ペディキュアと性善説
私は性善説を支持しない。
少し前まで、天使のような顔でベビーベッドに横たわって天井を眺めるだけだった娘も、今ではしっかりとした自我が芽生え、いっちょ前に私の言うことに反論してくるようになった。
当時の面影を残しながらも、謎の理論を振りかざし、顔を真っ赤にして怒り狂うその様は、腹が立つが滑稽で、なんとも不器用で愛らしい。
娘はこの6月で4歳と半年になった。女の子は言葉が早いとは聞いていたが、その語彙の習得力はすさまじく、日に日に世界の仕組みを理解していっているように見える。
もはや、妻との“暗号会話”は簡単に解読され“トゲトゲ言葉”を使おうものなら立ちどころ訂正され、謝罪を余儀なくされるので、私はもう、ただただ戦慄している。
性善説の立場では、人間は生まれつき善へ向かう心の芽が備わっており、その芽を正しく育んでいくことが重要だと語られている。
我が子はどうであろうか。
不格好なじょうろではあるが、精一杯の愛情を込めて水やりをしてきたつもりではあるが、善い芽はなかなか育たず、とんでもないスピードで邪悪な脇芽がぐんぐんと伸びてくる。
親である私たちは、その脇芽を切るわけにもいかず、あらゆる手段を講じているのだが、今のところ効果は限定的と言わざるを得ない
誰に似たのか、愛する娘は本当に小賢しい。もちろん、いい意味で。
自分の娘をつかまえて言う表現ではないかもしれないが、これ以上しっくりくる言葉が見つからない。
本当に『あー言えば、こー言う』のだ。
先日、こんなことがあった。
娘はいつものように、リビングの中央を陣取り、服を着たうさぎやら猫やらのドールハウスで遊んでいる。
私は、キッチンで昼食の準備をし、妻はソファーで幼稚園の連絡網の返信を考えている。
スパゲッティの茹で時間を逆算して、そろそろ食事の準備をするように、妻と娘に声をかけた。
妻は、スマホを置き、カトラリーや皿を準備するが、娘はいっこうにやめる気配がない。娘の常套手段“聞こえないフリ”である。
私はもう少し語気を強めて言う。
「もうご飯できるから、手を洗ってきてほしいな」
言葉が切れるのと同じタイミングで、軽いプラスチックが折れるような音がリビングに響いた。
音の発生源は娘の足元からだった。
見てみると、赤いワンピースを着たウサギさんの勉強机が粉々に砕け散っていたのだった。
娘は、固まっている。
ママが一言。
「あー!もう、そんなところにあったら踏んじゃうよって言ったのに!」
すると、雄たけびのような泣き声が換気扇の音をかき分けて耳に入ってくる。
「だって、パパがごはんって言うから!!!!」
ひどい理屈だ。
娘の心境を察するにこんなところだろう
自分は遊びたい
↓
ごはんができたのでおもちゃを片付けないといけない
(返事はしていないが聞こえている)
↓
パパが催促する
↓
足元が狂っておもちゃが壊れる
↓
パパが悪い
娘はお腹が減っているわ、おもちゃが壊れたわで泣きわめき、小さな怪獣と化している。
私は、こんな時こそ、丁寧に水やりを行おうと心に決めている。
少し茹で時間が短いが、一度スパゲッティをザルにあげ、鍋をシンクに置いてから娘の元へ向かう。
表情はにこやかに、威圧しないようしゃがみ、娘の感情を整理するように優しく話しかける。まさに教科書どおりの対応だ。
「ケガはない?壊れて悲しかったね」
「だってパパが言ったから!」
のっけの回答からして質問と嚙み合っていない。
「ごはんだから片付けようって言ったね。でも、壊れたのはパパのせいにはしないよ」
「言ってないもん!!」
こんなやりとりを最初はしている。
だが、娘は退かない、媚びない、省みない。
娘の世界線では、コーチングもアンガーマネジメントも通用しない。永遠に続く押し問答に気がつけばこちらも声が大きくなっていく。
そして、最終的には、妻が仲裁に入る形になる。
まるで、私が悪いことをしたように睨みを利かせる娘の目は、完全にドラマにでてくるような悪人のそれである。
こうなると、しばらく私は蚊帳の外だ。
私は、ザルにあげられて塊と化したスパゲッティにミートソースを和えながら複雑に絡み合った麺をほぐしていく。
しばらくすると、娘と妻は洗面所に行き、水道が流れる音が聞こえた。
結局、ダイニングテーブルも娘の食事の準備も私がしている。
さっきの時間は一体何だったのだろうか。
せっかくアルデンテだったスパゲッティは、なんとも歯ごたえのない食感に仕上がり、何事もなかったかのようにケロッとしている娘の口元に運ばれていく。
だが、裏を返せば、我々の子育ては今のところ順調だとも言える。こちらの都合はともかく、こと自分の意思を伝える技術については、わが娘ながら相当な手練れだ。
そんな姿を見ると、とてもたくましく思う反面、ちょっぴりだけ寂しく思う。
たくましく思う気持ち:ちょっぴりだけ寂しい気持ち=8:2
くらいだろうか。
今の娘は、自然な人間の初期状態に近い。
脇芽の成長が異常に早いとはいえ、その成長には目を見張るものがある。
きっと今は欲望のままにふるまい、思いのままに感情を爆発させる。
それで正解なのだ。いや、正解なのだと思いたい。
きっと、これからもっともっと、言葉が増え、自信がつき、堂々と胸を張って生きていくのだろう。
そしてイヤイヤ期もパパイヤ期も、形を変えながらずっと続いていくのだろうか。
父親が娘にしてあげられることなど、たかだか知れている。
娘の人生を代わりに歩くことはできないし、娘がこれから出会う悲しみや理不尽を、すべて先回りして取り除くこともできない。
ただ、役目がないかと言われれば、たぶんそんなこともない。
少なくとも、私自身が納得して、娘と向き合えたと思えるようでなければ、一人の人間として接する上で失礼であろう。
それを言葉で教えることはできないかもしれない。ただ、態度で、姿勢で見せることはできる。
これから、娘の世界は私たちの想像を超えてどんどん拡張していく。
それを止めることはできないし、止めないであげられる親でいたいと思う。
ドールハウスのウサギの机がそうだったように、いつか彼女も自分だけの勉強机を持ち、壊したくないもの、片付けたくないもの、親どころか、誰にも触られたくないものが詰め込まれていくのだと思う。
そして、いつか自分が大きくなった時に、その机の小ささに、積みあがったものの価値に気づく日がくるのかもしれない。
私の勉強机は未だに実家に残っており、父の書斎に変わっている。
その書斎を見ると、自分も少しだけ大人になったのかなと実感が湧く気がする。
子にとっては、生まれた時から親は親だが、しょせん私も一人の人間だ。
人に講釈を垂れるほど立派なものではない。
だが、娘と一緒にこれからもいろいろなことを考え、悩んでいく親子でありたいとしみじみ思うのであった。
7月は妻の誕生日がある。
娘から、ママの誕生日プレゼントはなにがいいかと聞かれた。
私が手紙を書こうかと提案すると、なぜか怒られてしまった。
「ママはサンダルを履くからネイルを買わないといけないでしょ!」
本当にませている。
ただ、ちゃんと善の芽も育っているのかもしれないなと少し嬉しくなった。
財布は少し痛むが、妻の不在を狙って、娘と化粧品売り場に行くとしようか。
後日譚も書きました↓↓↓
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