茨城百景 水の里安中
チワス
茨城百景巡り2ヶ所目です。
まず茨城の安中?どこだよ?という話ですが美浦村の霞ヶ浦に突き出た半島部分です。今は美浦村ですが百景選定当時(1950年)は安中村という村が存在してました(55年に合併で廃止)

現在はこういう地形ですが

昔はこう!干拓で入江が埋め立てられる前はより霞ヶ浦に突き出た半島でまさに水の里という趣。
実は安中や浮島のあたりは前々からよくドライブで来ていたんですが(というか茨城百景を知るきっかけになった所)包含風景までは詳しく調べた事が無かったので下調べしていく。

①丈六薬師
↑のワードでググったら一発で出てきます。妙香寺の薬師如来像の事です。室町時代製らしく軽く600年以上前の物wwwwwww
②陸平の貝塚
これもGoogleマップに載ってるので簡単に発見。妙香寺のすぐ近くにある。丈六薬師と同じくそれなりの文化財なので情報が沢山出てくる。日本で初めて近代的な考古学的発掘が行われた貝塚らしい。
③馬掛不動尊
これもググったらすぐ出てきます。馬掛不動堂の事です。
茨城百景より昔の茨城四十五景にも選定されています。
1398年創建でかなり歴史があり高さ1メートル余りの不動明王を祭っているそうです。
大昔はこのお堂がある丘の麓がすぐ水際であり、不動明王もその水際にあったが水害で沈んでしまい一時的に別の場所に避難、最終的に現在のお堂の場所に移った。
また正確な時期は分からないのですが不動滝という滝がかつて境内にあった模様。

そして何よりも霞ヶ浦の絶景見晴スポットとしての性格が強いみたい。
④不動浦

浦の定義を考えればまぁ普通に馬掛不動尊の麓の水辺の事かな?
あと不動浦という地名は全国あちこちにあるもので大抵の場合やはり不動像のある場所や関連する場所に付けられているっぽい。元々馬掛のお不動さんは現在のお堂の麓かつ霞ヶ浦の岸辺にあったわけではやりそこか。
と言ってもあくまで推測なので正体不明。
⑤大山弁天の鼻
最初は大山地区に稲荷ノ鼻ってあんじゃーんこれじゃーんと思ってたら実は大正頃の地図↓を見たら書いてありました。
場所はズバリ鹿島海軍航空隊基地跡(稲敷郡美浦村大山)あたりです。


鼻との事ですがここは1938年に海軍の基地が作られ地形が大幅に変わったようです。
水上機を離発着させる軍事基地だったので鼻だった部分はコンクリートで固められ、鼻の先端だった場所には水上機を発進させるカタパルトがあったようです。

そして戦争が終わった後基地跡は・・・
1946 大部分が東京医科歯科大学付属霞ヶ浦分院となる
1974 一部敷地が国立公害研究所所管になる
1997 湯島地区統合のため東京医科歯科大学霞ヶ浦分院を閉院
2011 国立科学博物館が霞ヶ浦地区を国庫納付
2016 美浦村が約7.6ヘクタールを取得
2023 基地敷地の一部を利用し大山湖畔公園が開園
つまり選定時点では病院の敷地だったわけですね。地形的には鼻はとっくに無くなっていたのに大山弁天の鼻という名で選定しているのはそういう地名で呼び続けられていたからか?
ちなみに現在、鹿島海軍航空隊の基地跡は色々なスポットが重なっています。
スロープ自体は水上バイクの発着場、南側のヤシの木が並んでる通りは稲フォルという車バイクの撮影スポットになってたり、基地の跡地は史跡保存プロジェクトによって観光地化されていたりと言った具合。
ちなみに基地跡は土日のみ解放され見学が可能です。自分も去年に行きました。


また土日は決まった時間にガイド付きのツアーがあり、ガイド付きでないと入れない場所に入る事が出来ます(本庁舎のお2階と弾薬庫)



そしてこの基地跡はゴジラ−1.0のロケ地に使われたのでそれを凄いプッシュしてました。その繋がりで本庁舎内部にはゴジラの模型や映画の撮影に使われた衣装や道具が展示されていました。




