「恋愛」の文化史 その1 - 「恋愛は近代以前には存在しなかった」説はどの程度正しいのか
恋愛という言葉は、甘い。けれど、よく見ると中身はずいぶん重い。そこには、欲望があり、嫉妬があり、結婚があり、家があり、財産があり、子どもがあり、祖先があり、神があり、場合によっては牛までいる。甘い菓子の包み紙を開けたら、中から役所の書類と親族会議と祭祀の道具が出てきたようなもので、少し困る。けれど、恋愛の文化史とは、まさにその困り方を見つめる作業である。
現代の私たちは、誰かを好きになり、その人と付き合い、うまくいけば結婚し、さらに幸福になれるかもしれない、という一連の流れを、かなり自然なものとして受け取っている。うまくいかなければ傷つく。恋人がいなければ、時に自分の魅力や価値まで疑う。恋愛ができるかどうかが、まるで人間としての通行証のように扱われることさえある。
しかし、この感覚は人類史のなかでどれほど普遍的なのだろうか。古代人も中世人も、非西洋社会の人々も、私たちと同じように、愛を人生の中心に置いていたのだろうか。答えは単純ではない。人類は昔から恋をしてきた。誰かを欲し、待ち、嫉妬し、失い、その名を歌にし、神への比喩にし、時には狂気のかたちで保存してきた。けれど、その感情を結婚の根拠にし、個人の自由や幸福や自己実現の中心に据える形式は、かなり新しい。
恋は古い。だが、私たちがいま「恋愛」と呼んでいるものは、新しい。このささやかな、しかし厄介な差異から始めたい。
恋はあった。だが「恋愛」は同じものではない
まず、恋愛を少しほどいておく必要がある。現代日本語の「恋愛」は、じつに欲張りな言葉である。恋慕、性愛、交際、嫉妬、承認欲求、結婚、家族形成、人生設計、時には老後の安心まで、一つの袋に入れてしまう。袋はふくらむ。持ち手がきしむ。それでも私たちは、それを一語で「恋愛」と呼ぶ。
しかし歴史を眺めると、これらは必ずしも一つではなかった。性愛は快楽や生殖の問題であり、結婚は親族や相続や労働力の問題であり、情愛は長く生活を共にするうちに育つものでもあり、恋慕は詩や物語や禁忌の領域に置かれることもあった。人間の心は昔から揺れた。けれど、揺れた心をどの制度に接続するかは、社会によって違っていた。
ウィリアム・レディがいう「感情体制」という考え方は、この点を考えるうえで有効である。感情は、体の奥から自然に湧き上がるものに見える。たしかにそういう面もある。だが同時に、社会は「どのように感じるべきか」「その感情をどのような言葉で表すべきか」を、静かに、時には乱暴に教え込む。レディは、感情を表す言葉や身振りが、単に感情を伝えるだけでなく、感情そのものを作り出す働きを持つと考え、それを「エモーティブ」と呼んだ。
たとえば、ある社会が「祖国を熱烈に愛せ」と命じれば、愛は政治的忠誠の形式になる。別の社会が「欲望を罪として抑えよ」と命じれば、恋は隠れ場所を探す。さらに別の社会が「恋愛こそ結婚の正当な理由だ」と言い始めれば、人は相手を愛しているかどうかだけでなく、自分が正しく愛しているかどうかまで気にし始める。厄介である。胸が痛いのか、制度がイタいのか、だんだん区別がつかなくなる。
したがって、恋愛の文化史で問うべきことは、「昔の人にも愛はあったのか」ではない。愛はあった。そうではなく、その愛は社会のどこに置かれていたのか、である。結婚の内側に置かれたのか。詩の中に隔離されたのか。神への愛に変換されたのか。親族の交換回路の中で扱われたのか。ここを見誤ると、私たちはすぐに「昔は恋愛がなかった」などという粗い話をしてしまう。そんなことはない。恋はあった。ただし、恋が座らされていた椅子が違ったのである。
結婚は、二人の愛のためだけにあったわけではない
現代日本人は結婚を、よくも悪くも二人の問題として考えがちである。もちろん現実には家族や経済や制度が入り込むが、それでも建前としては「本人たちの意思」が中心に置かれる。ところが、人類史の大部分において、結婚は二人だけのものではなかった。むしろ二人だけに任せておくには危険すぎるものだった。なにしろ、結婚は土地を動かし、財産を動かし、労働力を動かし、子どもの帰属を決め、血統をつなぎ、死者への祭祀を維持する。恋の熱で決めるには、あまりに書類が多すぎる。
