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コミュ障な私が それでも「お付き合い」する理由

 どうも。みなさん こんにちは。
 “ダイヤの原石” 前田じあん です。

 生きていると色んな方と関わる機会がありますよね。ご近所・学校・職場・趣味や推し活等々。関わる必要があるからお付き合いする訳で。そこに意味がなかったら知り合っても疎遠になってゆく。

 コミュ障な私が必要のある関係だけを残そうとすると、恐らく殆ど誰とも交流せずに生きて行くことになる。別にそれも選択肢の一つ。だけど私には大切な娘がいる。この子の為に頑張らねばならない時がある。

 という訳で本日は水曜日。

【まえだ家 ○○事情】の日!
前回の記事はコチラ↓↓

 陽キャだと思われがちな“コミュ障陰キャの私” が
 “コミュ力お化けの旦那”と挑む
 娘を取り巻く交友関係についての話。

 ただ今日はだいぶ心が落ちている。沈没した船のような文章しか書けないかもしれない。沈んだ船は二度と浮上しない。朽ち果てるだけ。溜息を吐き捨てる代わりに言葉を吐いてみようと思います。




【コミュ障の悩み】

 私の代名詞と言えば恐らくこんな所だ。

自由奔放・少年・陽キャ・Going my way・悩みなさそう(←失礼すぎだろ)

 今までによく言われてきた 周囲から見た私の印象だ。どんだけ自分を覆い隠して生きてきたのだろう? 本当の私は臆病で自身もなく常に生きる事に悩んでいる人間なのに。中身と外側に余りにも差があり過ぎて、美容師の友人に
「陰キャっぽくして欲しい。」
とお願いしたほどだ。
 そんな私は交流のキッカケが何なのかわからず、未だに自分の殻に閉じ籠っている。


◆交流のキッカケがわからない

 周りのお母さん方は仲良しグループを結成し、行事のたびに楽しそうにペチャクチャお喋りしているのだ。羨ましいかと言ったら、まぁ多少は羨ましい。私だってできるものなら楽しみたい。ここで問題発生。

「みんなどんな風に仲良くなっていくの?」

 保育参観や運動会なんかでお隣同士になって軽く会話を交わす。娘が仲良くしているお友達のお母さんに会ったら「いつもお世話になってます。」程度なら言える。でも、そこからは? どう広げていったらいい? そんなことがわからない。
 次第に場の気まずい空気に耐えきれなくなり逃げ出したくなる。
 あまり目が合わないようにして娘の姿を追うことに集中する。
 それ以降声を掛けられなくなる。

 別にそれで良いと割り切っているわけじゃない。でもできない。それが“コミュ障陰キャの私”の本当の姿。
 そんな私も変わらなくちゃならない時は来る。そのキッカケは 娘に仲の良いお友達ができたこと。


◆連絡先交換のイメトレは必須

 お友達と遊ぶにも、まずは親同士が連絡先を交換しなければならない。子供同士の仲の良さより 親同士の相性が優先されてしまう。世知辛い世の中だ。

 顔を合わせてお話しできる場合は直接。そうでなければお手紙を書いて そこにLINEのIDを書いて娘伝いで渡してもらう。その度にイメトレは欠かせない。脳内で常に色んな場面を想定して。眠れなくなったりして。
 上手くいくこともあった。でも返事が返ってこない時もあった。1・2回遊んでもらったあと 急に態度が変わったり避けられたり。
「あぁ、また今回もダメだったか。。。」
 肩を落とすだけならまだしも、娘への申し訳なさでいっぱいになる。

 娘は私が病気であることも 人とうまく付き合っていけないことも知っている。娘の為に努力していることを理解してくれているかはわからないけれど、私を責めることはない。私が一人で自分を責めているだけ。
 書いてるだけで虚しくなってくる。体が重くなる。心が鉛のようだ。


◆向こうから声を掛けられると裏の理由を探ってしまう

 幼稚園から小学校へ上がる際に 同じ小学校へ進学したのは娘の他に3人。幼稚園の時には挨拶すらほとんど交わしたことがないのに
「小学校一緒ですね~宜しくお願いします!」
なんて明るめに話しかけられて“コミュ障陰キャ”がとる反応は

────え。何で私なんかに話しかけてきたの。。。

 何か魂胆があるのだろうかと勘ぐってしまい 結局自分の殻に籠って良好な関係を築けない。こんなんじゃ娘にいくらお友達が出来ようがそこから発展していくことはなくなってしまう。過度なプレッシャーを自分自身に与える日々は今後一生終わらない。やっぱり隠せない溜息。そんな時は音に乗せて。あの歌のように。空へ放つ。


◆“コミュ障陰キャ” と “コミュ力お化け”

 “コミュ障陰キャの私”だけど 選んだ相手は何故だか“コミュ力お化けの旦那”。旦那は誰にどう思われているかとか、ママ友間の予定調和なんてものは一切気にしない。明るいし 会話も弾ませられるし 私よりも色んな方と会話をし挨拶も交わす。
「今の人誰?」
なんてことはしょっちゅうだけど、それで相手がどう思うかも気にしない。私の方が恥ずかしく申し訳ない気持ちになる。けれどそれすら気にしない。

 幼稚園での経験上、旦那がしゃしゃり出てきた場合の相手のママさんの反応はやっぱ引き気味。遊ぶ約束をして「その日 旦那も居るんですけど…」なんて言った日には 後日丁重にお断りの連絡が入る。
 なのでどれだけ“コミュ障”で“陰キャ”でも 自分で試行錯誤して頑張るしかないのだ。
「やす出来るよ。今度遊ぼうぜって言っとくよ。」
 グイグイ入り込もうとしてくる旦那をステイさせつつ、慣れないお付き合いに奮闘する日々。

 それもこれも全部 大切な娘の為。

キラキラしたものが大好きで
クレーンゲームが得意な
大切な娘


【苦手なことに挑戦できてるのは娘のお陰】

 私のせいで娘が寂しい思いをするのは何としてでも避けたい。その為の努力は私の心の闇を増幅させたりもする。

ちょっと闇モード突入中

 週の真ん中はおちゃらけてる位が丁度いいなんて思って家族ネタを書いてみようと思ってみたけど。結局ここでも出てくるのは自分の中の弱い部分。真っ黒な部分。でもそれも私の大事な一部。自我状態と言う名の最強の仲間。それに気づけたのも 苦手に挑戦できてるのも 全部娘が居るから。

幼稚園で初めてできたお友達
引っ越した後も家族ぐるみで仲良くして頂いてる。
そんな奇跡だって起きたりする。

 余裕のない毎日の中でも「ちょっと一息」な感覚で感謝を態度に表して伝えていきたいなと思った。

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