K_night Parade【第二話】
葦原中津國へ
1
イクサは袋詰めにされたまま葦原中津國へと荷物のように運び込まれた。
風景は現世と大差ない。
ノスタルジックな山間の田舎にありがちな木造平屋の一戸建て。それが、百瀬朱雀が当主を務める鬼退治百瀬家の本邸である。
朱雀はサンタクロースよろしく担いでいた大きな袋を、帰宅零秒で床に投げ捨てた。
「いい加減出てこい!」
ピクリとも動かない袋を怒鳴りつけた。
返事はない。
重量だけは確かにある、中にいないのではないかと疑った。
監視下にある密封された袋からの脱走は困難だ。だが、イクサならやりかねない、と慌てて中を改めた。
袋の中には黒い塊があった。呼吸で背中がかすかに上下している。
イクサは袋詰めにされた時のままの格好で団子のように丸まっていた。
「おーい……」
無視された。
「罠にかかった狸かよ。」
朱雀が呆れて呟いた「タヌキ」の三文字には、ほんの一瞬、ほんの僅かに反応した。
それは野生の狸の習性であって、育て親とは一切関係がないのに、だ。
「ファザコン。」
「悪い?」
イクサは朱雀の罵声にようやく反応した。
やっぱり起きていたじゃないか、と朱雀は言いかけてやめた。育て親を亡くして、その葬儀の最中に知らない場所に連れてこられたのだ。感傷に浸る時間としては短すぎるくらいだ。しかし、袋から出ようともしないのはさすがに心配だった。
「悪くはないさ。泣いてんの?」
「泣いてない。」
涙声ではないが、弱々しい声だった。
「嘘つき。」
「泣けないんだよ。知ってるんだろ。」
「マジ?」
「は? だって、あんたさっき……」
イクサは口を滑らせてはっとした。
葬儀場の座敷で、朱雀がイクサのことを感情がないと言った時、イクサは袋の中で眠らされていたはずだった。
「さっき? いつのことだ?」
朱雀は気づいていたらしい。あるいは、初めから眠らせてなどいなかったのかもしれない。
件の話はイクサを連れ帰るためのハッタリだったが、嘘というよりあてずっぽうだった。そしてそれは図星だった。
イクサに感情がないことは育て親にさえ隠していた。現世の妖怪たちはイクサのことを盲目的に可愛がっていたために気づいていなかったが、朱雀はなんとなく感づいていた。
「ちっ……」
心の底から自然と湧き出した舌打ちだった。
泣いているふりはできるのに、泣くことができない。彼にとって、ないものをあるように振舞うよりも、それを制御する方が困難だった。生まれて初めて湧いてくる無数の異なる感情とどう向き合えばいいのかわからずに混乱していた。
「出て来いよ。そんなにその袋が気に入ったのか?」
「そんなんじゃない。ほっといてよ。」
「欲しかったらあげようか? その袋は、とある妖怪から譲り受けた由緒ある一品、先祖代々受け継がれた《隠神刑部の八畳敷》だ。」
袋の正体を知るや否や、イクサは慌てて飛び出した。
それは所謂、狸の金玉である。
「なんつー袋に入れてんだよ!」
「安心しろ。ちゃんと洗ってある。」
朱雀が何か言うたびにイライラが増す。感情というのは、面倒なものだ。
とはいえ、イクサは鬼退治の修行をするために朱雀に引き取られた。
適応するしかない。鬼退治になりたいわけではないが、感情と力の制御を学ばなければならないのは事実だ。ただ、それを教えるのは他でもない、百瀬朱雀である。不安しかない。
「ねぇ、玄関で何騒いでるの?」
家の奥から声がした。意外ではないが、家族がいたらしい。廊下の突き当りの手前の部屋から少女が顔を出した。
「お客さん?」
少女はイクサを見つけて小首をかしげて見せた。
歳はイクサと同じくらい。ほんのり茶色がかったボブヘア。赤い瞳のぱっちりと大きな目。柔らかそうな白い肌。無地の白いTシャツにショートパンツという、無防備なコーディネート。
ただし、無防備なのは見た目だけである。
先の台詞を言い終わるよりも早く、イクサの喉元を目がけた鋭い上段蹴りが飛んできた。
イクサはわけもわからず、咄嗟に右腕で防御した。
「何? 誰?」
「それはこっちの台詞。」
少女は片足を挙げたままの姿勢でイクサを睨みつけ、問い返した。
「鬼が鬼退治の家に何の用?」
少女の問いはごもっともだ。イクサは朱雀に視線を送って助けを求めようとした。朱雀は腕組みをしてニヤニヤしている。何を考えているのか理解しがたいが、頼りたくなくなった。