文化人類学が親族制度を長く研究してきたのは、このためである。クロード・レヴィ=ストロースは、婚姻を個人間の感情的結合ではなく、親族集団間の「同盟」として捉えた。近親相姦の禁忌は、単に生物学的な危険を避けるためではなく、自分たちの集団の外へ女性を嫁がせ、他集団との関係を作るための文化的規則だという。ここで結婚は、愛の成就というより、社会関係を編むための交換装置になる。
もちろん、このレヴィ=ストロースの理論は、そのまま受け取れば危うい。女性が、男性集団同士の交換を媒介する「贈り物」として扱われてしまうからだ。ゲイル・ルービンは、そこに鋭く切り込んだ。彼女は「性/ジェンダー・システム」という概念を用い、社会が生物学的な性を取り込み、男らしさ・女らしさというジェンダーへ加工し、さらに婚姻制度を通じて異性愛的な秩序を再生産していく仕組みを論じた。恋愛というと、われわれは赤い糸や胸の高鳴りを想像する。だが、親族論の世界に入ると、赤い糸は急に帳簿の紐になる。誰が誰を交換し、どの家にどの子が属し、どの労働力がどこに流れるか。そこにあるのは、甘さというより構造である。
さらにマリリン・ストラザーンは、メラネシアの親族関係をもとに、西洋的な「自律した個人」という前提自体を疑った。人間は一つの閉じた個体ではなく、贈与や関係の集積として存在する「分割人」でもありうる。そう考えると、恋愛結婚という近代的な形式が、いかに「個人」を前提としているかが見えてくる。私がいて、あなたがいて、二人が選び合う。美しい。けれど、その「私」や「あなた」自体が、歴史的にかなり特殊な作り物かもしれない。
結婚が愛の完成形であるという感覚は、だから、人類史の標準ではない。多くの社会において、結婚は家や親族や神や土地を維持するための制度だった。恋はその制度の内側に入ることもあれば、外側で燃えることもあった。人間は面倒である。制度が必要だが、制度に収まらない。恋をするが、恋だけで社会は回らない。その隙間に、文化が生まれる。
古代世界にも、恋の苦しみはあった
では、近代以前の人々は冷たかったのか。親族と財産の都合だけで淡々と結婚し、胸など一切痛めなかったのか。そんなことはない。古代ギリシアの人々は、愛を一つの語に押し込めなかった。エロース、フィリア、ストルゲー、アガペー、クセニア。欲望、友情、家族的愛着、利他的愛、歓待の義務。愛は細かく分けられ、それぞれ別の場に置かれていた。
エロースは、危険な力である。美へ向かう欲望であり、身体をざわつかせ、判断を狂わせる。プラトンは『饗宴』で、そのエロースをただの性欲に閉じ込めず、美そのものへ向かう上昇の力として論じた。欲望は危ない。だが、危ないからこそ魂を動かす。古代ギリシア人は、恋の力を知っていた。知っていたからこそ、分類し、警戒し、哲学へ運び込んだ。
一方、古代ローマでは、家父長権が強大だった。パテル・ファミリアスは家族、財産、奴隷、子どもに対して強い支配権を持っていた。婚姻にも、妻が夫側の家父長権に入るクム・マヌ婚姻と、実家の権利関係に留まるシネ・マヌ婚姻があった。時代が下るとシネ・マヌ婚姻が広がり、女性の財産権や離婚の容易さも一定程度確保されたが、アウグストゥスの道徳改革法のように、国家が不貞や出産を管理しようとする動きも強まった。ここでは性愛は、個人の秘密にとどまらない。国家がそこへ手を伸ばす。寝室の扉を開けると、そこに法が立っている。あまり落ち着かない。
古代インドに目を移すと、また違う風景が現れる。カーマ、すなわち愛欲は、ダルマ、アルタと並ぶ人生の目的の一つとして位置づけられた。『カーマ・スートラ』は、しばしば誤解されるような単なる性愛技法の書ではなく、都市的教養、生活技法、心理、求愛、伴侶関係の調整を含む総合的な知の体系だった。庭園、香り、会話、詩歌、身振り。性愛は、粗野な衝動ではなく、生活の技法として磨かれる。
古代インドの法典や叙事詩には、複数の婚姻形式が認められていた。親が決める婚姻もあれば、恋焦がれた男女が結びつくガンダルヴァ婚もある。『マハーバーラタ』のアルジュナが、親族的配置による婚姻と、恋愛的駆け落ちに近い婚姻の双方を経験するように、愛と義務は一つの枠には収まらない。ここでは恋は、社会秩序に敵対するだけでなく、宇宙的な義務や物語の中で調停される。現代人の感覚から見ると複雑だが、複雑であること自体が文化の成熟なのだろう。
