「いろいろある」が、強さになる。
画一化が進む現代
どの町に行っても、同じような風景が広がっている。
どの国に行っても、同じようにクリスマスがあり、ハロウィンがある。
テストの点数が最上とされ、それ以外の価値がなかなか認められない。
なぜ、こんなことが起きているのか。
それは「効率」と「利益」を重視しているから。
では、それは一体、誰にとっての効率なのか。
誰にとっての利益なのか。
一見、自分たち自身の効率であり、利益に見えるかもしれない。
けれど、よくよく見ていくと、その実態は、その枠組みを作った資本家たちが、効率よく利益を収穫するための「一翼」を担わされているに過ぎないのかもしれない。
社会構造そのものがそうなってしまった今、 抗い、変えていくことは、容易ではないのもまた事実。

畑が見せてくれること
いかすの畑では、微生物のエサである緑肥やチップなどの有機物をたくさん土に入れる。すると、微生物が爆発的に増える。
一般的な(99%以上の農業である)慣行栽培では、未分解の有機物を入れることはタブーとされている。あれ?99%以上の人が信じている「社会構造」と同じことなのか・・・ww
畑のなかの微生物たちは、以前のnote(土と腸はおなじなんだ。)で書いたように、「いかし合い」の世界を紡いでいく。 自分の得意なことをやることが、そのまま誰かの役にたっていく、ということ。
ここでもう一つ、重要なキーは「多様性」
多様な微生物がいることで、土として「やれること」が増える。何かが起きたとき、誰かがなんとかできる。
そんな、レジリエンス(しなやかな強さ)を持った土になっていく。
これ、人がつくる組織でも、まったく同じことが当てはまりそうですよね。
いかすが紡いでいくこと
大規模発電所やグローバルな食料流通のような「中央集権的なシステム」は、確かに効率的です。一方で、災害や情勢の変化に対して、もろいことも見えてきました。
食とエネルギーを、コミュニティ内でコントロールできている状態は、外部環境がどう変化しても、揺らぎづらくなる。この「小さくとも強い」モデルが各地に点在することは、結果として世界全体のセーフティネットを底上げすることに繋がるかもしれない。
どっちがいい、というわけじゃない。
いろいろあってもいいのではないか、ということ。
まずは、平塚でそんな場所ができることを、じっと観ています。