こんな感じなのでもし令和版の百景が作られたら包含風景からメインの景へ昇格でしょうね(作られない)
※追記(2025年11月2日)
大山は霞ヶ浦にかつて存在した主要な湖水浴場の一つだったらしく、この景は他の景でも見られる湖水浴場としての選定かもしれません。
霞ヶ浦における湖沼景観の評価(1987年)に掲載されていた写真は画質が悪くてなんだかよくわかりませんでしたが、湖水浴をする人達の写真ですねアレ。
⑥弁天山
これは百景巡りの先人パイセン達情報によれば黒坂命 弁天塚古墳の事だそうです。
以下簡潔な能書き引用
国巣征討に関わった黒坂命が陸奥の蝦夷征討の凱旋の途中、多歌郡の角枯山で病により亡くなったとの記述があり、大塚古墳1号墳は、黒坂命の遺骸が葬られた場所であるという伝承がある。
そして実際に江戸時代末期に古墳の中腹にあった稲荷社を頂上に移す際、石棺が出土。そして遺体と副葬品の鏡一面、五尺あまりの剣二振、四尺あまりの剣数十振、甲冑ひと組、石製模造品などが見つかり大騒ぎになった・・・との事。
常陸風土記逸文によると黒坂命は東北地方の蝦夷の平定のため遠征に行く途中で美浦の景色が気に入り、「もし私が亡くなった時はこの地に葬ってほしい」と遺言を残した。とあるので見晴台的なスポットでもあるかもしれません。
ところで下調べでストビューを見るとどう見ても人ん家の庭なんですが・・・
⑦馬掛一斗落
これはちょっと難問だったけど百景巡りの先輩による聞き込みで判明してますた。
馬掛不動尊から大山の鼻にかけての田んぼ景色と対岸の遠景。馬掛地区の小字に地元の人が使ていた一斗落の名称があったそうです。
そして現地では各所を回った後、最後に貝塚に併設されている美浦村文化財センターでネット上での下調べで分からなかった細部や資料について聞くことに決めいざ目的地へ。
石碑&包含風景巡り
・石碑

後から知ったんですが除草前の一番伸びてる時に撮影してたらしく草に埋もれてます。ちなみに石碑の場所は旧安中村役場があった所らしい。
そして石碑の前の景色はこんなんですが↓

過去の地図から照らし合わせると干拓前は水色の部分が入江だったので↓

この石碑の前には美しい入江が広がっていたんでしょうねェ~。目の前の道路、大山江戸崎線はまさに昔のままでこの入江を迂回して海軍基地まで繋がっています。
①丈六薬師
像がある妙香寺と貝塚、美浦村文化財センターはまとまって近い所にあるので寺の霊園の横にある陸平貝塚公園の駐車場に駐車するのがいい感じです。


入り口付近は日本の原風景らしくいい雰囲気です!
そして本堂と薬師堂は霊園を抜け階段を上った高台の上にあります。

妙に綺麗だなと思ったらつい数年前に本堂と薬師堂は今の高台に移動した模様。やけにピッカピッカだなと思ったわ!百景選定当時は今の高台の麓に像があったらしい。

いやでも高台にあるほうが見晴で『映え』ますね。いいねぇ~。
んで肝心の像は・・・


で、デカイ・・・。想像してた3倍はある。しかも結構生々しいです。下から顔を見上げたら目が半開きで目を開けたのかと思って一瞬ビックリしました。
②陸平の貝塚
ここはGoogleマップで見ると近いので寺から歩いていきましたが・・・
駐車場からのこの分岐、いかにも左が正解に見えますが右の標識が剥がれているほうがある意味正解です。

左は美浦村文化財センターに繋がっていてさらにその先は貝塚に直行できる道が続きますが

こんなんです(困難です)
先ほどの分岐を右から行くと整備されてて美しい田園地帯、池、その他観光施設がある綺麗な道を通って貝塚に行けます。
ちなみに

美浦村文化財センターの駐車場から右ルートに行ける階段もあります。
地図だけ見て左から行こうとして途中で引き返しました。ストビュー無い所ではよくあります。
そしてテクテク歩きながら丘を登り貝塚へ。途中でガサガサという音がしてイノシシか!?オワリヤと思ったら野兎でした。童謡のふるさとに出てくる里山の野兎とか今時いるのか・・・初めて見た・・・


