はじめに よんでください

「我、此の人に咎のあるを見ず」(ルカ 23:4)

Qa oꞌkxjo lo, ntiꞌ jun teꞌ ichin til ma knettz wuꞌn

Antonio Ciseri, Ecce Homo, 1871

池田光穂

こどもたちのために:「われ、このひとに とがのあるをみず」=「私はこの人に罪があるとは思えない」ルカによる福音書23章4節より。

Xitzin tqꞌmaꞌn Pilat kyeꞌ kynejil pale, ex kyeꞌ jniꞌ xjal, a iteꞌtaq antza. Chiꞌ kyjaluꞌn: Qa oꞌkxjo lo, ntiꞌ jun teꞌ ichin til ma knettz wuꞌn, chi Pilatjo. - Mam (Comitancillo, Guatemala)

そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った、「わたしはこの人になんの罪 もみとめない」。

◎解説(かいせつ)

これは、ユダヤ群集からイエスが責めら れ、いじめられて「こ の人(=イエス)は勝手に自分が王様と名乗っているぞ!」と言われた時に、ユダヤ属州の長官ピラトが、捕まったイエスに対して「あなたはユダヤ人の王様さ ま なのか?」と聞き返しました。そうするとイエスは「あなたが言っているその通りです」と答えました。その時に(ピラトが)即断して「私はこの人に罪がある とは思えない」と、ユダヤの群集に言った故事(=言い伝え)から来ています。

◎質問(しつもん)

ピラトの判断は、冷静なものだったので しょうか? それとも(状況的な)直感 でイエスが罪人でないことを気づいたのでしょうか?

☆大人向けのコメント

《自閉症者[としてのイエス]の真理への 意志》

カトリックの信徒信条にはイエス以外に登 場するのは聖母マリアとポンティオ・ピラトだけ.ピラトはイエスにお前は王なのか?とたずねたときに「わたしは真理について証しをするために生まれ,その ためにこの世に来た.真理に属する人は皆,わたしの声を聞く」 と答えピラトは「真理とは何か」と問い返す(ヨハネ福音 18:37-38).まったく不誠実なことに(あるいはピラトを真っ当な対話相手だと見なさなかったか)イエスは真理について語らなかった.これではイエ スは救世主というよりも禅の坊主のようだ。この対話から導き出せることは、イエスは自分は真理を証明するために生まれ、自分の声を聞くものは真理の圏内に いる主張していることだ.彼にとっては真理は抽象的な善であり、また自分は真理の探究者だと主張している。(洗礼者ヨハネの持ち上げとは異なり)彼は自分 がメシアであるという主張はおこなわず真理探究者であることをピラトにつげ、そのくせ真理について説明しない。不誠実ではなく尊大あるいは本人がそう思っ ていなければ自閉者のそれだ。真理への探究は自閉症状を希求するのか?これではまるでインドの沈黙行者と変わらない。ただ中途半端に真理を仄めかすから自 閉ではあるが意思表示はできる。この福音書の著者は明らかにイエスと自分の自閉的な精神状態を共有しているはずだ(黙示録著者のあの大スペクタクルな妄想 経験も含めて)

リンク

文献

その他の情報


Ecce Homo はピラトがイエスを指して言った言葉ではなくてイエスの致命血を浴びたロンギヌスが実際に初めて眼にしたイエスの骸に対して叫んだ言葉なのではないか?! つまりこの人を見よ! 本当に死んでいるぞっ!! てな感じで. 絵画はフラ・アンジェリコです


Antonio Ciseri, Ecce Homo, 1871

「この人を見よ (Ecce Homo) 」エルサレムの人々にイエスを示すピラト(アントニオ・チゼリ画)

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Urban Outlaw - Rebel Porsche Customizer, from YouTube


Magnus Walker, by Wiki

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