寿司マン 第4話 (創作大賞2026エンタメ原作部門)
彼女から貰った名刺を眺めながら、僕は改めて今日の自分の行動力に驚いていた。
中学の卒業式の次の日にウソの告白をされて水をかけられたあの事件以来、僕は仕事以外でまともに女性と会話した事はなかった。
そんな自分が初めてあった女性、しかも自分も彼女も仕事中に声をかけるなんて…プロの寿司職人としては失格だが人間としては、一歩も2歩も前に進めた気持ちになっていた。
しかし、彼女から貰った名刺は仕事用の名刺なので携帯電話の番号は書いてあるがLINEのIDは書いていなかった。
女性との交際経験がない僕にとって、いきなり直接電話するのはハードルが高すぎる。
でも…僕は…彼女にもう一度会いたい…どうしても彼女に…
スマホのダイヤル画面の番号を押しては、最後の発信ボタンを押せずに画面を消す、というのをくり返しているうちに一週間が経っていた。
これ以上時間があけば、どんどん電話をかけづらくなるし、彼女に認識して貰えなくなる。
今日は絶対にかけると決意してスマホのダイヤル画面を押す…あとは、発信ボタンを押すだけだ。
………ダメだ、どうしても押せない。
発信ボタンを押そうとするたびに、あの時の水をかけられてスタンディングオベーションを浴びた光景がフラッシュバックする。
もういいじゃないか、女性に声をかけれた時点で自分は前に進めたよ。それで充分じゃないか…一歩ずつ前に進んでいこう…と、どうしても電話をかけられない自分を正当化して、あきらめて逃げようとした瞬間、
ボタボタボタボタ
突然、スマホの画面におびただしい量の手汗、いや、ミチルアミノ酸がこぼれ落ちた。
慌てて画面をぬぐおうとしたときに、僕は発信ボタンに触れてしまった。
電話のコール音が鳴る。
「もしもし」
つながった‼ もう話をするしかない‼
「もしもし、あの私、先日の100周年パーティーのときに」
と僕が言うと彼女は
「あーはいはい、あの時、声をかけていただいた、お寿司の職人の方ですね。ちょうど、今日思い出していて、あーもうかかってこないのかなー、なんて思ってたところだったんですよね」
と言った。
なんと‼ 彼女の方も思い出してくれたタイミングだったのかと思って、嬉しくなって
「よければ、店にご招待したいのですが」
と言うと彼女は
「ふふっ、ずいぶんスマートな方ですね。この間の声のかけ方もそうだし、ちょうど声をかけた女性が、かかってこないのかなって思った時に電話をくれる今日のタイミングも…すごく女性慣れしているようなのでちょっと警戒しちゃいますよ」
と笑いながら冗談まじりに言ってきた。
そんな彼女の冗談にオシャレな返しをできるほど経験がない僕は
「僕は女性慣れなんてしてないです‼この間も必死に勇気を振り絞って声をかけました。あんな事をしたのは初めてです。電話したのが今日になったのも毎日毎日かけようとして、かけれなくて、それで一週間たってしまっただけです‼僕は女性と交際した事がありません‼」
と言った。
あまりの剣幕で女性慣れしてないとまくし立てる僕に、遊び人と警戒していた彼女はそのギャップがツボにハマったらしく、爆笑しながら
「面白い方ですね。あんまり初めての電話で女性と交際したことがありません‼って叫ぶ人いないですよ」
と言った。
「すいません」
と言う僕に、彼女は
「でも、なんか安心しました。お誘い受けさせてもらいます」
と言ってくれた。
スマホ画面にミチルアミノ酸が滴る偶然がなければ僕は彼女に電話できなかった。
良くも悪くも手が濡れていることが僕の人生のいたる場面を動かしていた。
それから程なくして彼女との交際がはじまり、公私ともに充実した僕は寿司職人としてさらなる研鑽を重ねた。
それから5年の後の春に師匠から独立を許されることとなり、赤坂に自分の店を構えることとなった。
師匠からつけてもらった店の名前は奇しくも、寿司万《すしまん》 であった。
復讐の象徴が寿司マン。
復讐を捨てた努力の結晶が寿司万《すしまん》
不幸せにも幸せにも僕の人生に執拗にまとわりついてくる鎖、それが《スシマン》だった。
独立を機に彼女との将来を考え始めた僕だが、それには一つ問題があった。
それは彼女の職業の事だ。
僕と出会った頃の彼女はイベントコンパニオンの仕事をしていたのだが、2年程前に、とある大きなイベントの会場で特殊なスカウトを受けて、それ以来、その仕事に従事していた。
その仕事が 女体盛り の仕事だ。
彼女はコンパニオンをしていたくらいなので、一応美人と呼ばれる類に入るとは思うが、スカウトを受けた理由に顔はあまり関係ないらしい。
スカウトの人は40代くらいの女性の人で、その人の話ではどうやら僕の彼女の胸下から腰まわりまでが、女体盛りの器として完璧らしいとのことだった。