古代世界にも、恋の苦しみはあった。だが、その苦しみは、必ずしも「この人と結婚できるか」「自分らしく生きられるか」という近代的な問題に直結していたわけではない。恋はあった。結婚もあった。しかし、その二つの線は、いつも同じ場所で結ばれていたわけではなかった。
恋はしばしば、制度の外側で美しくなった
恋が制度の中心にないからといって、恋が貧しかったわけではない。むしろ逆かもしれない。制度の内側に入れないからこそ、恋は詩になり、寓意になり、神秘になり、危険なほど美しくなる。
中世ヨーロッパの宮廷恋愛は、その典型である。十二世紀のプロヴァンスにおけるトルバドゥールの詩では、騎士が高貴な女性に仕え、憧れ、欲望し、しかし容易には成就しない。その女性はしばしば既婚者であり、近づけない存在である。だからこそ、欲望は引き延ばされる。引き延ばされ、磨かれ、苦しみの中で精神化される。C・S・ルイスやドニ・ド・ルージュモン、ジョルジュ・デュビーらが論じたように、宮廷恋愛は単なる恋の美化ではない。キリスト教的な欲望否定、貴族社会の礼節、結婚制度の政治性、その隙間で生じた文学的装置だった。
ここで重要なのは、宮廷恋愛が現代的な恋愛結婚の直接の原型ではないということだ。むしろそれは、結婚の外側にある恋である。結婚は家産や同盟の問題であり、恋はその外に置かれる。外に置かれた恋が、詩の中で異様に輝く。人間は手に入らないものを美しくする。これは高貴な精神活動でもあり、同時にかなり困った癖でもある。
イスラーム圏のスーフィズムにおける愛もまた、制度の外側で別の深みを得た。『レイラとマジュヌーン』の物語では、マジュヌーンはレイラへの恋によって社会秩序から外れ、砂漠をさまよう。彼の狂気は、ただの恋わずらいではない。ペルシア詩やスーフィー的解釈において、それは人間的な愛から神への愛へ、肉体的対象から絶対的な美へ向かう変容として読まれる。レイラは女であると同時に、神の美の徴であり、マジュヌーンの狂気は自己消滅、ファナーへ近づく魂の運動でもある。
不思議なことである。人は誰かを欲し、その人に会いたいと願う。ところがその欲望が高まりすぎると、今度はその人が現実に来ることを拒む。物語の中で、マジュヌーンは現実のレイラより、内なるレイラを守ろうとする。これは恋愛の病理でもあり、宗教的昇華でもある。どちらとも言い切れないところに、愛の怖さがある。
恋は、制度の中心にあるから豊かになるのではない。しばしば、制度の外側に置かれ、禁じられ、遠ざけられ、比喩にされることで、その表現を過剰にする。現代人は、恋を結婚の入口に置きたがる。けれど歴史を見れば、恋は入口よりも裏口に、時には塀の外に、時には砂漠にいた。
東アジアと日本――恋、情、義理、家
東アジアでは、恋と結婚はしばしば家族秩序の中で扱われた。儒教圏においては、家、孝、祖先祭祀、父系制が婚姻の重要な軸になる。中国や朝鮮半島では、親への服従と家系の継続が重視され、婚姻は個人の感情だけで決めるものではなかった。家系を絶やすことは重大な不孝であり、結婚は祖先と子孫をつなぐ制度だった。好きです、という一言だけでは済まない。背後から祖先がずらりと見ている。
しかし、だからといって東アジアに恋がなかったわけではない。中国文学には「情」があり、『紅楼夢』のように、家制度と感情の衝突を深く描く作品がある。情は、秩序を乱す危険でありながら、人間を人間たらしめる繊細な力でもある。儒教的秩序の強さは、恋の表現を消したのではない。むしろ、その圧力の中で、情は文学の中に濃く沈殿した。
日本前近代もまた、「恋愛」がなかった社会ではない。『万葉集』にも『伊勢物語』にも『源氏物語』にも、恋はあふれている。待つ苦しみ、来ない男への不安、嫉妬、恨み、夜の訪れ、朝の別れ。平安貴族社会の妻問婚や招婿婚では、夫が妻の家に通い、子どもは母方の実家で育てられることが多かった。夫が来るか来ないか、どの女性のもとへ通うか、実家の力が保たれるか。そこには女性の一定の自立と同時に、深い不安があった。『蜻蛉日記』に漂う苦さは、まさにその制度の中に置かれた感情の陰影である。