少女は、己が問いに答えないイクサに追撃する。身のこなしは舞うように軽く、拳と脚は空を切る度に豪音を掻き鳴らす。速度も強度も緩急があって読みづらい。訓練された玄人の動きだ。
「話すから。落ち着いて!」
イクサは少女の攻撃を躱しながら説得を試みる。
しかし少女の攻撃は回避するごとに加速する。聞く耳を持たないというより、躍起になっている。初撃の上段蹴りが予測よりも重かったことから、防御は得策ではないと判断したのだが、煽りと捉えられたようだ。
じっとしてもらうには、応戦するしかなさそうだ。イクサは少女が着地する際の軸足を狙って足払いをかけた。同世代の子供の喧嘩に巻き込まれたときにも同じ方法をとる。
ただの人間の小学生ならそのまま転んでくれる。だが、格闘技術の高い少女は重心を移動して転倒そのものを回避した。それもイクサの読み通りだ。その一瞬の隙に背後に回る。少女の両の膝裏に自身の膝を押し当て、強制的に膝の関節を曲げさせる。とある名前の付いた子供騙し。
少女の姿勢が低くなったところで頭の上にイクサの手のひらを乗せる。少女は立ち上がれない。
「話、聞いてもらえる?」
息をついたのも束の間。
屋敷の奥から微かな風を切る音とともに、殺意の乗った一本の矢が放たれた。一撃でイクサの頭を打ちぬく算段の軌道は、正確すぎて逆に簡単に掴み取ることができた。ぎりりと弦を引く音を、鬼の聴覚が感知する。
二射目が来る。
イクサは最優先で対処するべく射手のもとへ駆けつけ、離れと同時に弓と矢を奪い取った。奪った弓矢を丸腰の射手に向けて番える。
射手は優しそうな顔立ちの青年、いや少年だった。矢を向けられても怯えるどころか戦意を損なわない。戦う者の眼。自分が死なないことを確信している。それは、三人目の戦士への絶対的な信頼に由来していた。
対峙する前の気配だけで、全身が総毛立つ。
気配の主はありったけの殺意を込めて剣を振るう。
イクサは紙一重で躱したが、首を切り落とされる想像をしてしまった。おそらく、前の二人とは比べ物にならないくらい、強い。
まだ繋がっている首元をなぞると、口角が勝手に上がった。
抑制していた鬼神の本能が呼び覚まされる感覚。
「イクサ」という名前は、この闘神を大人になるまで封じるために与えられた呪名である。現世の大人たちに愛情をこめてその名を呼ばれ、生命の危機から遠ざかるために戦い方を教えられ、現世に存在しないはずの石精が生まれた意味を聞かされた。イクサは石精であり、鬼神でもある。ただの鬼神でさえなく、この世界の行く末を左右する闘神であることを予言され、生かされた。
この数日の間に、ないはずの感情を揺らされる出来事が立て続けに起こった。そのせいで闘神に目覚めの兆候が表れてしまっていた。
戦場の空気は、闘神にとって快楽そのものである。
大人たちが過保護なほどにイクサを「戦」から遠ざけた理由を、生まれて初めて理解した。
こんなところで、今日までの日々を無駄にするわけにはいかない。
イクサは大きく息を吐き、奪い取った弓と矢を捨てて両手を挙げた。
降伏の姿勢である。
顔をあげると鬼の子のイクサよりも凶悪面相の人間の青年が、構えた太刀を降ろすところだった。
三人目である彼がどれほど強い戦士であったとしても、たぶんイクサが負けることはないだろう。ただ、今この場は勝つことを目的に戦ってはいけない場面だった。
イクサは三人に向けて何かを言いかけた。
しかしそれはバカでかい拍手によって遮られ、停戦を請う重要な第一声は台無しになってしまった。
「いいね! 合格だよ、イクサ!」
朱雀の豪快な笑い声が屋敷の玄関から続く廊下に響く。
このとき、四人はすべてを理解した。
2
「どうぞ、召し上がれ。」
弓手の少年が山盛りのごはんをイクサの前に置いた。戦意のない微笑みは中性的な美しさが際立つ。金に近い薄茶色の髪は現世なら不良の象徴だが、柔らかな灰青の瞳と相まって真面目で優しそうな印象だ。
百瀬家の食卓に招かれたイクサは、緊張したような顔で行儀よく座っていた。もちろん実際は緊張などしていない。よそのおうちにお邪魔したときの表情をして、家人を観察している。
「おいしそうでしょ。全部お兄ちゃんが作ったんだよ。」
と斜め向かいから少女が自慢気に言う。
