K_night Parade【第一話】
守護霊になるために
1
この世界の理を、知っておかなければならない。
この世界はもともとひとつだった。世界が無と有に分かれた時、世界は始まったと言われている。
無と有、時間と空間、生と死、音、光、秩序……
世界は何度も分裂と結合と消滅を繰り返し、世界を構成する全てが創られた。現在の世界は、無数の分岐のうちのひとつとも言える。
現在の世界が今の形になってから二千年かそこらの時間しか経っていない。
それ以前の世界は龍神によって保たれていた。八百万の神々をはじめ、幻獣、怪異、精霊、そしてあらゆる生命が共存する。それは完璧で、完全な世界に思われていた。
その世界は完璧すぎた。完璧すぎる世界は長らく進化を止めたために、崩壊を始めた。寿命である。
完璧すぎる世界を救うためには、完璧すぎる世界を切り分けて進化を進めなければならなかった。それを成したのが、現在の世界の王、鬼王だった。
鬼王は自分たちの世界から、物理と法則から逃れられないものを切り捨てた。幻世と現世である。
更に時が来れば再び取り込むために道の国で二つの世界をつないだ。葦原中津國、鬼と怪異の国である。
それが、現在の世界の形である。
そしてついに、その時が近づいている。
2
私の息子は、世界を再び救う役割をもって現世に生まれた鬼神らしい。
一介の狸妖怪が親を名乗っていい存在ではなかった。
十年前、私は通勤途中に近所の橋の下でイクサを拾った。
正確には、後にイクサになる河原の石を持ち帰った。
見た目は普通の石だった。両手で包める程度の大きさで、周りの石に比べて多少ごつごつしていた気がする。
私はただの妖怪で、ただの会社員で、人間で言うところの良い大人という年齢だった。いい感じの葉っぱならまだしも、小石を見つけて持ち帰る趣味もない。
ただただ、その何の変哲もないそこらへんの石ころを、持ち帰らなければならないような気がして、それをスーツのポケットにしまった。
帰宅した私はポケットの石を食卓の上に置いた。
それと同時に石は真っ二つに割れた。
二つに割れた石はどういうわけか、生まれて間もない赤ん坊に変化した。
ただしその赤ん坊の額には、計三本のこぶ程度の小さな角が生えていた。
鬼の子だとすぐにわかった。
私は鬼のことには詳しくなかったが、鬼には親から生まれる鬼と、自然物から突然発生する鬼がいるらしいことは知っていた。そして、後者は現世にはありえないことも知っていた。
それがわかったところで、ソレをどうするべきかはわからなかった。
考えあぐねていると、赤ん坊はふああと大きな声を上げて泣き出した。
まだ歯もない口の中に小さな牙を見つけ、混乱を極める脳が「かわいいなぁ」などと能天気な思考を混入させる。
そんな私に冷静さを取り戻させたのは、隣家からの壁ドンだった。「うるせぇ!」と壁越しに怒鳴りつける隣人に、私は同じく壁越しに謝罪した。
私は一人ではない。
このボロアパートに住んでいるのは、一人残らず人間に擬態した妖怪なのだ。困ったときに助け合うために集まっているのだから、こんな時こそありがたく頼らせていただこう。
そういうわけで、私は多くの妖怪、あるいは神々に助けられながら鬼の子ーーイクサを育てた。
光の速さで十年が過ぎた。
大切な日々だ。
あの時イクサを拾わなければ、ただの狸妖怪のまま、人間のふりをしたサラリーマンとして一生を終えていただろう。私自身の恋愛や結婚からは遠ざかったかもしれないが、そんなことよりも心踊る経験がいくつもあった。関わることのなかった人? たちがいて、身の程に合わない特権を得た。
私が殺されたのもイクサ絡みの理由だろうということは想像に難くない。そうだったとしても、それは私がイクサの養父であった証明でしかない。
私は十分以上に幸せだった。
私の死後の魂が幸福で満たされたとき、私の自我は消え、イクサの守護霊として現世に舞い戻った。
3
蒼柳惣右衛門の葬儀は分不相応なほどに盛大な規模で執り行われた。
