芸人ごっこ 第3話 (創作大賞エンタメ原作部門)
芸人になると言っても、当然ながら普通の大学生がいきなりなれるわけではなかった。
私と細井は大学を卒業すると同時に芸能事務所が運営するお笑い芸人の養成所に入った。
その養成所は ファインファイン が所属する 立本エージェンシー が運営するもので、もともとはお笑いのメッカ、大阪にしかなかったが、数年前から東京校も開校して、我々は7期生にあたるということだった。
大阪発祥の立本エージェンシーはお笑いの事務所としては最大手であり、ファインファイン以外にも所属芸人がたくさんいて、テレビに出ているお笑い芸人の半分くらいは立本エージェンシーの所属といっても過言ではなかった。
養成所はA、B、C、Dの4クラスに分かれていて、どうやら申し込みをした順番にクラスが決まるらしく、我々は私の就職試験の結果を待ってから期限ギリギリに申し込みをしたために、1番後ろのDクラスだった。
授業の内容は、ダンス、発声、コント演技、ネタの4種類で1つの授業は2時間ほどで、ネタの授業だけ週に2回あった。
私と細井は最初こそ全部の授業に出ていたが、すぐにコント演技とネタの授業しかでなくなった。
その理由は、ファインファインの横松尚志が出した本の中で、ダンスや発声の授業にちゃんと出ている人間なんて売れない、自分はネタの授業しか出てなかった、と書いてあったのに影響されたためであり、他の
養成所生もその2つの授業にしか出てない者が多かった。
当時の芸人の卵にとって、カリスマ、横松尚志が言っていたことは全てだった。
ただ、横松尚志が養成所に通っていたときにはなかったコント演技の授業は将来、芸人としてやっていくために必要だから出ておいた方が良いというのが養成所内の空気だったので、我々もその2つの授業には出ていた。
私と細井は高校や大学の学園祭で漫才やコントをやるなんていうことをしたこともなかったし、私にいたっては正直、漫才とコントの違いもわかってなかった。
ネタの授業は、早いもの順にホワイトボードにコンビ名かピン芸人の芸名を書き込むと、先着20組くらいが授業でネタを披露できて、それを見た講師の先生にネタの講評を貰えた。
ネタの講評は ダメ出し と呼ばれるもので、その名前のごとく、ネタの修正点や成立してない所などを指摘してもらう事で、芸歴0年の養成所生が褒められることはほとんどなかった。
火曜日と木曜日がネタの授業で、火曜日の講師は立本エージェンシーの若手ライブの一切を取り仕切っている山本さんという放送作家で、木曜日の講師は萩谷さんというテレビのお笑い番組のエンドロールにも名前がでてくる有名な演出家であった。
山本さんに認められれば、養成所を卒業したあとのステップである若手のライブに出ることができるが、萩谷さんは立場が違いすぎるので、そういったメリットよりも講評をもらえる事自体が貴重なことであるというのが養成所の空気だった。
私はお笑いに誘ってきたくらいだから、当然、細井がネタを書いてくると思っていたが、いくら待っても一向にネタを書いてこなかった。
それなので我々は授業でネタを発表することもなく、3ヶ月くらいの間、ずっと芸歴0年目の芸人の卵のネタとその講評を聞き続けていた。
4ヶ月目に私の催促に応じて細井が書いてきたネタが絶望的に面白くなかったのを見て、自分達は恐るべき勘違いをして、ものすごい場違いな所にきてしまったのではないかという思いがおそってきた。
細井がダメなら私が書くしかない。
私は中学生の頃から横松尚志に憧れていた。
しかし、それは横松尚志がテレビで喋っているトークに憧れていたのであって、漫才やコントといった、いわゆるネタと呼ばれるものには興味がなかった。
養成所に入ってからの4カ月間、一応、授業の内容のメモをとっていた私は、漫才とコントの違いくらいはわかるようになっていた。
漫才とは舞台の真ん中にあるセンターマイクを使って、私と細井が普通のおしゃべりをしたら、たまたま面白かったというテイで行うネタであり、その亜種としては、おしゃべりをしていく中で《コンビニの店員をやってみたいんだけど、お前、お客さんやってくれる?》といったシュチュエーションを説明した上で演技に入るという、漫才コント、あるいは、コント漫才と呼ばれるものもあったが、あくまでそれはセンターマイクを2本だけ使って行う漫才の範疇であった。
それに対してコントとは、登場人物は私と細井ではなく、そのコントの世界の人物になりきって演技をするので、子供やおじいさんにもなって良いし、カツラや衣装で成立させれば女性になっても良いし、どんな小道具やセットを使っても良かった。
私はまずは漫才を書いてみたが、それは細井が書いてきたもの以上に絶望的だった。
ネタの発想どうこうよりも、どうやって成立させたら良いかがわからなかった。
漫才はボケと呼ばれる、突拍子もないことを言う人間と、ツッコミと呼ばれる、それを訂正したり諌めたりする人間の掛け合いで成立させるのだが、関東で生まれ育った私はツッコミという文化に触れたことがなかった。
関東では誰かが面白いことを言ったら、それにかぶせて自分も面白いことを言うか、思いつかなかったら笑うかの2択しかなく、ツッコミを入れるというのは今までの人生で発想にもなかったために、私には漫才のツッコミというものをどうすれば良いのか全くわからなかった。
私が書いたネタはボケのセリフとして突拍子もないことを書いて、それに対してのツッコミとして《何してるんだよ》とか《おかしいだろ》とか《違うだろ》とか、ほぼひと言で訂正するだけで、いわゆる会話の中の掛け合いのツッコミとしては全く成立してなかった。
当時は今のようにユーチューブなどがなくて、参考にする教科書もなかったので、どうすれば成立させることができるのかが全くわからなかった。
私の書いたものを見た細井はひと言も喋らなかった。
細井も絶望しているに違いなかった。
つづく
第4話