何の変哲もない一面クソ緑ですがそこら中にイノシシの罠注意!マムシ注意!の看板が立って謎の緊張感があります。人全然いないし。
そして奥に見えるのが

これ。復元竪穴住居があります。監視カメラ付きとか竪穴住居のくせに俺の家より豪華です。
そしてその横にはぶくぶく水、昔の人の水くみ場への分岐があります。

そしてぶくぶく水に向かう道は結構長い!しかも地面は枝や落ち葉がそのままでマムシが隠れる余地が滅茶苦茶あって怖い。

そして降りていくとこんな感じです。70年代以前と違って山への人の手の入り方が違うので昔はもっとスッキリしてたんでしょうけど。
貝塚の最奥には大宮神社があります。


貝塚とわかる要素は殆どありません。美浦村文化財センターの展示の説明を見るとわかるのですが昔この丘の上は畑が沢山あり山も手入れが入っていてスッキリした見た目だったようです。しかも貝塚らしくそこら中から貝が出て来て地面は白ぽかったそう。

上の状況とセンターの発掘当時(明治)の写真を見比べると全然違いました。
ここ以外にも言えるのですが戦後少しくらいまでの日本では里山に人の手がガンガン入っていて今のように放置状態で草木がボーボーではなかったわけですからね。(詳しい事情はWikipediaの里山のページを参照してください)


つまりこんな感じです。百景選定当時は畑が広がっており奥に大宮神社の木の並ぶ参道が見えたんじゃないですかね?今も開けた草地はありますが航空写真を見ると昔のほうが開けてる場所の範囲が広いです。
自分の順序は逆でしたがここは美浦村文化財センターの展示を見てから現地を見るのがいいと思いました。
③馬掛不動尊


鬱蒼としてます(絶望) 先ほどの話と繋がりますがここは霞ヶ浦を高台から見晴らせる絶景がメインコンテンツだったみたいですが今は階段から少しだけ辛うじて見えるレベル。

『かつて境内には不動滝があり~』との事ですがよーく観察してみると確かに今でも境内を囲む断崖絶壁から水が染み出ています。

更にお堂の麓でも水際の断崖絶壁だった跡を観察できます。

④不動浦
馬掛の堤防道路から弁天鼻方向の湖岸線(?)をパシャリ。

次に馬掛不動尊の麓の写真です。

湖沿いの道なんで中々やってる感はありますね。窓全開の車でここを走ると中々気分良かったですよ。
右を見るとすぐ馬掛不動尊への参道と茨城四十五景の石碑があります。



ともかくここの事は美浦村文化財センターで質問ですね。
⑤大山弁天の鼻
基地のグラウンドだったあたりは現在、無粋なソーラーパネル畑が鎮座していて気分が最悪になりますがそこ以外の景色はかなり好きです。むしろスロープが存在する事によって独特な景色になっていると思います。






土日以外に来てもあんまり見るモンないんで史跡見学として来る人は基地跡が解放される土日の方が良いと思います。
⑥弁天山
下調べでストビューを見た時点で個人の敷地っぽいなと思ってましたが

まぁ普通に人んちの庭にしかみえないわ
しかしそこら中に看板あるし

ウェルカム感あるし普通に入っちゃいました。


高さは小中学校の校庭の端によくある人工の小山ほど。木が鬱蒼としててほぼ見晴はゼロ。
⑦馬掛一斗落


事前情報によるとこのあたりの土地です。
というわけで一通り回ったので最後はここに。

対応してくださった職員の方に色々と質問し資料まで探して頂きました。感謝。
職員の方は茨城百景の事は知らないらしく百景なのにガイド的な資料は無いんですかと逆に聞かれました。こっちが聞きてえよ(泣)
百景巡りの先輩に日立多賀工場新聞の百景巡り連載記事集をまとめた訪問記を紹介している方がいましたがそれですら写真無しで記述もざっくりです。地図と写真がちゃんと載ってる資料があったら答え合わせとして見てみたい。
・丈六薬師
このセンターで分かった事としては百景選定よりもっと昔の話だが元々お堂は現在のゴルフ場の敷地内にあたる場所にあった。更にそこには池がありその畔に旧薬師堂があるという感じだったらしい。
↑に載せた大正頃の地図にも謎の池があって堰か何かかなと思ってましたがそういう事か!となりました。