馴染みの妖怪が経営している立派な葬儀場を貸し切って、現世だけでなく、幻世、葦原中津國からも神や妖怪たちが人の姿で参列した。
惣右衛門を冴えないただの平社員と思っていた人間の同僚たちは、要人並みの弔問客が集まる式に驚いたことだろう。これは蒼柳イクサの父の葬儀なのだ。
式が終わり、一般弔問客が帰っていくのをイクサは一人ずつ丁寧に、礼儀正しく見送った。子供サイズの喪服姿が、妙に疲れて見える。
「泣いてもいいんだぞ?」
顔の怖い制服警官がイクサの隣で囁いた。現世住まいの神の一柱、毘沙門天。ボロアパートの住人であり、イクサにとっては武術の師でもある。
「なんか、泣きたくないんだよね。」
イクサはそっけなく答えた。
イクサは父が死んだときに見せるべき表情を知らなかった。毘沙門にはそれが強がりにも見えたが、無理強いはしないことにした。
「そうか。じゃあ、泣かなくていい。」
「うん。」
二人は連れ立って葬儀場内の大広間へ戻った。
十、八、十畳をぶち抜いた縦長の座敷には、人ならざるものが所狭しと座して会議をしていた。
彼らは人間の参列者がいなくなったとわかるや否や、人の姿をやめたらしい。もはやこの世の光景ではなかった。
神や妖に混じって、麒麟や鳳凰といった瑞獣・神獣の姿も見られる。葬儀に縁起モノを持ち込むのはマナー違反ではないだろうか。
彼らが話し合っているのはもちろん、イクサの今後の身のふりについてだった。
入り口近くにいた妖がイクサと毘沙門の入室に気づいて声をかけてきた。
「おう、鬼の子。次は誰のところへ行きたい?」
養父を亡くしたばかりの子供にかける言葉として、あまりにも配慮を欠いていた。
それを咎めるものなどいるわけもなく、一同はイクサの答えを待った。
イクサは振り返り、毘沙門の顔を仰ぎ見た。
「一番早く大人になるには、誰のところに行けばいい?」
「……へぁ?」
毘沙門は間抜けな声を上げた。普段は頼れる兄貴肌の武術師範なのだが、肝心なところではいつも役に立たない。
イクサの言う「大人」の意味を測りかねて、答えに詰まる。
「ソウちゃん以外の親はいらない。」
見かねたイクサは補足する。悲しみとも怒りとも受け取れる冷たい口調だった。
毘沙門は何かに気づいて身を屈め、正面からイクサの目を見た。
「お前、惣右衛門の敵討ちでも考えてるんじゃないだろうな!?」
「敵を討ったら、ソウちゃんは帰ってくるの?」
「帰ってくるわけないだろ。」
「じゃあ、そういう意味のないことはやらない。」
「意味ないって何だよ!? 父親を殺されたら怒るもんだろ! 殺した奴のことを、殺したいくらい憎いもんだろ!」
「わかんないけど、ソウちゃんは僕にそういうのを望まないタイプの親だから。やらない。」
「やらないのかよ!」
「落ち着いてよビシャ。師匠なんだから止める側であってよ。」
呆れた顔でイクサが言う。
「ビシャって呼ぶな。」
毘沙門の方が精神的に子供だったと気付かされ、照れ隠しを吐き捨てた。
茶番が終わるのを見計らって客の中の一人が手を挙げ、イクサらに向けて声をかけた。
「それなら、うちに来ないか。」
声の主は立ち上がり、座敷の最奥から入り口の二人のもとに近づいてきた。神々や神獣たちまでもが頭をたれ、道をあける。
他の客よりも人に近い形をしている。額の真ん中にまっすぐの角、鍛えられた長身に詰襟型の黒の礼装を纏い、後ろで束ねた銀の長髪が一歩ごとに揺れる。気品があり、見るからに位の高そうな鬼だった。
そんな高貴な存在がイクサの前で立ち止まり、片膝立ちで視線を合わせる。
「私の軍に入れば、すぐにでも大人になれるよ。」
「誰?」
イクサは顔色一つ変えなかった。背後の毘沙門が慌てて頭を下げさせようとするのを、青年は笑顔で制した。
「申し遅れた。私は一鬼。幻世の鬼王軍総司令にして、鬼王の第一王子。イクサ、いや全能の鬼神、私には君の力が必要だ。」
一鬼王子は爽やかな笑顔で握手を求めた。
”全能の鬼神”という言葉を、イクサはこの時初めて耳にした。イクサに課せられた役割に関わる何かだろう。