こうして歴史を振り返り、とりわけ印象的なのは、前近代の求愛や見合いにまつわる「垣間見」の話である。電気も写真もない時代、男性は女性の素顔を見たい。そこで雨の日に僧侶などに変装し、雨宿りを装って簾や格子の隙間から相手をうかがう。女性側も意図を察し、自然に見えるように装い、窓辺に座る。これは滑稽である。だが、笑いきれない。現代のプロフィール写真、加工アプリ、マッチングサイトの第一印象と、どこか似ているからだ。人はいつでも、相手を見たい。そして、見られる自分を整える。簾がスマホになっただけかもしれない。
近世(江戸時代)に入ると、遊里文化、好色文学、浮世草子、近松門左衛門の心中物などが、恋と社会秩序の衝突を別のかたちで描く。「義理」と「人情」は、恋愛史を考えるうえで欠かせない対立である。人は誰かを好きになる。しかし、家がある。身分がある。商売がある。親がある。世間がある。恋だけで走れば破滅する。だが、恋を捨てれば心が死ぬ。この板挟みが、近松の心中物を駆動する。
つまり、日本人は恋を知らなかったのではない。近代以前の日本人は、恋を「恋愛」とは別の言葉と制度の中で生きていたのである。恋、色、情、好色、艶、義理、人情。それらは、明治以降の「恋愛」という言葉とは違う仕方で、人の心と身体を取り扱っていた。この記事は都合全3回で恋愛の文化史を扱うが、第3回目で焦点を当てることになる日本近現代編は、この古い語彙の上に、翻訳語としての「恋愛」がどのように重なっていくかを問うことになる。
牛、婚資、親族――恋愛結婚を相対化する
アフリカ諸社会の婚姻制度を眺めると、恋愛結婚を自然なものとする私たちの感覚は、さらに揺さぶられる。多くの社会で、結婚は二つの親族集団の同盟であり、子どもの帰属、労働力、土地、家畜、威信と深く結びついていた。ここで重要になるのが婚資、すなわち bridewealth である。新郎側の親族集団から新婦側へ、牛や金銭や労働力などが移転される。
この制度を、外から単純に「女性の売買」とだけ見なすのは危うい。もちろん、そこには家父長制的な力が働く。女性の身体と生殖能力が親族集団間の交渉に組み込まれるという問題は大きい。しかし同時に、ガーナ北部のダガーバ族の事例が示すように、婚資が女性の地位を支える社会的な楯として働く場合もある。婚資が適切に支払われることで、妻は正式な結婚の当事者として認められ、夫の世帯における尊厳や発言権を得る。外部のジェンダー開発言説が婚資廃止を訴えても、当事者である女性たちがそれに反対することがあるのは、そのためである。
南アフリカのロベド族の事例では、婚資として移動した牛が、兄弟姉妹の関係を世代を越えて結び直す。ある姉妹の婚姻で実家が受け取った牛が、兄弟の結婚の婚資に使われる。するとその姉妹は、兄弟の家庭に対して強い発言権を持つ。牛が動く。女性が動く。親族関係が組み替わる。恋愛を考えていたはずなのに、いつのまにか牛の経路を追っている。けれど、ここで牛は笑いものではない。牛は制度であり、権利であり、保護であり、時に暴力でもある。
一夫多妻制についても、単純な評価はできない。東アフリカのバガンダ族の事例では、一夫多妻家族は複数の妻と子どもたちによる複合世帯として、農業生産共同体を形成する。ズールー族では姉妹一夫多妻が嫉妬を抑える方法として推奨された一方、ザンビアのロジ族では、姉妹同士の結婚はかえって姉妹愛を破壊すると考えられ、厳しく避けられた。嫉妬は人類共通かもしれない。だが、その嫉妬を制度がどう扱うかは、社会によって違う。
ここで見えてくるのは、恋愛結婚が唯一の自然なかたちではないということだ。結婚は、愛の私的な完成形である以前に、社会の資源配分と関係形成の技術でもあった。現代人は、愛があれば結婚できるはずだと思いがちである。だが歴史を見れば、愛だけでは牛が足りないことがある。もちろん、これは冗談のようで冗談ではない。
ジェンダーは二つだけだったのか
近代西洋は、男女二元論と異性愛を自然なものとして強く組み立ててきた。だが、アメリカ先住民社会に見られるトゥー・スピリットの伝統は、その前提を揺さぶる。北米の多くの先住民社会では、生物学的な性別の枠を越え、男性と女性の双方の精神を宿す存在が、儀礼、治療、名付け、口承伝承、労働、ケアにおいて重要な役割を担っていた。
