「ご当地グルメは食べるべき」は、ほんとに自分の正解?|山梨の“ほうとう”から考えた「価値観のズレ」
旅行に行ったら、その土地の名物やご当地グルメを食べる。
それって、もう「やるべきこと」みたいに思われてますよね。
山梨に行ったらほうとう。
香川に行ったら骨付鳥。
北海道に行ったらジンギスカン。
福岡ならとんこつラーメンと明太子。
…こういう「ご当地名物リスト」、私もずっと信じてきました。
でも最近、
「あれ?これって本当に“自分の幸せ”とつながってるんだっけ?」と、
価値観が少し揺れた出来事がありました。
この記事では、山梨で“本場のほうとう”を食べたあとに気づいたことをきっかけに、「ご当地グルメ」と「価値観」の話をします。
単なるグルメレビューではありません。もっと根っこの話です。
山梨=ほうとう。…とりあえず食べたけど、あれ?ってなった話
先日、山梨に旅行に行きました。
山梨の郷土料理といえば?の問いに、多くの人がまず思い浮かべるのは、
そう、ほうとう。

私も例にもれず、「せっかく山梨来たんだし、ほうとう食べなきゃでしょ」と思って、迷わずほうとうを注文しました。
いわゆる“正しい観光ルート”を歩いている感覚です。
久しぶりのほうとう。食べるのはたぶん10年ぶりくらい。
一口食べてみた感想はこうでした。
「うん、まあ普通かな」
ただ、そのあとゆっくり味わっていくうちに、ふっと気づくんです。
「あ、これそこまで好きじゃないかも」
もっと正直に言うなら、私はそもそもかぼちゃがあまり得意ではないんですよ。ほうとうって、かぼちゃが主役級に入ってくるじゃないですか。甘みととろみのあるあの感じ。あれがごちそうなんだよ、と言われるのも分かる。でも、自分はそこが刺さらない。
冷静に考えると、かぼちゃがそこまで好きじゃない時点で、
ほうとうが“めちゃくちゃ好きな味”になる可能性って最初からそんなに高くなかったはずなんです。
それでも私は「山梨=ほうとう」を疑わず、
当然のように頼んで、当然のように“ご当地グルメを楽しんだ気持ち”になろうとしていました。
その瞬間にふっと浮かんだのが、
「これ、誰のための満足なんだろう?」
という問いでした。
「名物を食べる=正しい旅行」という思い込み
旅行って、ある程度テンプレ化されています。
観光名所で写真を撮る
ソフトクリームを食べる
限定の何かを買う
ご当地グルメを食べる
これらは“正しい楽しみ方”のように扱われています。
でも、その「正しい」は、誰の価値観なんでしょうか。
観光パンフレットやガイドブックや旅系メディアの“推し”が積み重なって「ご当地の定番」になり、それが次の観光客の義務感になる。
その義務感に乗せられると、「自分は本当にそれが好きなのか?」という確認を飛ばしてしまうんです。
山梨に行ったらほうとう。
香川に行ったら骨付鳥。
名古屋に行ったら味噌カツ。
“そういうものでしょ?”という空気のまま注文して、
「はい、食べた。チェック完了」
この瞬間、私たちは「その土地らしさ」は買っているけど、
「自分らしさ」は買っていないのかもしれない。
香川の骨付鳥でわかった「5回食べてやっと気づくこともある」という現実
この「他人の正解を、自分の正解だと思い込む」感覚。
実は前にも似たことがありました。
私は過去に四国に6年ほど(高知4年/松山2年)暮らしたことがあります。
その間、香川に行くたびに骨付鳥を食べていました。
香川名物として超有名なあれです。

で、毎回こう思ってました。
「おいしい…のかな?なんかちょっと、塩辛い?」
嫌いというわけではない。だけど「大好き!」って感じでもない。
にもかかわらず、香川に行く → 骨付鳥を食べる、という流れを、
私は何度も何度も繰り返しました。
「それが香川の正解なんだから、きっとこれは“良い体験”なんだ」と自分に言い聞かせていたんだと思います。
そして5回目くらい。いわゆる“有名店”に行ったとき、ついに腹が決まりました。
「あ、やっぱりこれ、そこまで好きじゃないわ。味が濃い。自分には合わない。」
そのときやっと、
“香川の名物として評価されている価値”と“自分が好きだと感じる価値”は別なんだ
と、体に落ちたんです。
それまでは、頭の中で
「名物=良いもの」
「良いもの=好きなはず」
という式を勝手に成立させていた。
でも本当は、
「名物=(世間が良いと思ってるもの)」
「好きなもの=(自分の体が喜んでるもの)」
であって、両者は必ずしも一致しない。
“世間のうまい”と“自分の好き”は別軸にある
骨付鳥のときも、ほうとうのときも、いちばん大事だったのはこの線引きでした。
世間の「これはいい」は、確かに価値がある
でも、自分の「これは好き」は、まったく別の価値
これをごちゃまぜにすると、ちょっとしんどくなります。
たとえば「みんながおいしいって言ってるのに、自分はそこまで楽しめなかった」という場面で、罪悪感みたいなものが生まれることってありませんか?
