DQ11考察 vol.12:「時渡り」が救済したもの ~DQ6の構造はDQ11でどう受け継がれたのか~
【ネタバレあり】この記事は、DQ11の真エンディングとDQ3・DQ6の核心に触れる考察です。未プレイ・プレイ中の方は閲覧にご注意ください。
本記事は、ゲーム内描写やシリーズ作品との共通点をもとにした私個人の考察です。公式設定を示すものではありません。
はじめに
vol.11では、DQ11の「時渡り」は単なる時間の巻き戻しではなく、DQ6の「夢の世界」と「幻の大地」の構造を、「時間」と「記憶」という形へ置き換えて描いたものではないか、という考察を行いました。
私の「時渡り」の解釈は次の二つです。
イレブンの「時渡り」は、「巻き戻る前の記憶」と「時を巻き戻した世界」を、イレブンを通してプレイヤーが体験すること。
セニカの「時渡り」では、イレブンはその影響を受けず、セニカとイレブンは、それぞれ異なる歴史を見ながらも、同じ時間軸の上を歩み、最終的には一つの歴史へ収束していくこと。
この二つの「時渡り」によって、DQ6の「夢」と「現実」が一つになる構造が、DQ11では「時間」と「記憶」という形で表現されているのではないかと考えました。
では、なぜDQ11はこのような構造を採用したのでしょうか。そして、その「時渡り」は何を救済したのでしょうか。
今回は、その「時渡り」が物語の中で果たしている役割について考えていきます。
1-1.DQ6で描かれた「融合」という機能
DQ6では、「夢の世界」と「幻の大地」という二つの世界が存在していました。
主人公は夢と現実に分かれ、それぞれ別々の存在として描かれます。
そして最後には、その二つが融合することで本来の姿へ戻ります。
しかし、融合しているのは主人公だけではありません。
チャモロ、ハッサン、ミレーユ、テリー、バーバラ、アモスたちは、それぞれ立場は異なりますが、「現実」と「夢」の狭間で葛藤し、自分の居場所を受け入れていきます。
つまりDQ6は、「二つに分かれたものが一つへ収束する」という構造が、キャラクター、物語、そして世界そのものに共通して描かれている作品だと考えています。
私が注目したのは、この「融合」という仕組みそのものです。
融合は単なる主人公だけのイベントではなく、「二つを一つへまとめる」という物語全体の機能として使われています。
1-2.ベロニカとセーニャに受け継がれた「融合」
DQ6では、主人公が「夢」と「現実」に分かれ、最後には融合することで本来の姿となります。
私は、この「融合」という役割が、DQ11ではベロニカとセーニャという二人に分けて描かれているように感じました。
ベロニカを失ったセーニャは、その力と意思を受け継ぎ、一人の賢者として覚醒します。
これは単に「力を受け継ぐ」という描写だけではなく、DQ6主人公が最後にたどり着いた「融合」という役割を、姉妹という二人の存在に分けて描いた構造とも考えられます。
そしてイレブンが時渡りを行うことで、その歴史は巻き戻ります。
賢者として歩んだ歴史は時渡りによって失われたように見えます。
しかし、その旅は完全になかったことになるわけではありません。
イレブンの記憶として残り、そしてその旅を体験したプレイヤーの記憶にも残ります。
私は、この「失われた歴史が記憶として受け継がれる」という構造もまた、DQ6の「融合」という機能を、DQ11では「時間」と「記憶」に置き換えて描いたものではないかと思っています。
DQ6では、「夢」と「現実」が融合しました。
DQ11では、「時渡り前」と「時渡り後」が、イレブンの記憶を通して一つの物語としてプレイヤーに受け継がれていきます。
つまりDQ11では、「融合」という機能そのものを、「時渡り」というシステムへ置き換えて描いているのではないでしょうか。
2. 時渡りは悲劇を救済する機能
ここまで整理すると、時渡りは単なる「過去へ戻るためのシステム」ではないように思えてきます。
私は、DQ11の時渡りは、シリーズが積み重ねてきた悲劇を救済するための機能として描かれているのではないかと考えています。
2-1.アモスとロミア
ロミアのイベントには、「真実」と「嘘」のどちらを伝えるかという選択肢があります。
DQ6のアモスのイベントを覚えている人なら、この場面に既視感を覚えた人も多いのではないでしょうか。
アモスのイベントでは、真実を伝えるとアモスは街を去り、嘘をつけば仲間になります。
一方、ロミアのイベントでも、真実を伝えると泡となり、嘘をつけばそのまま待ち続けます。
私は、この構図自体はDQ6へのオマージュとして作られているように感じています。
しかし、本当に重要なのはその後です。
時渡り前では救えなかったロミアは、時渡り後では新たな出来事によって救済されます。
つまり、DQ11は単にアモスのイベントを思い出させるだけではありません。
過去作品で描かれた「救えなかった悲劇」に対して、新しい結末を用意しているように見えるのです。
2-2.時渡りが救済したもの
ここまで見てくると、DQ11の時渡りは、単に世界を巻き戻すための仕組みではありません。
DQ6では、「融合」という機能によって、夢と現実、キャラクター、そして物語そのものが一つへ整理されていきました。
一方DQ11では、「時渡り」という機能によって、「時渡り前」と「時渡り後」という二つの歴史を、一つの物語としてプレイヤーへ体験させています。
そして、その中で過去作品を思わせる悲劇が、新しい結末へ導かれていきます。
つまり、「時渡り」とは悲劇を消すためのシステムではなく、悲劇を経験した記憶を受け継ぎながら、新しい歴史へ収束させるための機能だったのではないでしょうか。
私は、この「悲劇を救済し、物語を一つへ収束させる」という役割こそが、DQ11の「時渡り」に与えられた本当の意味だったのではないかと考えています。
DQ6では、「融合」という機能によって、夢と現実、そして物語が一つへ収束しました。
DQ11では、その役割を「時渡り」というシステムが担い、悲劇を救済するとともに、その歴史をプレイヤーの体験として受け継いでいく物語の構造が描かれているのではないかと考えています。
私は、この「時渡り」という仕組みは、単にDQ11の物語を完結させるためのものではなく、シリーズが積み重ねてきた物語そのものを整理し、本来あるべき姿へ収束させる役割を担っているように感じています。
DQ11は、過去作品を思い出させるだけの作品ではありません。
過去作品を受け継ぎ、その先の結末まで描こうとした作品。
私は、そのように考えています。
この考察は、あくまでわたし個人の解釈になります。
皆さんの疑問や見解、考察がありましたら
リプライでお待ちしております。
ここまで、私の拙い考察にお付き合いいただき心からの感謝を致します。
以上、ロトゼタシアを巡る考察でした。
#ドラクエ11 #ドラクエ11S #ドラゴンクエストXI #ドラクエ3 #ドラクエ3リメイク #ドラクエ #ゲーム考察 #考察 #ロト三部作 #HD -2D版
前回の考察はこちら↓
DQ11考察vol.11:時渡りに見えるDQ6の構造〜「夢の世界」と「幻の大地」は時間と記憶の中に〜
次の考察はこちら↓
DQ11考察 vol.13:改定版 DQ11はなぜシリーズ全体から読み解けるのか~私が世界構造の考察に至るまで〜