三つの世界のあらゆる人外がイクサを欲しがったが、誰も異議を唱えない。一鬼王子と対等に張り合える者などいないからだ。現世の妖怪たちでさえ、そうすることがイクサにとって一番いいと思った。
しかしイクサが一鬼の手を取ったのは、握手のためではなかった。
「ソウちゃんの匂いがする。」
呟いた次の瞬間には一鬼王子の顔面に強烈な右ストレートを叩き込んでいた。
鬼王軍総司令ともあろうものが、不意打ちとはいえ十歳の子鬼の攻撃を喰らうものだろうか。実際は不意打ちどころか、殺気を抑え込んだ鋭い眼光に身が竦んで動けなかったのだ。王子という身分に甘えて鬼神をなめていた報いだ。
一鬼は大衆の面前で子供に殴られ、周りの数名を巻き込んで無様に倒れた。高貴な顔が子供の拳の形にくっきり凹み、おまけに鼻血まで流した。何故殴られたかもわかっていない様子で、追撃に怯えている。
毘沙門をはじめ、イクサと親しい妖怪たちの誰も、父親でさえも、イクサが唐突に感情に任せて暴力をふるうところを見たことがない。そのために、反応が二手も三手も遅れてしまった。
「やめなさい!」
毘沙門がイクサの肩を掴んだのは、一鬼の胸倉を捕まえた後だった。
「急にどうしたんだ?」
「こいつがソウちゃんを殺した。」
イクサは一鬼を睨みつけて静かに言った。一鬼の右手の袖口からかすかに、あの時の血の匂いがした。ついさっき敵討ちはしないと師に宣言したにもかかわらず、ふつふつと湧き上がる未知の感情に抗うことができなかった。
毘沙門は黙って手を放す。あのイクサが、と感涙が込み上げて両手で顔を覆った。
「違う! 俺じゃない!」
二撃目が繰り出されそうになるのを見て、一鬼は怯えきって必死に否定した。総司令の威厳も、王子の気品も既に欠片もない。
イクサにも一鬼が犯人ではないことくらいはわかっていた。
惣右衛門の血の匂いはしたが、直接触れたような濃い匂いではない。ただし確実に一鬼の身近にいる。
「じゃあ、誰がやったの?」
「知らない!」
睨みつけただけで一鬼はべそをかきかけている。
イクサは一鬼から視線を外し、座敷内の客たちを見渡した。怯えるもの、逃げるもの、見ているだけのもの、楽しそうに参戦の準備をするもの……。顔見知りの現世妖怪たちが、それらを、あるいはそれらから護るように最前列を囲う。
じりじりと焼けるような緊張感が縦長の座敷を支配していた。
廊下の足音が響くほどの静寂は長くは続かなかった。
「いやぁ、ウォシュレットが壊れててさ。」
全員が膝から崩れ落ちそうになった。
文脈を完全に無視した気の抜けた台詞とともに、パツパツの喪服を着崩した大柄の男が乱入してきた。
「朱雀さん、来てたんですか?」
毘沙門は自身より少し体躯の大きいその人物を振り返って見上げた。
「ひどいなビシャ。ずっといたよ。便所は行ってたけど。」
朱雀と呼ばれたこの人物は、四神の朱雀ではなく朱雀という名の人間である。葦原中津國の鬼退治、百瀬朱雀。御三家とかいうたいそうな肩書の名家の当主で、幻世の身分制度の枠組みの外にいる。
鬼退治は幻世と現世の治安維持を担いながら、伝令役や異例の事態への対処も担当している。当然、イクサとも馴染みが深い。
「何? 喧嘩?」
騒ぎの中心を見つけた朱雀は心なしかワクワクしている。
掴みどころのない豪快な人物ではあるが、この殺伐とした場面を収められる唯一の人物であると期待できる。
「百瀬! その鬼の子を今すぐ捕らえろ!」
座敷の奥から叫ぶ声が届いた。一鬼より格下とわかる黒の詰襟礼装、下半身は白蛇、上半身は白髪痩身の若い人型の男。半蛇男はヒステリックな叫びとともにイクサを指さす。
ターゲットを一鬼から半蛇男に切り替えて飛びかかろうとしたところを、朱雀は反射的に首根っこをつかんで止めた。子供とは思えない力で暴れるイクサを鬼退治の特殊な力で眠らせ、どこからともなく取り出した大きな袋ですっぽりと包み、口を縛った。
朱雀は一連の動きを淀みなく、こともなげにやってのけた。