しかし、当然ながら初対面の人間から、あなたは女体盛りの才能がある、10年に一人の逸材だ、と言われても、彼女は頭のおかしい人に絡まれたとしか思わなかった。
最初は相手にしなかったが、何度も何度も女体盛り はあなたが思っているような仕事ではなく、とても崇高な仕事なので一度話を聞いてほしいと熱弁された上で、もしも恋人や配偶者、親、兄弟に説明が必要なら一緒に説明すると言われたので、彼女も一度だけならと説明を受けることにして、彼女の希望で僕も同席することになった。
スカウトの人の説明によると、この令和の時代にはにわかには信じ難い話だが、現在の政財界の大物の会合には必ずといっていいほど女体盛りが登場しているとのことだった。
女体盛りは世間一般のイメージでは昭和、平成、の時代のドラマや映画の中で成金や悪徳政治家が受けていた悪趣味な性的サービスといったイメージだが、スカウト女性から聞く所の女体盛りの仕事は全く違っていた。
実際に話を聞いた時に、僕もイメージとの違いにかなり驚いた。
まず一番驚いたのは、彼女達が公務員であるということだった。
彼女達が呼ばれている外交や国策に関わる会議は、その性質上行き詰まることが多く、そのまま続けると険悪な空気になったり、建設的な結論になりにくかったりした。
しかし、彼女達、女体盛りが出された会議はそれが一服の清涼剤になり、頭をリフレッシュできて前向きに進むことが多かった。
そのことを重要視した、ときの内閣である大平正芳内閣が、1979年に国家公務員法の改正案を出して可決された第九十三条第三項にある特別機密職員というのが彼女達の正確な身分になるということだった。
特別機密職員の制定の決議は秘密裏に行われたため、国民のほとんどが彼女達の存在を現在にいたるまで知らなかった。
つまり彼女達は公務として女体盛りに従事しているのであり、刺身を盛る器としての業務以外のセクシャルなサービスは一切してはいけない決まりになっていて、それを行ったもの、または、その行為を求めたものは一切の身分を問わず、3年以下の懲役、禁固、又50万円以下の罰金に処されることになるということだった。
スカウトの人は女体盛りの仕事の素晴らしさだけではなく、僕の彼女の女体盛りの器としての才能も絶賛した。
胸下から、骨盤、腰まわりのくびれ具合が、すべてにおいて 器 として完璧であると熱弁した。
一度でいいから刺身を置かせて欲しい、そしてそれを彼氏の僕にも見てほしいとスカウト女性は言った。
報酬についても勤務年数や、時間外手当によって変わるが、おおよそ880万円から1000万の間であると説明された。
これは国家公務員総合職(いわゆる官僚)の50才以上の水準であるとのことであった。
そして加齢による体型変化により 器 としての活動が難しくなった場合も、管理業務やスカウト業務に従事できるとのことだった。
実際に僕の彼女をスカウトした人も、自分のことを 器あがり であるといっていた。
はじめは、おかしな事を言ってくる人間を断わるつもりで僕を呼んだ彼女が、いつの間にかスカウトの人の話を食い入るように聞いていた。
実際に横で聞いている僕も引き込まれていたので、当事者である彼女がそうなるのも無理もない話だった。
彼女自身、イベントコンパニオンの仕事は不安定な割に報酬も低くて、できれば安定した仕事に就きたいと常々言っていたのもあり、実際に彼女の体に刺身を置いてみることになったのもごく自然な流れであった。
体に匂いの残らない専用のボディソープで体を洗い、横たわる彼女に刺身が乗せられた瞬間に僕は衝撃を受けた。
なんと、見事な 器 ぶりだろう
なだらかな流線型の体、いや、器 に乗せられた刺身は、彼女の体と対を成す芸術作品のようでありながら、食欲をそそるにも関わらず、性欲はそそらない。
日本料理は器も含めて楽しむというのは有名な話だが、まさにそれを体現していた。
そして、そのときにずっと疑問に思っていたことの答えが出たような気がした。
彼女と初めてあったときに、なぜあれほど惹きつけられたのか。
女性とろくに会話をしたことがなかった僕が、なぜ何かに突き動かされるように彼女に声をかけたのか。
僕は特殊な才能を持つ料理人として、特殊な才能を持つ彼女の 器 としてのオーラに惹きつけられたに違いなかった。
彼女に初めて電話をしようとした日、勇気がでなくてあきらめようとした時に手から携帯画面にこぼれ落ちたミチルアミノ酸は料理人としての嘱望からでたものだったのだ。
思わず見惚れていた僕に向かって彼女はポツリと呟いた。
「やっと見つけた。私はこれをやるために生まれてきた」
凛とした表情で呟く彼女には一片の迷いもない。
僕も彼女が女体盛りの仕事に就くのを賛成せざるを得なかった。

つづく
第5話
