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満開だけが見頃じゃない|上坂すみれの言葉で気づいた“見方”の話

今日は、ラジオを聞いていて感じたことを書いてみたいと思います。

自分が好きなラジオ番組に、
『上坂すみれの土曜闇鍋劇場』
という番組があります。



その中に、
「夜中の買い出し」というコーナーが
あるんですよね。

これは、
リスナーさんの最近の悩みや困りごとを送ってもらって、

それに対して
パーソナリティの上坂すみれさんがコメントをする、
というコーナーです。

ただし、コンセプトとしては「特に解決はしません」という、
ちょっと独特な味のあるコーナーでもあります。

その中で、その日に紹介されていた相談が、

「桜の見頃を毎年見逃してしまいます。
どうしたらよいでしょうか?」

というものでした。

これに対する上坂すみれさんの返しが、すごく印象的だったんです。


「私は桜をいつでも見頃だと思っていますよ」という言葉

この相談に対して、上坂さんはこんなふうに答えていました。

「私は桜をいつでも見頃だと思っていますよ」

三分咲きだったら、

  • 「おお、三分咲きだ」

となるし、

葉桜だったら、

  • 「おお、葉桜だ」

となる。

つぼみだったら、

  • 「つぼみだ」

となる。

だから、

「見頃を見逃す」という感覚が、
あまりよく分からない

という趣旨のことを話されていたんですね。

これを聞いたとき、自分は「なるほどな」と思いました。
そして同時に、かなり考えさせられました。


「満開こそ見頃」は、ただの思い込みかもしれない

この話を聞いて自分がまず思ったのは、

「桜が満開だからこそ見頃」
というのは、人間が作り出した思い込みの一種なんじゃないか

ということでした。

「桜の見頃を見逃してしまう」という発言は、
裏を返せば

“満開こそが見頃だ”と思っているから
こそ出てくる言葉

なんですよね。

もちろん、満開の桜がきれいなのは間違いありません。
それはそれで本当に美しい。

でも、だからといって

  • つぼみの桜

  • 咲き始めの桜

  • 葉桜になった桜

に価値がないかと言えば、
そんなことはないはずです。

桜はどの状態でも、生命としてちゃんと生きている。
光合成もしているし、人に季節を感じさせてくれるし、
心を動かしてくれる。

そう考えると、どの状態にも意味があるんじゃないかなと思ったんです。


桜の話は、そのまま人生にも置き換えられる気がした

この話って、桜のことだけではなく、
人生や人の見方にも通じるような気がしました。

たとえば、
自分なんて……と卑下してしまう人っていると思うんですよね。

「生きてるだけで価値がある」
みたいな言葉って、
時にきれいごとや慰めに聞こえることもあります。

でも、案外それって、ただの気休めではなくて、
現実としてそうなのかもしれない、とも思いました。


働いていなくても、存在しているだけで何かを回している

たとえば、働いていなくて、
誰かに養ってもらって生きている人がいたとします。

そういう人でも、当然ご飯は食べますよね。
生活もします。

その食べ物は誰かが作っていて、誰かが売っている。
つまり、その人が食べ物を消費することで、

  • 生産者

  • 販売者

  • 流通

  • 店舗

そういった経済の一部は、ちゃんと回っているわけです。

もちろん、誰がお金を払っているか
という話は別にあります。
でも少なくとも、

その人が存在し、生活していることで、
何かしらの経済活動が成立している

とは言えるんですよね。

お米を食べているなら、お米農家さんの仕事にもつながっている。
コンビニで買い物をするなら、そのお店の売上にもつながる。

そう考えると、

「何もしていない」「価値がない」
と簡単には言えないんじゃないか

と思いました。


ゴキブリですら、別の場所では価値を生んでいた

もうひとつ、自分の実体験から思い出した例があります。

それが、ゴキブリです。

人から嫌われる存在の代表みたいな生き物ですよね。
でも、自分は以前、害虫駆除の仕事をしていました。

工場などと契約して、

  • ゴキブリが出た

  • ネズミが出た

  • どう対策したらいいか

という相談を受けて、

  • 薬剤を使う

  • 侵入経路を探す

  • 特殊施工をする

みたいなことをやっていたんです。

そうすると、その会社には当然利益が出るわけです。

もちろん理想を言えば、
「出る前に防げよ」という話でもあるんですけど、
現実にはそういう仕事が成り立っている。

つまり、すごく極端に言えば、

ゴキブリという存在ですら、
ある会社にとっては利益を生む存在だった

とも言えるわけです。

これはかなり極端な例ですが、でもそのくらい、

どんなものにも、どこかでは意味や価値がある

ということなんじゃないかなと思いました。


視点が狭いと、価値を見失ってしまう

今回のラジオの話を通して、自分が一番感じたのはこれです。

「満開=見頃」
という見方は、かなり視点が狭いのかもしれない

ということでした。

何かが

  • 一番華やかな状態

  • 一番成果が出ている状態

  • 一番分かりやすく評価される状態

の時だけを「価値がある」と見てしまうと、
それ以外の状態の良さや意味を
見落としてしまうんですよね。

でも実際には、

  • つぼみにも価値がある

  • 葉桜にも価値がある

  • 働いていない人にも価値がある

  • 嫌われがちな存在にすら、別の場所では意味がある

そう考えると、
やっぱり物事をどう見るかってすごく大事なんだと思います。


まとめ|「見頃」も「価値」も、自分の思い込みで狭くしているのかもしれない

というわけで、上坂すみれさんのラジオの中のひとことから、いろいろ考えさせられました。

「桜の見頃を見逃す」という感覚も、
実は

「満開こそがいちばん価値がある」

という思い込みから来ているのかもしれません。

でも、つぼみにも、葉桜にも、それぞれの価値がある。
同じように、人にも、生き物にも、
それぞれの意味や価値があるのかもしれない。

そういうふうに考えると、
自分自身や他人を見る時の目線も、
少し変わってくる気がします。

何が一番いい状態なのか。
何が見頃なのか。
何が価値あるものなのか。

それって意外と、
自分の頭の中で勝手に決めつけているだけかもしれない。

そんなことを意識しながら、
これからも物事を見ていきたいなと思いました。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


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