明治に台風で旧薬師堂が倒壊、像は妙香寺に移されて現在に至るという事なのでゴルフ場の開発とは関係ないみたい。中々の景色だったろうし見て見たかったなー
・馬掛不動尊
霞ヶ浦が境内から見えなくなっていた事を伝えたら驚かれました。つい数年前までは普通に見れる状態だったみたい・・・。しかし写真があった!

聞いた話によるとここは管理している家があるそうですがやはり高齢化などで難しい状態なんでしょうか。他の百景も巡ってると全く管理がされず放置されるままという所も多々あるので巡るなら早くしないとダメだなと改めて思いました。完全に気が向いたら行く感じなんで・・・
・不動浦
これは色々と調べて頂きましたがちゃんとした根拠は見つからず唯一わからず仕舞いでした。やはり馬掛不動尊の麓の水辺ではという話になったんですが意外と手前の堤防道路や車道の拡張は近年の話で(確かに航空写真を見ると80年代~堤防の建設が始まっている)それまでは車道は細い農道のような感じでサイドはすぐ波打ち際だったそう。つまり百景選定当時と景色は違いますが写真は見つかりませんでした。



※追記(2026年4月23日)
資料をディグっていると、『霞ヶ浦において環境復元を目的とした湖岸整備を行う際に』という国土技術政策総合研究所の資料にこんな記述がありました。

「美浦村馬掛の不動浦」との事なので場所は推測通りだったようです。しかも水泳場だったという新情報が。
また昔の不動浦の写真は何枚かあるようです。


保管場所を見ると少し面倒ですね(図書館はまだしも美浦村は文化財センターではなく役所保管の可能性もある) そのうち行きます・・・
・大山弁天の鼻
これは資料がありました。

ちなみに写真自体は薬王寺に移転された弁天堂の写真なので当時の写真ではないです。
つまり鼻に基地が造られる前には弁財天があったので弁天の鼻というワケ。基地が造られる前の地図を見ると弁天の鼻周辺には畑、水(水田)、松(松林)と記載があり、田畑の向こうに松が生える日本の伝統的な浜の風景が展開されていたと想像できます。

基地が無くなった後はグラウンドがまた畑になってスロープと官舎がある以外は似たような景色に戻ったっぽいですが現在はソーラーパネル畑が(ry
・弁天山
職員の方曰く選定当時は今より霞ヶ浦側の土地が低かった模様。つまり相対的に高い山だった。

目の前の県道も土が盛られているのかちょっと田んぼより高いしある時と無い時では印象がだいぶ違いそうです。恐らく昔はそれなりの見晴台だった?

やっぱりこれも昔のほうが薄毛じゃない?左のは単純に冬だから?
そしてここはやっぱり個人の所有する物らしいです。ちなみに見学は普通にOKだそうです(当然私有地なので常識的な時間に行きましょう)
・馬掛一斗落
百景巡りの先輩が同じ所で同じ質問をしていますが一応質問。やはりあの田んぼあたりの小字が該当。写真資料等は無し。
これも結局何故選定したのかよくわからんのですが百景巡りの先輩の情報も鑑みると
馬掛不動尊から大山の鼻にかけての田んぼ景色と対岸の遠景。馬掛地区の小字に地元の人が使ていた一斗落の名称があったそうです。
馬掛の丘の上から見下ろした一斗落の事を言っているんじゃないかと個人的には思います。昔の地図や航空写真を見ると馬掛の丘の上には農地があるので昔は立ち入って見晴が出来たと思うんですがどうなんだ。


農地だった場所は現在森になってるかゴルフ場になってるかで跡形もないです。
そして総合すると石碑と包含風景のロケーションはこんな感じ。

茨城百景 水の里安中 ~完~
おまけ&追記(2025年10月)
1950年代の安中をロケ地として使った映画『米』(1957年)を視聴したのでレビュー記事を書きました。この景の補足となっています。
『茨城百景関連映画 『米』レビュー』
