DQ11考察vol.15:ロトゼタシアからロトの伝説へ~物語をつなぐ世界
【ネタバレあり】この記事は、DQ11真エンディングおよびDQ3・DQ1・DQ2を含むシリーズ全体の考察になります。公式設定ではなく、ゲーム内描写やシリーズ作品との共通点をもとにした私個人の考察です。
はじめに
これまでの考察では、DQ11の時渡りやプレイヤー視点、そしてロトゼタシアとアレフガルドの関係について考察してきました。
DQ11考察vol.13とvol.14で考察した内容を、ここで整理します。
私は、イレブンがプレイヤー視点で物語を体験する存在として描かれていると考えています。
そのため、セニカの時渡りの影響を受けず、その体験はプレイヤー自身の「記憶」となっていくと考えています。
その「プレイヤー視点」から、ローシュの歴史の矛盾を読み解きました。
DQ3とのモチーフやオマージュを手がかりにして、聖龍と邪神が戦った「闇に覆われた死の大地」はアレフガルドではないかという仮説を立てました。
そして前回はロトゼタシアの上空や高地にアレフガルドを思わせるモチーフが配置されていることや、DQ11が三層構造の世界として読み解ける可能性について考察しました。
しかし、その考察を進める中で、私はまた一つ考えることがありました。
なぜ、聖龍の失われた時が再び動きだし、その先で世界を新たな形へつなげたのでしょうか。
今回は、そのことについて考えていきたいと思います。
1. 聖龍にも「時渡り」のルールが適用されている?
私は、DQ11の時渡りは物語の中での単なる時間移動ではないと考えています。
イレブンとセニカの時渡りは、どちらも物語の「救済」のために時を越えています。
DQ11考察vol.12にて時渡りとは物語を「救済」し、整理するための仕組みであると考えました。
そして真エンディングでは、聖龍もまた邪神との戦いに敗れた後、神の民の力を借りて時を取り戻します。
ここで私は、一つのことに気付きました。
聖龍が失われた時を取り戻したことは、イレブンやセニカの時渡りと共通する仕組みが働いているように見えます。
つまり真エンディングで語られた聖龍の言葉も、聖龍の時が再び動き出したことも、邪神に敗れた歴史を「救済」し、新たな勇者の物語へつなぐためだったのではないかと考えています。
聖龍の「失われた時が再び動き出す」という現象は違うように見えても、「敗北した歴史を救済する」という構造は共通しています。
イレブンやセニカの時渡りと同じ「救済」という構造が、聖龍にも適用されたように見えるのです。
2. 聖龍が命の大樹となり、世界は再構築された
ロトゼタシアの構造の中にアレフガルドがモチーフとして存在していることは、前回のDQ考察vol.14にてお話しました。
ここからは、私自身の考察として、聖龍が邪神に敗れた歴史が「救済」されたことで、ロトゼタシアの世界がどのように再構築され、新たな物語へつながっていくのかについて考えていきます。
私が「世界の再構築」という考えに至ったきっかけは、DQ11の最初のエンディングでした。
命の大樹が力を取り戻した瞬間、荒廃していたロトゼタシアは一瞬で生命を取り戻し、世界全体が姿を変えていきます。
私はこの映像を見た時、DQ11という作品は、世界が新たな姿へ移り変わる瞬間を、このような映像で表現しているのではないかと受け取りました。
そして真エンディングでも、聖龍が光となって命の大樹へ変わり、新たな世界が始まる様子が描かれます。
私は、この二つの映像はどちらも「世界の変化」を表現した演出なのではないかと考えています。
だからこそ、真エンディングで描かれた世界も、新たな世界へ再構築された姿として受け止めています。
そして真エンディングで、聖龍が語った「闇に堕ちても、その時はその剣を手に」という言葉の後に、ロトの剣を手にした勇者の姿が映し出されます。
それが、DQ1の物語へつながる始まりであり、アレフガルドが再構築された瞬間を示しているのではないかと考えています。
そして、ロトの剣を持った勇者の姿が映し出されたあと、『過ぎ去りし時を求めて』というサブタイトルとともに、DQ1からDQ10までの歴代作品の映像が流れます。
この演出は、DQ11という作品が、それまでのドラゴンクエストシリーズの歴史を受け継いだうえで制作された作品であることを象徴しているように見えます。
私は以前のDQ11考察vol.13では、この構造をDQ3のオマージュから読み解いていました。
