、内心ビビる
「デジタルプラットフォーム規制法案、可決の見通し」
マルクスは新聞の見出しを眺めながら、いつものように渋谷のスターバックスでコーヒーを飲んでいた。
「謎の人物、カール・マルクスを名乗る主催者が率いるプラットフォームが波紋を呼んでいます。19世紀の思想家と同じ名前を使用する人物の正体について...」
テレビでは、Das Kapital TVの特集が流れている。コメンテーターたちが、「現代のマルクス主義」の是非について熱く議論している。
「こんな席でよろしいでしょうか?」
突然、スーツ姿の中年男性が声をかけてきた。背筋をピンと伸ばした立ち姿に、官僚特有の雰囲気が漂う。
「総務省サイバーセキュリティ課の者です」
男性は小声で、しかし明確に告げた。
「ほう」マルクスは髭をなでながら、皮肉めいた微笑みを浮かべる。「国家権力の代理人が、こんな一介の...なんと仰いましたか?"謎の人物"に話しかけるとは。ヘーゲルも驚くような弁証法的展開ですな」
男性は周囲を確認してから、さらに声を潜めた。
「実は、私も『団結せよ!2.0』のユーザーでして」
「まさか」マルクスの目が細くなる。「官僚制の執行者にして、その批判者とは。矛盾の体現者というわけですか」
「我々も...システムの内部で苦しんでいるんです」
「ふむ」マルクスは面白そうに髭をなでる。「官僚制における疎外ということですか。マックス・ウェーバーも喜びそうな事例ですな」
「実は...」男性は辺りを見回してから、さらに身を乗り出した。「私たち、若手官僚の間で、密かに『団結せよ!』を使って情報共有を...」
「待ちたまえ」マルクスが制する。「ここは、そういった話をする場所ではありますまい。せっかくのコーヒーが冷めてしまう」
「あ、はい。そうですね...」
「しかし」マルクスはにやりと笑う。「より落ち着いた場所があるのですが」
マルクス、コソコソする
【極秘会議】
場所:さくらの祖母の離れ
「田中と申します」
先ほどの男性が改めて自己紹介する。
「そして、こちらが...」
「財務省の鈴木です」
新たに加わった若手官僚が頭を下げる。
「ヘーゲル的に言えば」マルクスが口を開く。「これは体制の否定の否定といったところでしょうか」
「その...」田中が戸惑いながら。「私たちからご提案があります」
「官僚の中にも、かなりの数の同志がいるんです」田中が説明を始める。「特に若手は、このシステムの矛盾に気付いています。でも、表立って行動できない」
「そこで」鈴木が前に出る。「規制法案は通ります。でも、その内容は...」
画面に、法案の条文が映し出される。
「ここを見てください」田中が画面を指す。「"インターネットを介して提供されるサービス"という定義の中で、P2Pは明確に除外されています。さらに..."情報の保管"という表現も、分散型データベースを想定していない」
「つまり」鈴木が補足する。「新法は、既存のプラットフォームだけを想定した規制になっている。我々の世代の上司たちは、新しい技術をまだ理解していないんです」
「面白い」マルクスの目が輝く。「官僚制の硬直性が、逆に我々に有利に働くというわけですか」
「そうなんです!」木下が興奮気味に言う。「これなら、新システムは...」
「待て」マルクスが突然立ち上がる。「しかし、これだけでは不十分だ」
「どういうことですか?」さくらが首を傾げる。
マルクス、決断する
「システムの内部からの変革も重要だ。だが、より直接的な...」
「まさか」さくらが目を見開く。「選挙に...?」
「そうだ」
マルクスはゆっくりと部屋の中央に歩み出る。月明かりが障子越しに差し込み、その姿を幻想的に照らしていた。
「諸君」
かつてのロンドンを思わせる、深い声が響く。
「19世紀、私は『哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。肝心なのは、それを変えることである』と書いた」
マルクスは一同を見渡す。若手官僚たち、木下、さくら、ケンジ。そこには不安と期待が入り混じった表情が浮かんでいる。
「デジタルの世界での戦いは、確かに重要だ。しかし、我々は今、歴史的な分岐点に立っている」
「分岐点?」
「ああ。かつて私は、プロレタリアートによる革命を説いた。しかし、現代において真に必要なのは...」
マルクスは窓際に歩み寄り、渋谷の夜景を見つめる。
「システムの内と外、デジタルとリアル、思想と実践。これらの分断を超えた、新しい形の連帯だ」
「つまり...」木下が声を震わせる。
「我々の運動は、もはやオンラインの抵抗だけでは不十分なのだ」
マルクスの声が力強さを増していく。
「法案の抜け穴?素晴らしい。デジタルの戦略?必要不可欠だ。しかし、真の変革には、既存の政治システムの中に、我々の声を直接届ける必要がある」
「でも」さくらが心配そうに言う。「選挙となると、組織も資金も...」
「見たまえ」
マルクスはスマートフォンを取り出す。画面には、全国から寄せられる支持のメッセージが流れている。
「我々には、これだけの同志がいる。官僚の中にも、企業の中にも、そして 街の人々の中にも」
「街で話題の髭おじさんが立候補とか」ケンジが目を輝かせる。「バズりますよ、絶対」
「いや、私が立候補するわけではない」
マルクスは静かに微笑む。
「我々の運動から、真の代表者を選ぼう。私は...」
髭が誇らしげに震える。
「単なる理論家として、その後ろで支える」
「マルクスさん...」
「さあ、諸君」
マルクスは拳を握る。
「デジタルとリアル、二つの世界で同時に戦う時が来た。我々は、もう誰にも、声を封じられない!」
部屋は静まり返った。しかし、その静けさの中に、確かな決意が満ちていた。
続く
