寿司マン 第5話 (創作大賞2026エンタメ原作部門)
女体盛りの仕事をはじめた彼女は水を得た魚のように充実した日々を過ごしていた。
最初の3ヶ月は 器 を引退したトレーナーによる、座学、実務、コンプライアンス等の研修をみっちり行い、4ヶ月目から現場に立ち始めた。
彼女達が女体盛りとして現場に出たときは、特殊な耳栓をさせられていたので会合の内容は一切聞こえなかった。
それでも、より重要度の高い話をするときは一度、部屋から退出させられたので、会合の内容は分からなかったが、目隠しをするわけではないので会合の出席者や、どんな会合であったかぐらいはわかった。
しかし、それらについても当然守秘義務があり、他者に漏らすとやはり、3年以下の懲役、禁固、又は50万円以下の罰金に問われるとのことであった。
だから事情を知っている僕にも、その日がどんな仕事だったのか、どんな会合に行ってきたのかを彼女が言う事はなかった。
ただ一度だけ、彼女が絶対に誰にも言わないでと前置きをして、今日は内閣首脳会議の 器 をしてきたと教えてくれたことがあった。
そのときの彼女はとても誇らし気な顔をしていた。
彼女は今、仕事が一番充実している。
そんな時に結婚して寿司屋を手伝ってくれと言われても彼女を困らせるだけだろう。
それに…それに僕は彼女の体に刺身が乗ったのを見たあの日から彼女の事を女性として見れなくなっていた。
あの芸術とも言うべき彼女の体と刺身の絶妙なバランス、あれを見てしまったら彼女の事はもう 器 としか見れなくなってしまっていた。
それでも彼女と別れなかったのは精神的な愛情と、もう一つ、僕の握った寿司をあの 器 に置いてみたい、一度でいいから寿司を置いてみないと別れるに別れられないという料理人としての欲望からだった。
2人の間に入った亀裂に見て見ぬふりをしていたある日、彼女から唐突に
「もう、終わりにしよう」
と、きり出された。
僕は
「なんで?」
と静かに言った。
彼女は
「自分が一番わかってるんじゃない?」
と言った。
僕はこの期に及んで自分の本心を言葉にしたくなかったので、白々しく
「わからないよ」
と言った。
彼女は
「そう…なら私から言ってあげるわ…あなた、もう私のこと女として見れないんじゃない?あの日から、あなたの私を見る目は女を見る目じゃない、
器 を見る目よ‼
それなのに私と付き合っているのは 器 としての私を手放したくないだけでしょ⁈あなたは私を愛していない‼器目当てなのよ」
器目当て…体目当て…ですらない最低な欲望。
あの日から2年、僕は彼女を一度も抱いていなかった。
しかし、このまま別れていいはずがない。
だって僕はまだあの 器 に寿司を乗せていない。
僕は彼女を繋ぎ止めるために空虚な言葉を振り絞った。
「君を愛している だから…」
僕の言葉をさえぎるように彼女は
「そういうのやめて。それにもう私つきあっている人いるから」
と言った。
彼女から出た言葉にもう僕は何も言えなかった。
彼女は最後に
「別れても、守秘義務だけは守ってね。じゃあ」
と言って去って行ってしまった。
なぜもっと早く寿司を置かなかったのだろう。
後悔してもしきれない悔しさは何日たっても消えなかった。
そんな事をしてはいけない、そんな事をしても何も変わらない、とわかってはいたけれど、せめて彼女の新しい交際相手がどんな男か知りたくて、僕は興信所を使って調べた。
興信所の調査結果を見て、僕はしばらく何も考えられなかった。
調査結果の写真に写っていたのはまぎれもなく山中だった。
僕の事を《お前は寿司マンだ》と言い放ったあの山中だった。
山中の父親は地元の名士で、家業と兼任して県会議員をしていたが、山中が大学生の時に衆議院に立候補をして当選していた。
山中も3年程、会社勤めをした後に、父親の議員秘書に転身していた。
