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日光県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日光県(にっこうけん)は、1869年(明治2年)に下野国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治新政府によって設置された県。管轄地域は現在の栃木県に広く分布している。本項では前身の真岡知県事(もおかちけんじ)についても記す。

概要

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関東における戊辰戦争の一局面となった宇都宮城の戦いを経て、明治新政府は慶応4年6月(西暦1868年7月)、鍋島道太郎(佐賀藩士)を真岡知県事に任命、知県事役所は当初宇都宮城内に置かれたが、8月に石橋宿開運寺に仮陣屋が開設された。同月に日光領を収公すると、9月に鍋島知県事は旧日光奉行所に自ら赴き、出張所を設置した。

明治2年2月(1869年3月)、日光県設置が布告され、県庁は旧日光奉行所に置かれた。明治3年(1870年)には移封となった高徳藩、廃藩となった喜連川藩の所領を編入した。

明治4年11月(1871年12月)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い日光県は廃止され、下野国南部、上野国南東部の6県は栃木県に統合され、下野国北部の管轄区域には宇都宮県が設置された。なお、日光県知事であった鍋島は栃木県県令を引き続き務めている。

沿革

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明治5年以前の日付は旧暦、括弧内は西暦換算

  • 慶応4年(1868年)
    • 5月17日(7月6日) - 佐賀藩兵の乱入で、真岡代官所が置かれた芳賀郡真岡町(現在の真岡市台町)にあった真岡陣屋が全焼。代官・山内源七郎が獄門となる。
    • 6月4日(7月23日) - 佐賀藩士鍋島道太郎(のち貞幹)が真岡知県事に就任。本庁は宇都宮城に設置。真岡代官所所管の旧幕府領のほぼ全域と、下野国内の旧旗本領のほぼ全域を管轄。
    • 8月 - 旧日光奉行所所管の日光領を収公。
    • 8月19日(10月4日) - 本庁を都賀郡石橋宿(現在の下野市)に移転。
  • 明治2年(1869年)
    • 2月15日(3月27日) - 日光県設置を布告。本庁を都賀郡日光町(現在の日光市安川町10-24)の旧日光奉行所に置かれた。
    • 7月20日(8月27日) - 鍋島貞幹が日光県権知事に就任。
  • 明治3年(1870年)
    • 3月19日(4月19日) - 移封となった高徳藩の領地を編入。
    • 7月17日(8月13日) - 廃藩となった喜連川藩の領地を編入。
  • 明治4年(1871年)
    • 11月14日(12月25日) - 第1次府県統合により日光県は廃止、下野国南部の5県と上野国の館林県が統合して栃木県が発足し、下野国北部は宇都宮県に統合。

管轄地域

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  • 下野国
    • 都賀郡のうち - 248村(幕府領54村、旗本領168村、日光領37村、喜連川藩領13村、足利藩領7村、厳原藩領5村、館林藩領3村、高徳藩領1村)
    • 安蘇郡のうち - 40村(幕府領2村、旗本領34村、日光領1村、厳原藩領6村、高知新田藩領3村、館林藩領1村、前橋藩領1村)
    • 那須郡のうち - 126村(幕府領58村、旗本領80村)
    • 塩谷郡のうち - 78村(幕府領13村、旗本領32村、日光領13村、一橋徳川家領2村、高徳藩領8村、喜連川藩領5村、会津藩領6村)
    • 芳賀郡のうち - 146村(幕府領75村、旗本領92村、一橋徳川家領6村、喜連川藩領1村、結城藩領1村)
    • 河内郡のうち - 103村(幕府領46村、旗本領49村、日光領23村、高徳藩領5村)
    • 足利郡のうち - 29村(幕府領2村、旗本領28村、足利藩領1村)

なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。都賀郡・安蘇郡・足利郡は栃木県、那須郡・塩谷郡・芳賀郡・河内郡は宇都宮県に編入された。

歴代知事

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真岡知県事

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日光県

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  • 権知事・鍋島貞幹:明治2年7月20日 - 明治4年5月17日(1869年8月27日 - 1871年7月4日)
  • 知事・鍋島貞幹:明治4年5月17日 - 11月14日(1871年7月4日 - 12月25日)

関連項目

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先代
真岡代官所
(下野国内の幕府領・旗本領)
日光奉行所(日光領)
高徳藩
喜連川藩
行政区の変遷
1868年 - 1871年 (真岡知県事→日光県)
次代
栃木県(都賀・安蘇・足利郡)
宇都宮県(那須・塩谷・芳賀・河内郡)