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不思議な人

今週の私は、まるでクラゲだ。

自分ではそれなりに頑張ってこの社会で泳いでいるつもりなのだけど、実際には海流に流されるままにふわふわと漂っているにすぎない。

仕事も淡々と普通にこなしてはいるけれど、どこか気持ちが入らずに空回りしているような日常。

この時期になると、毎年のように私はこんな状態になる。

なぜか3月には悲しいことが集まる気がしてならない。
大切な人がこの世を去ったのもこの時期だった。
それに、あの震災の記憶もある。
おそらくそういう幾つもの灰色の断片が脳内に溢れ返ってくることで、その重みを拒絶するかのように自動的に考えることを休止して、人の心は空洞になるのだろう。
いわば、これも自衛本能なのかもしれない。

今年からnoteを書き始めてはみたものの、今週は書きたいことが何も頭に浮かばなかった。
何かを書き続けるだけの心の余裕すらなくなった気がした。

ブログやSNSの更新を突然に止める人は、どうして急に止めたりしてしまうのだろう…と、かつては不思議に思っていたのだけど、自分がこのnoteを書き始めてみて分かった。

多くの人は、こうした些細な心境の変化から続ける意欲を保つことができなって、自ら筆を置いてしまうんじゃないだろうか。


そんなときに、人気クリエイターさんの記事に私のことが取り上げられていた。

甚九郎さんの記事を読むと、この人は悟っているのでは?と思うような不思議な人である。

「かんのんとはなにか③」あやのんさんの記事より

驚いた。

もちろん、私は悟りとは対極にいるような人間だと自分では思っている。
なぜなら、ここであらためて宣言するまでもないだろうが、私の頭の中は煩悩だらけだからである。

そんな私がこのnoteを書くようになって、いつしかあやのんさんの記事をいつも欠かさずに読むようになっていた。
あやのんさんこそ、とにかく不思議な方である。
文学や哲学や教育学に造詣が深く、心理学にもとくに精通していて、思考が非常に深いにもかかわらず、笑いのセンスも抜群で、そこらのコメディアンよりもずっと面白い。
文章も、画も、ユニークで圧倒的なクオリティー。
あまりに記事の完成度が高すぎるので、( AI だろうか?)と疑ったこともあった。
しかし、AI にしては個性的すぎるし、おそらく誰にも真似できそうもない独自のクリエイティブ性も兼ね備えている。
(もし、これが AI による制作だったら、人間自体がもう完全に要らないという結論になるんだろう。)

この方の経歴も不思議だ。
美術の教師だったり、ダンサーだったり、…と、掴みどころがない。
あやのんさんは、いったい何者なのか…という疑問は、いまだに解けない。

そんなあやのんさんが私の記事を取り上げていたことに、正直ビビった。
しかも、そのあやのんさんが私に向けて書いてくださっていたコメントもまたヤバい。(←もはや圧倒的に貧困なボキャブラリーの私)

甚九郎さん( ´艸`)

そういえば、甚九郎さんは何故、私のnoteにやってきたのか不思議ですね( ´艸`)
私は出会った時から甚九郎さんに興味津々ですが。
甚九郎さんのnoteは、自分の生活のこと、事実しか書いていないということに置いて、凄いですよね( ´艸`)
大概の人は自分の好きな映画とか本とか、遠回りに自分のことを描いているのに、甚九郎さんは自分の生活のこと、という剛速球を投げてくる。
初めは、これ、私、読んでいいのかな?という気持ちで読んでました( ´艸`)
今もそうかもしれませんが、でも、そういう態度とか何もかもが、甚九郎さんなのかもしれません( ´艸`)
私は、今自分がフォローして読んでいるnoteで、このnoteがすごい( ゚Д゚)と思っております!
私も、この本をざざ~っと読むことはカンタンだったけれども、こうして記事にしてみることで、何にひっかかったのかを探ろうとしています( ´艸`)
自分でも読んだけど何にポストイットを貼ったのか、何が自分をそう捉えているの蚊がわかっていないのです。
甚九郎さんは稀有な人ですよ( ´艸`)
なんだかよくわからないけど、そう思います

あやのんさんの記事のコメント欄より(原文まま)


なんでなのかは自分でもさっぱり分からないけれど、これを読んで少し目頭が熱くなってしまった私がいた。

子供の頃から「変人」と言われたことは度々あったけれど、「稀有な人」と言われたことは初めてだ。

どうして、この人はこのタイミングでこんなコメントを私に投げてきたんだろう。

まるで、今の私の心をすべてお見通しのような言葉。

このnoteで書いていく自信を失くして迷い始めていた私を、まるでどこかから見ていたような言葉。

無宗教の私がこんなことを書くのもなんだが、それは例えば観音さまがさりげなくそっと私の背を押して一歩前へと促すような感じでもあるような気がした。


そういえば、どうして私はあやのんさんのnoteを読むようになったんだろう。

それも分からない。

たぶん、引力だ。

いつのまにか引き寄せられたのだ。

それは、若き日の私がタール砂漠に引き寄せられて、インドを旅していたときのように…。