トゥー・スピリットの婚姻は、単に現代的な意味での性的指向によって理解できるものではない。家庭や共同体における相補的な役割分担が重要だった。植物採集や織物を担う者、狩猟や戦闘を担う者、ケアや儀礼を担う者。そこでは性別は、固定された身分というより、共同体を維持するための働きの配置でもあった。
しかし、この伝統は植民地化とキリスト教化によって激しく抑圧された。宣教師や植民地政府は、ジェンダー横断的な服装や同性婚を倒錯として攻撃し、レジデンシャル・スクールでは子どもたちを男女に分け、伝統言語や非二元的な表現を処罰した。ここで「自然」とされたのは、実は植民地主義が持ち込んだ制度だった。自然の名を借りた制度ほど、始末に悪いものはない。
トゥー・スピリットの復権運動は、単なるアイデンティティの回復ではなく、植民地化によって奪われた感情体制の回復でもある。誰を愛するか。どの身体で生きるか。どの役割を担うか。それらは、個人の内面だけではなく、共同体の構造、宗教、歴史的暴力と深く関わる。恋愛の文化史が性愛やジェンダーの文化史と切り離せない理由が、ここにある。
人類学は他者を見た。しかし、見る目もまた怪しかった
非西洋社会の恋愛や性愛を語るとき、もう一つ避けて通れない問題がある。それは、それらを記述してきた人類学そのものの歴史である。人類学は、近代西洋の外にある社会を観察し、親族、婚姻、性愛の多様性を明らかにした。これは大きな功績である。しかし同時に、その視線は植民地主義と無縁ではなかった。
ブローニスラフ・マリノフスキーは、トロブリアンド諸島での参与観察によって、フィールドワークの方法を確立した。彼は母系制、父の役割、子どもたちの性遊び、思春期の求愛、近親相姦の制御などを詳細に記述した。西洋の道徳から見れば奇異に見える実践も、現地社会の構造の中では意味を持つ。この視点は、恋愛や性愛を「自然」ではなく「制度」の中で見るために重要である。
だが、死後に公表されたマリノフスキーの日記は、彼の調査が決して透明なものではなかったことを示した。そこには現地の人々への差別的表現や、植民地的な権力関係の中での欲望が記されていた。調査者は外部から見ているように「見える」。客観的、という形容がかつては与えられたかもしれない。だが、見る者自身もまた、何かしらの欲望と偏見と制度の中にいるのだ。
マーガレット・ミードのサモア研究も同じような問題を含む。『サモアの思春期』は、欧米社会の抑圧的な性道徳に対する強烈な批判として読まれ、文化が思春期や性のあり方を大きく変えることを示した。しかし後にデレク・フリーマンが、ミードの記述には調査上の問題や理論的願望の投影があったと批判した。ミード・フリーマン論争そのものにもさらに複雑な評価があるが、少なくとも一つのことは確かである。非西洋社会は、近代人の欲望を映す鏡にされやすい。
だから、私たちは注意しなければならない。アフリカ、オセアニア、先住民社会の婚姻や性愛を、珍しい風習として消費してはならない。それは現代人の恋愛観を相対化するための便利な見世物ではない。むしろ、私たち自身の「自然」や「普通」が、どれほど歴史的に作られたものかを照らし返す鏡なのだ。
「恋愛は近代の発明」という言葉を、どう理解すべきか
ここまで見てくると、「恋愛は近代の発明である」という言葉は、半分だけ正しく、半分は危うい。もしそれが「近代以前には恋愛感情がなかった」という意味なら、明らかに誤りである。古代ギリシアにもエロースがあり、インドにはカーマがあり、イスラーム圏にはマジュヌーンの狂気があり、平安日本には待つ女たちの苦しみがあり、近世日本には義理と人情の破裂があった。人類はずっと、誰かを欲し、待ち、嫉妬し、失ってきた。
けれど、その言葉が「恋愛を結婚の正当な根拠にし、個人の自由や幸福や自己実現と結びつける形式は近代的である」という意味なら、かなり妥当である。西洋においても、ロマンティック・ラブと婚姻が完全に結びつくまでには長い時間がかかった。十六世紀以前、情熱的な愛はしばしば結婚を脅かすもの、あるいは一時的な病として見なされた。十七世紀から十八世紀にかけて、小説家や改革者が愛に基づく伴侶選択を語り始め、十九世紀から二十世紀にかけて、ロマンティックな愛、排他的な性愛、子育てを一つの婚姻制度に統合する感覚が広がっていく。ステファニー・クーンツがいうように、この組み合わせは人類史のスケールではかなり新しい。
