天草県
天草県(あまくさけん)は、1868年(慶応4年)に肥後国天草郡の幕府領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の熊本県天草市、上天草市、天草郡苓北町。本項では前身とする説がある富岡県(とみおかけん)についても記す。
概要
[編集]江戸時代、幕府領であった天草郡は長崎奉行の管轄下に置かれていた。長崎奉行の後身である長崎裁判所から分立する形で天草県(富岡県)が設置されたが、わずか6か月で長崎裁判所の後身である長崎府に編入され廃止された。
なお、天草郡は1871年(明治4年)の第1次府県統合で八代県に、1876年(明治9年)の第2次府県統合で熊本県に編入され、現在に至る。
沿革
[編集]県名
[編集]『天草近代年譜』には、1868年(慶応4年)6月10日に「富岡縣を天草縣と改む」とあるが[6]、これ以前から天草県と記載されている史料がある[7]。『本渡市史』では、『天草近代年譜』を「出典不詳であるので確定されない」と批判し、佐々木への知県事任命の辞令が「肥後天草富岡知県事」と記載されていることから、「天草富岡県というのが本来の名称である」と主張している[8]。
富岡県から天草県への県名改称理由について、『角川日本地名大辞典』では、現在の宮崎県にあった富高県との混同防止もあるのではないかと推察している[9]。
天草県の後継である天草出張所についても、「富岡出張所」「天草郡出張所」と表記揺れされて書かれた史料があるほか、出張所ではなく支庁と称することがある[10]。
管轄範囲
[編集]なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
知県事
[編集]知県事は、前長崎裁判所判事の佐々木高行が1868年(慶応4年)閏4月25日から同年8月28日まで勤めた[11]。 ただし、佐々木が天草に訪れたのは、長崎府の役職が残っていたため、同年6月12日である[12]。
脚注
[編集]- ↑ 『本渡市史』, pp. 849, 852, 854, 936.
- ↑ 『本渡市史』, p. 936.
- ↑ 『本渡市史』, p. 861.
- ↑ 『本渡市史』, pp. 858, 861, 869.
- ↑ 『本渡市史』, p. 873.
- ↑ 松田唯雄『天草近代年譜』みくに社、1947年3月30日、661頁。NDLJP:2994615。
- ↑ 『本渡市史』, pp. 862–864.
- ↑ 『本渡市史』, pp. 852, 862, 864.
- ↑ “角川日本地名大辞典「天草県」”. JLogos. 2026年9月1日閲覧。
- ↑ 『本渡市史』, pp. 885, 894, 936–937.
- ↑ 『本渡市史』, pp. 852, 937.
- ↑ 『本渡市史』, pp. 855, 861.
参考文献
[編集]関連項目
[編集]| 先代 長崎奉行所管轄地域の一部 (肥後国天草郡の幕府領) |
行政区の変遷 1868年 (富岡県→天草県) |
次代 長崎府 |