しかし改めて真エンディングを見返すと、この演出そのものが、DQ11という作品の前提を示している描写だったのではないかと考えるようになりました。
ロトゼタシアは「救済」されました。
しかし、その「救済」は物語の終わりではなく、新たな世界と新たな勇者の物語の始まりへとつながっていくのだと、私は考えています。
3. 世界は再構築され伝説ははじまる
DQ3の物語は、真エンディングで勇者の母親が赤い本を閉じたとき次の物語へつながります。
命の大樹でセーニャに話しかけると、「終わりは始まりの合図です」というセリフがあります。
この言葉は、DQ11という物語の終わりが、同時に新たな冒険の始まりになることを示しているようにも感じられます。
そしてプレイヤーである我々は、「過ぎ去りし時を求めて」、かつて体験したDQ1・DQ3の物語へと再び繋がっていきます。
聖龍の言葉通り、「闇の中から何者かが現れ」、もしかしたら「聖龍自身が闇に染まった時」、それは新たな物語が始まった瞬間なのかもしれません。
その時にイレブンのいたロトゼタシアも、アレフガルドへとつながる形で再構築されていくのではないかと考えています。
しかし、ここでいう再構築とは、単純に以前と同じ世界へ戻ることではないと考えています。
以前のDQ11考察vol.2で触れていたように、DQの世界は物語のつながりの中で、役割を受け継ぎながら再構築されていくものだと考えています。
そのため、アレフガルドがDQ3では地下の世界として存在し、DQ11では上空のモチーフとして描かれていることも、単なる位置の違いではなく、新しい世界へ再構築される過程で、その役割や姿を変化させた結果ではないかと考えています。
その様子は、DQ11の最初のエンディングで描写された「再構築」のように、世界が新たな形へ変化していく姿として描かれているのではないかと考えています。
ここからは、私自身がイメージする「世界の再構築」について考えてみます。
私は、命の大樹そのものが聖龍であり、その聖龍を中心としてロトゼタシアの大地が形成されたのではないかと考えています。
そして、光の聖龍が闇に堕ちていくその瞬間、世界もまた大きく姿を変えていきます。
DQ3では、アリアハンなどが存在する「上の世界」と、ギアガの大穴を通った先にある「下の世界」アレフガルドという、二つの世界が存在しています。
私は、真エンディングで描かれた「世界の再構築」を、このDQ3の世界構造につながる変化としてイメージしています。
光の存在だった聖龍が闇へと堕ちるのと重なるように、それまでロトゼタシアの世界に存在していたアレフガルドの要素も、闇の中へと落ちていく。
そして、ロトゼタシアの大地はその上に広がる世界として残り、やがてアリアハンのある「上の世界」へとつながっていく。
つまり私のイメージでは、聖龍の変化を境に、ロトゼタシアとアレフガルドの位置関係そのものが再構築されたのです。
アレフガルドが「下の世界」となり、ロトゼタシアの大地が「上の世界」として、その空に広がる。
そのようにして、DQ11の世界は、私たちがDQ3で知る世界へとつながっていったのではないでしょうか。
もちろん、これはゲーム内で明確に描かれている世界の変化ではありません。
私が真エンディングとDQ3の世界構造を重ねて考えた「世界の再構築」のイメージです。
そして伝説がはじまった。
ロトの伝説としての物語が、「初めて」なのか「再び」なのか、それはプレイヤーそれぞれですが、始まります。
その時、アレフガルドにはお城や街、そして住む人々が存在し、魔の島にはゾーマの城があります。そしてその場所は、やがてDQ1では竜王の城となります。
そしてロトの血筋やロトの伝説、武具も、全てがアレフガルドの中に存在しているのです。
そしてDQ3の物語は、新しい世界として「冒険の旅」が始まります。
アリアハンのある世界にも、プレイヤーがかつて体験したロトの伝説が伝わり、存在しています。
だからロトゼタシアには「DQ3のモチーフ、オマージュ」が多々あり、上空には「アレフガルドのモチーフ」がちりばめられていたのではないかと考えています。
世界は再構築されても、プレイヤーが体験した物語は失われず、新しい世界へ受け継がれていくのです。
4. まだ見ぬロトの伝説が存在する理由
今回の考察の最後の疑問です。
なぜ、「アレフガルドのモチーフ」がロトゼタシアの世界に含まれているのか?