人は昔から恋をした。だが、恋で結婚しなければならない、恋によって自分の人生を決めなければならない、恋愛できることが人間的成熟や魅力の証明になる、という感覚は新しい。ここが重要である。近代は恋を発明したのではない。恋を人生の中心に置く椅子を作った。そして私たちは、その椅子に座らされ、時々ずり落ち、落ちたことを自分のせいだと思い込む。
恋愛は、自然な感情であると同時に、感情をどこに置くかを決める社会的な装置でもある。だから、恋愛の文化史は、愛の美しい歴史ではない。それは、愛が家に押し込められ、詩に逃げ、神に変換され、牛と一緒に移動し、簾の向こうから見られ、法に捕まり、植民地主義に踏まれ、それでもなお別の場所で芽を出す歴史である。
結論――愛がどこに置かれていたのかをたどる
恋愛の文化史とは、愛がなかった時代を探すことではない。人類は古代から、愛してきた。欲望し、嫉妬し、待ち、失い、歌い、制度に抗い、時には制度に従い、時には制度の隙間でそっと息をしてきた。
しかし、その愛が社会のどこに置かれるかは、時代と文化によって違っていた。ある社会では、愛は詩に置かれた。ある社会では、神への比喩になった。ある社会では、結婚の外側で燃えた。ある社会では、家や土地や血統を維持する制度に従属した。ある社会では、親族の交換や婚資の移転の中で扱われた。ある社会では、ジェンダーの二元論を超える役割の中で生きていた。
私たちが「恋愛」と呼んでいるものは、そうした長い歴史の中の一つの配置である。自然そのものではない。もちろん虚構だけでもない。身体は本当に痛む。嫉妬は本当に苦しい。待つ時間は本当に長い。だが、その痛みや苦しみの意味は、社会がどこに愛を置くかによって変わる。
次回にあたる第2回では、欧米近代において恋愛がどのように結婚、個人主義、近代小説、資本主義と結びついたのかを見ていく。恋は古い。しかし、恋で人生を決めるという感覚は、どこかの時点で強く作られた。その作られ方を見なければ、現代の私たちがなぜ恋愛にこれほど傷つくのかも見えてこない。
恋愛の文化史とは、愛があったかどうかを問うことではない。愛がどこに置かれていたのかを、静かにたどることである。(その2へ続く)
主要参考文献・出典
・William M. Reddy, The Navigation of Feeling:感情体制、エモーティブ、感情的避難所、感情的自由の議論。
・Stephanie Coontz, Marriage, a History:ロマンティックな愛・性愛・子育てを一つの婚姻制度に統合する現代的結婚の特殊性。
・Claude Lévi-Strauss, The Elementary Structures of Kinship:婚姻を親族集団間の同盟・交換として捉える理論。
・Gayle Rubin, “The Traffic in Women”:性/ジェンダー・システム、女性の取引、親族構造と女性抑圧の分析。
・Marilyn Strathern, The Gender of the Gift:メラネシア社会における分割人、贈与、ジェンダーの関係。
・C. S. Lewis, The Allegory of Love / Denis de Rougemont, Love in the Western World / Georges Duby:宮廷恋愛と中世婚姻文化の研究。
・『カーマ・スートラ』および古代インド法典・叙事詩:カーマ、ダルマ、婚姻形式、性愛の生活技法。
・『源氏物語』『蜻蛉日記』、近松門左衛門の心中物:日本前近代における恋、通い婚、義理と人情。
・Bronisław Malinowski, The Sexual Life of Savages in North-Western Melanesia / Margaret Mead, Coming of Age in Samoa:初期人類学におけるセクシュアリティ研究とその後の批判。
・トゥー・スピリットに関する北米先住民研究・人権資料:ジェンダー流動性、植民地化、復権運動。
