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茨城百景 板橋不動尊と金村別雷神社

今回は石碑がそれぞれの場所にひとつづつ、計3つあるらしい(始めてのパターン)

茨城百景については→『茨城百景とは結局何なのか?

今回はすべての一覧表で包含風景まで表記ゆれ無し。

茨城百景一覧表(1950年版)の一部抜粋
茨城百景一覧表(1966年版)の一部抜粋

包含風景は福岡堰のみとなります。景の名前、板橋不動尊と金村別雷神社と福岡堰じゃダメだったの?

下調べ編

①板橋不動尊
板橋不動尊とは茨城県つくばみらい市板橋にある清安寺願成寺不動院の事です。『茨城百景 板橋不動尊と金村別雷神社』表記の石碑はここにあるみたいです。

茨城百景めぐり 著:鈴木彰 (1956) より
茨城百景巡歴 著:室伏勇 (1980) より

これらの文化財は現在でもちゃんと現存していて見学できるようです。

②金村別雷神社

中世に鎮座地の周辺地域で勢力を有していた豊田氏の初代領主である豊田将基が、京都の賀茂別雷神社から分霊を勧請して創建した。
承平元年(931年)のことである。由緒として以下のような話が伝わっている。前九年の役で豊田将基が源義家に随伴して清原武衡の討伐に臨んだ際に、阿武隈川を渡れずに苦労した。
その時、後冷泉天皇から勅許された金色の龍旗から龍が飛び出し、橋のように川に横たわった。将基らは一族を率いて龍の上を渡って敵陣に切り込み、武功を揚げて従五位下下総守副将軍の地位を得た。そこで金色の龍旗を神体として神社を建立し、金の旗から別名「金村神社」と呼ばれるようになった。それ以来長きにわたって上郷の地にあったが、神社について記録した文献は数少ない。

寛政12年(1800年)作の『上郷村明細帳』では、「水の祠」として建立していたと書かれており、『豊里の歴史』は、豊田氏が滅亡し、多賀谷氏が治める時代になると社殿が荒廃し、水の祠として残ったものと推察している。その後『上郷村明細帳』は、村民が社殿を造立し、寛文10年(1670年)の検地の際に曽根五郎左衛門が現在の社地を賜って遷座した、と記述している。江戸時代には神仏習合のため、境内に明光院の別当が置かれていた。別当職は豊田氏が権勢を振るっていたうちは豊田氏一族または重臣が務め、神社の管理もしていたと見られる。

文化12年(1815年)、竹垣直温の頌徳碑(しょうとくひ)が境内に建立される。江戸時代後期になると参道沿いの約250mにわたって鳥居前町が形成され、1960年代まで続いた。
明治時代になると廃仏毀釈によって明光院が廃寺となり、神社から仏教色が除かれた。1980年(昭和55年)3月27日に当時の豊里町が拝殿など計3棟を「金村別雷神社(拝殿,神楽殿,回廊)」として町指定文化財に指定、つくば市の市制施行に伴い市指定文化財となる。
1991年(平成3年)1月25日には茨城県が本殿など計2棟を「金村別雷神社本殿(附棟札1枚)・本殿覆屋」として県指定文化財となった。

金村別雷神社 - Wikipedia

とまぁ長い能書きを引用しましたが重要なのはかつて鳥居前町が存在したという事ですね。

1960年代までは参道沿いに鳥居前町が形成されていたが、小貝川の改修工事によって町全体が堤防の左岸に移転したため、現地に残った神社と分離し、宿泊所や土産物店は廃業した。鳥居前町の跡地は、参拝者の駐車場として利用されている。

金村別雷神社 - Wikipedia 
現在
1963年

ホントだ。鳥居前町ありますねぇ!!!
そもそも茨城百景は観光促進が目的なのでこの景は神社だけでなく周辺の観光施設も含めたモノだったんでしょうね。

③福岡堰
岡堰、豊田堰とともに関東三大堰の一つダ・ソウデス。ちなみにここは茨城百景の前身である茨城四十五景にも選定されています。

関東郡代伊奈忠治により鬼怒川・小貝川の分流域にあたる干拓地の灌漑用水として作られた堰です。1625年に堰き止め、灌漑用水としたのがはじまりで当初は山田沼堰と言われ、1722年に福岡地内に改設して福岡堰となりました。その後1886年に改築、1923年に鉄筋コンクリート製に改築、1971年に小貝川の流量増大と老朽化のため再び改築し現在に至る。

との事。
つまり現在の福岡堰は山田沼堰を含めると5代目で茨城百景と茨城四十五景が選定した福岡堰は1923年に作られた4代目のようです。

4代目の福岡堰(1960)
5代目の福岡堰(現在)

このあたりには福岡という地名があり、それが由来で福岡県は特に関係ありません。現在ここには福岡堰さくら公園が整備されていて堰から南側にある副用水路の水門まで続く遊歩道沿いのソメイヨシノが見所らしいです。が自分はいつもの如く季節を無視して現地に行っています笑

現地編

石碑で~す。板橋不動尊の境内に入ってすぐの所にあります。

①板橋不動尊

やはりお寺系の景は代々継承され綺麗に維持管理されています。
しかし本尊の不動明王像は撮影禁止です。なので現地に行って君の目で確かめてみてくれ!(ファ〇通)

②金村別雷神社

車が沢山停まっている割には境内に誰もいないな~と思ったらなにか行事があったらしく暫くすると建物からゾロゾロと人が出てきました。集まっている人らは当然顔見知りなんでしょうけどそんな中で全然知らないキモオタク風の不審者(俺)が境内に突っ立っており滅茶苦茶気まずかったです♪

ちなみに石碑です。

石碑は国旗掲揚台の足元、というか石碑自体が国旗掲揚台でした。

かつて門前町が存在した名残は全くなく元々建屋があった場所には雑木林と原っぱしかありません。何も知らなければここに集落があった事など全くわからないでしょう。
ついでに神社の横にある当時モンらしい橋も見に行きました。

福雷橋

年代がほぼ同じだからなんでしょうけど写真で見た旧古渡橋と雰囲気が似ている気がします。こちらは交通量が少ないおかげで生き残ったんですね。ここだけは選定当時と同じ景色を見ることができます。

福雷橋を渡り、対岸から神社方向を望む

下調べの段階で見た昔の金村別雷神社の写真だと神社の鳥居前までは結構緑が少なくすっきりした感じでしたが現在は茂みに覆われていて結構印象が違いました。

③福岡堰
ここの石碑は堰の方ではなくその南にある副用水路の水門の所にあります。

当時モンらしい

一方茨城四十五景の石碑は堰のたもとにあり遊歩道の始まりと終わりにそれぞれが置かれている形になっています。
そして肝心の堰の方です。

福岡堰さくら公園

公園駐車場とは別に堰の南側の中州にも駐車場もありますがこんな看板が

遊歩道も同じ中州にあるんですが遊歩道も沈むんでしょうか?笑
そして福岡堰です。

堰の上を歩いて渡ると思ってたより絶景でした。

季節性をフルシカトして来ているのでソメイヨシノは見れませんでしたがこれはもしかして堰側に関しては秋に来たのは正解だったかもしれない・・・!

気温が低いので空気が澄んでおり夕方には夕日と富士山をセットで見れました。

茨城百景 板橋不動尊と金村別雷神社 ~完~

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