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『大本神諭』現代語翻訳

22850文字➜⭕️注釈部分2025年12月8日足し➜29550文字➜12月14日、第二巻noteリンク足し。

X(旧Twitter)でデマ陰謀家たちの大本デマ陰謀論が酷すぎるので、大本を確認していた。でも、大本の教義はキリスト教で世界連邦でヤバいのは確かだ。でもデタラメ叩きはダメだ。大本叩きしている陰謀家たちは何も確認が出来ない輩だとはよく知っている。

出口王仁三郎はフリーメーソンなんしゃないの?


このブログには『大本神諭』全文が掲載されている。

原文の『大本神諭・天之巻』は、国立国会図書館デジタルコレクションにある。

『大本神諭』を22580文字、現代語に翻訳したが、まだまだ延々と続くのだと思う。


ーーー本編ーーー


『大本神諭』について

スクショを残して原文を確認できるようにしておく。後で確認することで、より原文の意図に近づけることができる。AIを使ったから、「ですます」丁寧文すぎている。

出口王仁三郎、若い頃

現代語訳:

出口直開祖の言葉です。「神様の筆によるお諭し(神がかりによる言葉)は、上田喜三郎さん(後の出口王仁三郎聖師)のことだと思ったら、それは違いますよ。中村さん(金光教会から来た役員の方)、ちょっと胸に手を当てて、先日からの皆さんの行いをよく考えてみてください。勘違いをしないように……」(出口王仁三郎全集、第8巻より)。

西暦1892年(明治25年)の旧正月、新暦では節分の2月3日の夜のことです。京都の丹波地方の田舎町、綾部で、極貧生活を送っていた57歳の出口直という未亡人に、艮の金神と名乗る祟り神が憑依しました。

出口家は、すでに亡くなった放蕩者の大工だった夫によって完全に没落していましたが、娘や息子たちは嫁に行ったり、手に職をつけたりして、少しずつ明るい兆しが見え始めていました。しかし、艮の金神が憑依したことで、出口直開祖の生活は一変し、神の預言者としての第二の人生が始まったのです。

現代語訳:

○ 問題とされている霊界物語は、すべて神様のお告げ(神諭)を解釈したものである。
○ 筆先(自動書記)は、神々が教祖に乗り移って、書き記された神様の言葉である。
○ 霊界の守護神や精霊について教えられた神諭(筆先)である。
○ 神諭は、ほんのわずかな違いもないと、月座の教祖はおっしゃられた。
○ また、一つは現世の人々に警告を与えるための厳しい神の筆である。
○ 人々を昔ながらの神様の正しい道に立ち返らせるのが、神諭の主な目的である。
善い心で読めば善いものとなり、悪い心で読めば怪しく見える筆先である。(⭕️詐欺師)
○ 勝手な解釈を絶対に許さない筆先であるが、曲解する者もいる。
○ 霊界の邪神に対する警告の神諭を、不届きで不敬であるとする曲がった考え方。
○ 月の座で起こったすべての出来事は、世界の雛形(未来の出来事の予兆)になるとの神様のお示し。
○ 神様のお示しは、すべて現実となり、世の人々が驚く時が来るだろう。
○ 神様のお示しに、ほんのわずかな違いもないと、神様が実在することを証明された。
○ 神の筆(神諭)は、繰り返し現実となり、人々の改心を促している。
○ 鎮魂や帰神の霊法は、御教祖の神諭を学べば理解できるだろう。

○ 日の神様の光は、地上だけでなく、幽世(あの世)や神界も照らされる。
大地を修理し、固め成した神霊を、国常立大神という。➡︎(ワシ:⭕️ノアの方舟・ヤハウェのこと言っているんだろな)
○ うしとらの金神とは、我が国の霊界を守護する神様の御名である。
稚日女君の命は、地上に降り立ち、神様の計画(経綸)を助けられた。
○ 稚日女君は、地上での計画を終えられ、天に昇られた。➡(ワシ:⭕️イエスのことだろな?)


現代語訳:

出口王仁三郎著「水も漏らさぬ経綸」より

大きな望みと、お告げにもあるように、艮(東北)の方角を守る金神様が、三千年以上の時をかけて準備してきた計画の幕が切って落とされる時期が近づきつつあるのであるが。この神様の偉大な事業は、人間の想像をはるかに超えた、驚くべきものだと考えられる。

この計画を知っている者は世界にたった一人しかいない。それを知らせると、出口直(王仁三郎の妻)でさえ、あまりの驚きと嬉しさについ口外してしまうだろうから、知らせていない」と神様はもうされている・・・。

◉王仁三郎の妻じゃないよなw そう書いてあったけどww

私はかつて、わずか50銭というお金で金龍殿の建築に着手したのであるが、周山の山奥でふと思いついたアイデアがきっかけとなり、ミロク殿、黄金閣と、次々と建築を成し遂げる原動力となった。

私が山のふもとに立って休憩していると、樵(きこり)たちが杉の丸太を切り出し、筏(いかだ)にするために下流へと流していました。しかし、流すと言っても、ちょろちょろとした細い渓流で、太い箸を流すのがやっとくらいの水量しかありません。どうして太い丸太を流せるのか不思議に思って見ていると、樵たちはその渓流に堰(せき)を造りました。だんだんと水が溜まり、杉丸太を浮かべるのに十分な量になると、材木を転がし込みます。そして、一気に堰を切って水を流すと、勢いよく水がほとばしり、丸太は勢いよく流れ出します。こうして一本、二本と流し、かなりの数になったところで、また第二の堰を切って水を流します。このように何度も繰り返して、ついに本流へと流し出し、そこで筏に組んで、ゆったりとした大河へと運び出すのです。箸を流すにも足りないようなちょろちょろとした流れも、溜めておいて、切って落とす時には、大きな材木を楽々と流し出す力となるのです。

これだ、私はこのことから教えられ、かなり大きな建造物も、その他の多くの仕事も、いとも簡単にやってくるようになりました。しかし、そうした仕事は、艮の金神、国常立尊様の計画に比べると、実に取るに足らないことなのです。

「一度あって二度とない仕組み」と、何度も神様のお告げに出てきますが、例えば三千年かけて溜めた大きな湖のようなもので、いよいよ堰を切って水を落とすということになると、その勢いは想像を絶するものになるでしょう。しかも、一度切って落としたら最後、再び溜めるにはまた三千年かからなければならないのです。だから「一度あって二度とない仕組み」と言われるので、この水の溜まりは、一滴たりとも漏らされない仕組み、すなわち『水も漏らさぬ仕組み』なのです。

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