「え、これ有名店なんだよ?」「本場だよ?」「せっかく来たのに?」って、自分自身の心の中で自分にマウントを取ってしまう。
でも、本当はそこに罪悪感はいらないんですよね。
だってそれは「悪い経験」じゃなくて、
「自分の輪郭がはっきりした経験」だから。
「Not for me」という感覚を持てると、生きるのがラクになる
私は長いあいだ、世間の“正しさ”に合わせて生きるクセがありました。
評判がいいものを素直に「いい」と言える人間でいたい。
みんなが好きなものを、自分も好きでいたい。
空気からズレたくない。
でも、そうやって自分の感覚より周りの期待を優先していくと、心が消耗していく瞬間は必ず来ます。
実際、私はメンタルが落ちて、動けなくなるような時期もありました。
そのときに強く感じたのは
「自分の意思を潰し続けると、ちゃんと生きられなくなるんだな」ということ。
だから今はいちいち確認するようにしています。
これは社会的に“いいもの”って言われてる?
それは自分にとっても“いいもの”?
それとも “Not for me”(自分向きじゃない)?
この「Not for me」を自分の中でちゃんと認めてあげるだけで、かなりラクになります。
旅行中のご飯ですらそうなんだから、仕事・人間関係・生き方ならなおさらですよね。
「みんなが良いって言ってるから、自分もそれが好きでいなきゃ」じゃなくていい。
「それ、私はそこまで好きじゃないんだよね」で終わっていい。
ご当地グルメは“義務”じゃない。むしろ“セルフチェックの道具”にできる
ここまで読むと「じゃあ郷土料理いらないの?」と思う人もいるかもしれませんが、私はそうは思っていません。
むしろ逆です。
旅先の名物を食べることは、めちゃくちゃ価値のある行為だと思っています。
なぜなら、そこでしか出会えない文化・味・歴史を、体で受け取れるから。
ただし大事なのは「食べたかどうか」ではなく、その後です。
食べたうえで、自分はそれを“心から好き”と思えたのか?
それとも“ありがたい文化だけど、自分の好みではない”だったのか?
この振り返りをすることで、
旅の体験が「スタンプラリー」から「自分の価値観を深めるワーク」になるんだと思います。
ほうとうを食べた。→「普通かな」「かぼちゃそんなに得意じゃないから多分そこだな」
骨付鳥を食べた。→「名物だけど、塩味が自分には強い」
この“そこまで刺さらなかった理由”って、ちゃんと覚えておくと次に活きるんですよ。
次に山梨行ったら、ほうとう以外の名物を試してみよう
香川行くなら、骨付鳥じゃなくて別の楽しみ方を探そう
これって、「観光の次のレイヤー」に入っていく感覚なんですよね。
もはや、“土地の文化 × 自分の価値観”を照らし合わせにいく旅になっていく。
「ご当地グルメ × 価値観」というテーマで、これから大事にしたいこと
まとめます。
ご当地グルメは“正解”ではなく、“きっかけ”。
「名物だから食べる」はOK。でも「名物だから好きになるべき」はNG。
世間の「これはうまい」と、自分の「これは好き」は別の軸でいい。
「これは自分にはあんまり合わないな」と気づけることも、ちゃんと旅の成果。
むしろ“好きじゃなかった”という経験こそ、自分の価値観をはっきりさせてくれる。
つまり、旅行の本当の価値は
「名物を制覇した数」じゃなくて
「自分の感覚をどこまで大事にできたか」
なのかもしれません。
山梨でほうとうを食べて、私はそこにやっと気づきました。
「これは私の好きな味か?」って、自分にちゃんと聞いていいんだってことに。
ご当地グルメは、あなた自身の価値観を知るためのヒントになる。
そう考えると、
「合わなかった」もふくめて、全部ちゃんとおいしい経験なんです。