DQ11はDQ3より昔の物語であるにもかかわらず、なぜアレフガルドを思わせるモチーフが数多く存在するのでしょうか。
制作側の視点で考えれば、それはDQシリーズを前提として制作された作品だから、と説明できます。
しかし私は、DQ11はそれだけでは終わらないと考えています。
「DQ3より古い物語なのにDQ3の物語が含まれる」は、物語の順番だけを見ると矛盾です。
もちろん制作側の視点では、過去作品へのオマージュとして説明できます。
しかし、プレイヤーの体験を含めてDQ11の物語構造を見ると、そこには別の意味が見えてくるのではないかと考えています。
DQ11では、過去作品のモチーフを配置することで、プレイヤーが過去に体験した物語を思い出します。
その記憶によって、同じ世界でも見え方や物語の受け止め方が変化していく。
私はそこに、DQ11における「物語の再構築」が描かれているのではないかと考えています。
プレイヤーが過去に体験してきたロト伝説そのものを、DQ11という物語の中へ取り込んだ作品なのではないかと考えています。
「未来の物語が過去に存在している」のではなく、「プレイヤーが知っている未来の記憶を含んだ世界として、DQ11の世界が再構築されている」
だからこそ、新しく始まる物語でありながら、ロトゼタシアにはアレフガルドの記憶が残っていたのではないでしょうか。
5. ロト伝説を象徴するアレフガルド
ここまで私は、アレフガルドという存在を手がかりに、DQ11の世界の再構築について考察してきました。
今回の考察を通して、私は、アレフガルドとは多くのプレイヤーにとってロト伝説を象徴する場所なのではないかと思っています。
しかし、ここで一つ考える必要があります。
私の考察は、「闇に覆われた死の大地=アレフガルド」であることを前提にしなければ成立しないのでしょうか。
この考察で本当に伝えたいことは、「闇に覆われた死の大地」がどこだったのかということだけではありません。
私が注目しているのは、DQ11という作品そのものが、これまでのドラゴンクエストシリーズの世界を、「新たな物語として再構築する作品」だったのではないかという点です。
ここまで考察してきた「プレイヤー視点」「世界の再構築」、そしてDQシリーズのモチーフが持つ意味を重ね合わせることで、一つの解釈にたどり着きました。
そのため、仮に「闇に覆われた死の大地」がアレフガルドではなかったとしても、この構造自体は大きく変わらないと考えています。
なぜならDQ11には、シリーズを通して積み重ねられてきたロト伝説のモチーフや、アレフガルドを思わせる構造、そしてプレイヤー自身が体験してきた歴史が、数多く組み込まれているからです。
それらは単なるオマージュではなく、新しい物語へ受け継ぐための記憶として配置されているように感じられます。
つまり、「未来の物語が過去に存在している」のではなく、プレイヤーが知っているドラゴンクエストの記憶を含んだ世界として、DQ11の物語が再構築されているのではないでしょうか。
DQ11は、ロト伝説の始まりを描いた作品だけではなく、プレイヤーが歩んできたドラゴンクエストという物語そのものを、新たな世界へ再構築した作品だったのではないでしょうか。
おわりに
私はこれまで、DQ11を「プレイヤー視点」という考え方から読み解いてきました。
その結果として見えてきたのは、「時渡り」は悲劇を「救済」する仕組みであり、
その構造は、イレブンやセニカだけではなく、聖龍の歴史や邪神との戦いで失われたものにも共通しているのではないかということです。
「悪い歴史を消して、新しい歴史を作る」
ではなく、「失われたものを取り戻したうえで、過去とは違う未来へつなげること」
そして、その先には「世界の再構築」という、さらに大きな仕組みが存在していました。
再構築によってロトゼタシアが無くなるわけではなく、新たな世界へ受け継がれる。
プレイヤーが体験してきた物語もまた、失われることなく、新しい伝説の中へと受け継がれていく。
だからこそ真エンディングのあと、私たちは自然とDQ1、そしてDQ3へと旅立つことができます。
それは単なる時系列のつながりではありません。
プレイヤーが歩んできた物語と記憶が、新しい世界へ受け継がれていくつながりなのです。
DQ11という作品がプレイヤー自身の「記憶」を受け継ぎ、シリーズ全体を一つの物語として再構築した作品だからです。
もちろん、これは公式設定ではなく、ゲーム内描写やシリーズ全体の共通点から読み解いた一つの考察です。
しかし私は、この視点でDQ11を見つめ直したとき、『過ぎ去りし時を求めて』というタイトルがドラゴンクエストを歩んできたプレイヤーへ向けられた言葉だったと思いました。
DQ3のエンディングは再びロトの伝説へ繋げる感動を与えてくれました。
私は、この真エンディングを見たとき、ドラゴンクエストⅪはプレイヤーとしての過ぎた時を求める体験を感じました。
今回の考察は、あくまで私個人の解釈になります。
皆さんの疑問や見解、考察がありましたら
リプライでお待ちしております。
ここまで、私の拙い考察にお付き合いいただき心からの感謝をいたします。
以上、ロトゼタシアを巡る考察でした。
#ドラクエ11 #ドラクエ11S #ドラゴンクエストXI #ドラクエ3 #ドラクエ3リメイク #ドラクエ #ゲーム考察 #考察 #ロト三部作 #聖龍の闇落ち
前回の考察はこちら↓
DQ11考察 vol.14:ロトゼタシアに存在するアレフガルドの記憶〜世界構造から見るDQ11とロトシリーズのつながり〜
