201303300606 台湾家族旅行三日目(14)
三月下旬の台湾旅行三日目$${^{*1}}$$。淡水$${^{*2}}$$。滬尾砲台$${^{*3}}$$。
外国で日本軍が作った砲台が見られるとは。嬉しくなってしまって何枚も写真を撮る。
元々のアームストロング砲$${^{*4}}$$の台座の横に日本軍が高射砲の台座を設置した形になっている。太平洋戦争当時、沿岸防衛用の要塞砲と対空用の高射砲$${^{*5}}$$が並んで設置されていたのかどうかは不明。少なくとも高射砲は設置されていたことは間違いない。
右下の写真は名古屋市の笠寺公園に残る高射砲台座跡$${^{*6}}$$。この写真の撮影は十八年も前(※執筆当時の2013年から)だが、今でも公園の中にある。戦時中、名古屋の防空のために笠寺古墳の上に高射砲陣地が設置された$${^{*7}}$$。
笠寺陣地は、高射第二師団「逐」高射砲第一二四連隊 第二大隊 第八中隊「あそ(阿蘇)」と呼ばれていた。高射砲陣地の略称は山や川などの名前が平仮名で当てられた。名古屋地区では伊勢湾からの侵入経路が考えられていたので、名古屋市笠寺の他、名古屋港、東海市などにも陣地が構築されていた。
十数年前、東海市へ砲台を調べに行った時、地元の古老に話しを伺ったら「あぁ、ここら辺の陣地は『てんりゅう(天竜)』『ながら(長良)』ね。勤労奉仕に行ったわ」と東海市に設置されていた高射砲陣地の略称がポンポン出てきた覚えがある。この時、ながら陣地は既に消失していて、てんりゅう陣地は雑木林の中に辛うじて残っている状態だった。今はどうなっているか確認をしに行ってないので不明である。
日本では、こういう負の遺産が土地の開発でどんどん消失している。非常に残念なことだ。記録だけでは民衆は戦争の苦い経験を直ぐ忘れてしまう。過ちは現物でないと語り継げないのではないか。

*1 201204040650 台湾家族旅行物語発端
*2 台湾 新北市 淡水区
*3 滬尾炮台
*4 アームストロング後装砲
*5 代々木に眠る戦禍の記憶 2月、工事中に発見 旧日本軍「高射砲」か :写真 : 読売新聞
*6 高射砲隊・笠寺陣地 遺構探訪
*7 見晴台遺跡
