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Decktetですら遊ばない【Decktetで遊ばない番外編】(9)〜BadenとFriedrichとCego

前回の記事はこちら。

物欲で購入したがどうやらカードゲームCego(セゴ)のデッキだった、という話でした。
今回は、Cegoについてもうすこし掘ってみます。


バーデンとフリードリヒ

Cegoには様々な別名がありまして、その1つがBaden Tarock(バーデン・タロッキ)です。
バーデンはドイツ南西部のBaden-Württemberg(バーデン=ヴュルテンベルク)州の一地方になります。

バーデンの歴史を遡ると、12世紀に神聖ローマ帝国の領土としてバーデン辺境伯領が成立します。

辺境、とついているもののバーデンはかなりの要所でした。

【引用】
バーデン辺境伯領はフランスとの境界に位置し、ドイツの中で見れば周縁部であるとはいえ、古くから交易の要所として栄えた先進地域であった。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/辺境伯

バーデン辺境伯領は、とある領主の登場で大きく動きます。
Karl Friedrich(カール・フリードリヒ)さんです。

1728年生まれのカールさんは、1738年にバーデン=ドゥルラハ辺境伯領となります。
ええ、10歳です。
1771年に2領を統合してバーデン辺境伯領となり、1803年にバーデン選帝侯となります。

1803年に起こったのはナポレオン戦争です。

1806年に神聖ローマ帝国は滅亡して、バーデン大公と名乗りバーデンはバーデン大公国となります(1871年にドイツ帝国に統合されます)。
1811年にカールさんは亡くなり、2代目カールさんに継承されます。


で、Cego

とまあ、長々と前置きしたのはCegoが生まれた地域バーデンはフランスと結構関わりがあった、ということです。
そして、ナポレオン戦争がCego誕生に大きくかかっているようです。

戦争継続中にバーデンの兵士たちがスペインに派遣されます。
そこでスペインで遊ばれているカードゲーム「Omble(オンブル)」を覚えて持ち帰ります。

持ち帰ったあと、当時ドイツで遊ばれていたカードゲーム「Dreierles(ドライエルス)」に取り入れられ改良したのが、Cegoです。

一方、前回紹介したCegoの公式サイトでは、同じくドイツで遊ばれたカードゲーム「Dappen(ダッペン)」(※現在は「Tapp(タップ)」と呼ばれている)から派生した、という見立てをしています。

【引用】
Momentan läuft ein kleines Forschungsprojekt über die Herkunft des Cegospiels. Dafür interessiert uns vor allem, in welchen Regionen früher das "Dappen" gespielt wurde. Wir gehen davon aus, dass es das Vorgängerspiel war, bevor in Baden ab Anfang des 19. Jahrhunderts Cego "erfunden" wurde. Das Dappen gab es im Südschwarzwald zwischen Dreisamtal und Hausach im Kinzigtal. Außerdem sind wir über jeden Hinweis über Cego im Elsass froh.
【翻訳】
現在、Cegoゲームの起源に関する小規模な研究プロジェクトが進行中です。特に「ダッペン」が元々プレイされていた地域に関心があります。19世紀初頭にバーデンでCegoが「発明」される以前のゲームは、ダッペンだったと考えられます。ダッペンは、ドライザム渓谷とキンツィヒ渓谷のハウザッハの間にあるシュヴァルツヴァルト南部に存在していました。アルザス地方におけるCegoに関する情報も歓迎いたします。

引用:https://www.cego.de/


で、なにがいいたいの?

いや、ほんと長々と前置きの前置きをしました。
なんでこんなに引っ張ったのかというと、

ドイツで遊ばれているCegoなのに、
なんで
デッキのスートがフランス式
なのか?

という疑問があったからです。

なるほど、歴史を追ってみると結構フランスと関わってました。


で、まだ謎がある

またもやCegoの公式サイトです。

【引用】
Wo und wann die ersten Spiele mit 54 Karten aufgetaucht sind, ist nicht ganz klar. Fest steht, dass schon aus der 2. Hälfte des 18. Jahrhunderts badische Kartenblätter erhalten sind, die auf 54 Karten reduziert wurden. (中略) Ab Anfang des 19. Jahrhunderts kommen noch Blätter der Firma Heck aus Offenburg und der Firma Leipert aus Kempten mit dazu von denen auch Blätter mit 54 Karten erhalten sind. Es sind jeweils noch Blätter mit italienischen Farben. Auch wenn die Karten bereits im 18. Jahrhundert gedruckt wurden, ist natürlich nicht klar, wann man sie auf 54 Karten reduziert hat.
【翻訳】
最初の54枚デッキがいつ、どこで登場したのかは、完全には明らかではありません。確かなのは、18世紀後半から54枚に縮小されたバーデンデッキが保存されていることです。(中略)19世紀初頭には、オフェンブルクのヘック社とケンプテンのライペルト社のデッキも追加されました。どちらも54枚デッキを製造しています。これらは依然としてイタリアンスーツのデッキです。これらのデッキは18世紀に印刷されたものですが、54枚に縮小された時期は当然ながら明らかではありません。

引用:https://www.cego.de/

たしかに。
ハートとダイヤは1〜4、クラブとスペードが7〜10ということも含めて、なんで54枚構成なんでしょ。

締めない

ということで、続きは次回。

では。


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