おそらく彼女とは議員秘書として父親の会合についていったときに知り合ったのだろう。
僕が新たな希望、目標を胸に復讐を捨て興信所の調査もやめて、寿司職人としてまい進していたら、その間に最愛の 器 をよりによって山中にとられる。
間抜けな話だ。
もう少し復讐に固執して調査を続けていたら、山中と彼女の接近に気づけて、奪われるのを防げたかもしれない。
復讐を捨てたことで一番大事な物を失うのか…
わかったよ。
世界はどうしても僕に復讐を望むというのだな。
僕の心にとっくに消したはずの復讐の炎が地獄の業火のごとく燃え上がってきた。
再び復讐を決意した僕は標的を山中だけに絞り、彼と接近する方法を考えた。
山中に接近する方法として考えたのは、僕らの生まれ育った街に寿司万《すしまん》の2号店を出すことだった。
片田舎の街に銀座の名店の流れを組み、赤坂に本店がある寿司屋の2号店ができるのだ。
地元の名士で国会議員でもある山中の父親が使わないわけがない。
僕は採算度外視で2号店を出すことにした。
開店から3ヶ月程で山中親子は来店し、そこからは月に2回程、地元の有力者との会食で店を使うようになった。
会計や予約は秘書である山中が行うので、そのたびに僕のほうからコミュニケーションをとるようにしていたら、初めて来店してから半年程で山中が1人でも来店するようになった。
「寿司万さんはなんで2号店をこんなへんぴな所に出そうと思ったの?」
山中が1人で食べにきた時にふと僕に尋ねた。
お前に復讐するためだよ、と言ってやりたかったけど、それをいったら計画は台無しなので
「私は銀座や赤坂で出す最高級の寿司以外にも、その土地でとれたものを一番新鮮なまま素材を活かして提供するという店をやりたくて探していたんですよ。その時に海が近いこの街で、ちょうど私が理想とするハコに空きがあったのでこちらでやらさせていただくことになりました」
と言うと山中は
「あーだから、地元の魚のメニューが多いのか。それがまた良いんだよね」
と言ったので、僕はチャンスだと思って
「もしよろしければ、今度の定休日に地元の食材を使った新メニューを形にしてみようと思っているので試食にいらしていただけませんか?」
と言うと山中は
「えっいいの?寿司万さんの新メニューか。それは楽しみだな。僕でよければ是非お願いするよ」
と言った。
いよいよ山中がくる日になった。
山中が誰か連れて来たら計画は延期、山中が1人できたら計画を実行する。
約束の時間から5分程遅れて山中は1人でやってきた。
「遅れてしまって申し訳ない。そのかわりといってはなんだが、八重桜の大吟醸を持ってきたから2人で飲みながら試食会しようよ」
と山中は言った。
八重桜の大吟醸とは山中も張り込んだものだ。
地元の日本酒でも最高級のもので、1本三万円はくだらないものだった。
「大将も、今日は休みだから飲めるでしょ?」
と山中に言われたので
「では、一杯だけいただきます」
と言って、2人の分の日本酒をコップに注いだ。
山中のコップの底には無味無色の睡眠薬が仕込んであった。
「じゃあ、乾杯。大将、この大吟醸、本当に最高だから、まずは口当たり試してみてよ」
と山中に進められたので、僕から飲むことになった。
確かに美味しい。
寿司にもよく合いそうだ。
山中、お前は大吟醸の味を楽しんだらすぐに寝てしまうけどな、と思った瞬間、僕は足元がおぼつかなくなってくるのを感じ、意識が遠のいていった。
なんだ、ここは? いったいどうなっている?山中は? 身動きが取れない。どうやら手が後ろで縛られているようだ。
意識が朦朧としていると
「よう、高橋、いや、寿司マン。ようやくお目覚めか?」
と声をかけられた。
声の主は山中だった。
高橋というのは僕が名字を変える前の元々の名字だった。

つづく
第6話