半蛇男は人外たちの間を縫って座敷の奥から入り口まで這ってきた。
「よくやった。その鬼の子は一鬼王子を殴ったのだ。不敬罪だ! 死刑だ! そのまま幻世に連れていけ!」
「まあまあイヲリさん、うちのイクサが何もないのに王子サマを殴るわけないでしょ。何したの?」
うちの、とは聞き捨てならないが、朱雀はイクサの性格をよく知っているのも確かだ。権力者よりも信じるに値すると判断してくれた。
イヲリと呼ばれた半蛇男は朱雀の問いには答えない。
代わりに毘沙門がことの顛末を簡単に伝えた。
朱雀はなるほどと呟いてぼさぼさ髪の頭をかき、少しだけ何かを考えた。
「イヲリさん、イクサはうちで預かってもいいかな?」
「いいと言うと思ったか!? 大罪人だぞ。」
イヲリは蛇の尾を畳に叩きつけながら反対した。朱雀はそれを無視して、イクサの入った袋を雑に叩いて語りだした。
「惣右衛門に聞いた話、こいつには感情がないらしい。笑い方も泣き方も怒り方も、大人が教えた。最適な表情を選ぶ訓練を受けて、普通の人間のように振舞っていたんだ。」
そうだろ、と毘沙門に目配せをした。毘沙門は雰囲気でうなずいたが、もちろんそんな話は聞いたことがない。
「だからどうした?」
「こんな風にブチ切れて暴れることなんて今までなかった。失礼ながら、次はアンタらにコレを止められるとは思えない。」
「なら、今ここで殺せば良いのだ!」
イヲリの失言に、妖怪たちは即座に反応して一斉に睨みつけた。
それを見て朱雀はにやりと笑い、今度は座敷内にいる多種多様なお偉方に向けて言った。
「皆さんもご存知の通り、この子は特別な使命を持って生まれた鬼神だ。殺してしまえば代わりはいない。だが、ないはずの感情に任せて暴れたり、使命を放棄したりすることが今後ないと言えなくなった。ならば感情と力を制御する教育をするべきだ。よって俺は、俺の保護下で、イクサに鬼退治の訓練を受けさせることを提案する。」
結論まで一気に話し切って、朱雀はゆっくり座敷を見渡した。
胡散臭いどころではない。
場内はざわざわと賛否に分かれての相談が始まった。
そんな中、イヲリが「否」の立場で物申す。
「冗談ではない。鬼が鬼退治など、聞いたことがないぞ。」
「百瀬の先祖は鬼なんだが、イヲリさんはご存知ないか? 桃から生まれた桃太郎。」
「適当ぬかすな!」
イヲリは声を荒げた。
朱雀は舌を出してウィンクして見せた。筋骨隆々のおっさんがやっていいポーズではない。
「やってみりゃあー、ええんじゃないか。」
頭に角のある派手な服の老爺が口を挟む。見た目も話し方も、麒麟ですというオーラしかない。
「世界の変化など、何千年と生きとる儂でもそうそうお目にかかれるものではない。いずれの時も、ようわからん事ばっかりじゃった。儂はこの歳になってもおもろいもんが見たいんじゃ。」
他の人外たちも麒麟が言うならと「賛」に傾いた。
イヲリはどうにかこの戦況を覆せないかと策を模索するも、今この場でとれる最善がない。もう帰りたかった。
隙だらけのイヲリの隣にいつの間にか、朱雀が立っている。
「惣右衛門を殺したのはあんただろ?」
ニヤケ面の朱雀は耳打ちした。イヲリは総毛立ち、後ずさる。
朱雀はわざとらしくイヲリの肩を抱き寄せ、頬を密着させた。
「黙っててやるからおとなしく引き下がれ。そして二度とイクサの前に姿を見せるな。」
低く小さく、どすの利いた声に、蛇の心拍数は跳ね上がる。
捨てるように背中を押され、イヲリは肯定も否定もせずに座敷を出て行った。
「一鬼様、いつまでべそべそしてるんですか!?」
廊下から負け犬ならぬ負け蛇の怒号が飛ぶ。白蛇の尻尾を伸ばし、袋を警戒し続ける彼の主を雑に回収した。
この場の顔ぶれに耳打ちなど意味はない。そもそも真相は筒抜けである可能性すらある。ならば何のための茶番であったか。
袋の中で眠ったふりをしていたイクサの耳には届いていた。
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