「すごいね。これは何?」
食卓の上に並ぶ名前のわからない大皿の料理を指さす。料理もその食材も現世と少しだけ異なるようだが、見た目も匂いも間違いなくおいしそうだ。
「それは”カラアゲ”。現世の唐揚げと全然違うだろ。」
少年は微笑み、空席に腰掛ける。
「”カラス”っていう葉で肉や魚を包んで焼いたもので……」
長くなりそうな料理のうんちくが始まりかけたのを、剣士の青年が軽く睨んで止めた。
食卓の中で彼だけが仏頂面だ。朱雀と同じ黒髪金眼であるが、笑った顔が想像できないくらいの凶悪面相。それよりも目を引くのは、肘上から先が欠損した右腕である。切断面は完全に皮膚の色で、傷口は見えない。Tシャツの袖がピッタリフィットするほどに鍛えられている。イクサが注視していることを察したのか、青年は右腕を椅子の後ろに隠した。
「さてと、じゃあ飯にしようか!」
朱雀が手を合わせると三人が続く。イクサもそれに倣った。
「いただきます!」
百瀬家の四人は声をそろえて唱えたそれは、現世の食事の作法と同じだった。
葦原中津国は現世とは別の世界であるが、何千年か前までは一つの世界だった。こんな何気ないところに共通項があるとは思っていなかった。そういえば食器も現世と同じ箸や茶碗が違和感なく並んでいた。主食も白米だ。イクサが思うより、遠くない場所なのかもしれない。イクサは安心という感情を覚えた。
「食べないの?」
手を合わせたまま不動のイクサに少女が問いかける。
「わかった、お箸が使えないんだ!」
「バカにすんな。」
少女の無神経さに、朱雀との血縁を感じた。
「私は魍喪。百瀬魍喪ね。”カラアゲ”、すっごくおいしいんだよ。」
魍喪の発言は気まぐれにはねて知性を感じない。出会い頭の戦闘狂よりは見た目通りかもしれない。
「作ったのは俺だけどね。」
少年が呆れて口を挟む。
「俺は次男の魅狩。魍喪のお兄ちゃんです。」
魅狩はイクサの取り皿に未知の料理を取り分けて、きれいに盛り付けてくれていた。
「父さんから、亡くなった友達の子供を預かるかも、とは聞いていたんだ。鬼だとは思わなかったけど。」
つまり、その情報を得ていながら頭部を狙撃したらしい。”敵”に対して容赦ないタイプのようだ。
「聞いていたなら言っておけ。」
と三人目。
その一言だけで続きはない。
左手で箸を扱い、おかずと白飯を交互に口に運ぶ。
「こちらは魑斬兄さん。口下手というか、無口というか、不愛想というか……。」
お喋りの好きそうな魅狩が魑斬本人の代わりに紹介する。
「さ、料理が冷めないうちに食べな。えーと……?」
「蒼柳イクサです。じゃあ、いただきます。」
どことなく引っかかりを感じつつも、良い家族だなと羨んだ。”カラアゲ”とかいう自らの知るものとは異なるそれを口にした。
「うんま!」
イクサの知る唐揚げの味だった。
魅狩に勧められるままに、次々と料理を口に運んだ。
ふと顔を上げると百瀬家の面々がそれを見守っている。
イクサはふと我に返って、静かに箸を置いた。
気を許してはいけない。入れ込んではいけない。
惣右衛門や現世の妖怪たちに対してもそうであったように、一線を引かなければならない。
「どうした? 遠慮しなくていいんだぞ。」
「朱雀さん、やっぱり僕は不合格だ。」
「あ? 俺が合格って言ったら合格なんだよ。おめでとう。今日からお前は鬼退治見習いだ。」
表情を失うイクサを兄弟たちが心配そうに覗き込む。
「それはいいんだけど、そうじゃなくて。歓迎ムードで有耶無耶のまま受け入れてもらうのは、フェアじゃない。」
う、と朱雀は言葉に詰まる。
友人の遺児を預かること自体が特殊な事例だ。それが普通の子供であったとしても、家族の理解は不可欠のはずだ。
「父さんが決めたんだから良いんだよ。」
「どうせ聞いてもわかんないし。なるようになるでしょ。」
魑斬と魍喪は言うだけ言って、興味なさそうに食事を続行する。
「そうじゃなくてさ、知っておかなきゃならないことがあるんでしょ。興味持ちなよ。」
まともに聞く耳を持ったのは魅狩だけだった。箸を置いて兄と妹を嗜めた。
「興味ならあるよ。イクサは年いくつ?」
「一昨日、十歳になった。」
「じゃあ、私の方がいっこお姉ちゃんだ。」
魍喪は口の周りをソースで汚したまま微笑んで、茶色い塊を口に運んだ。
「俺は聞くけど、いいよね?」
魅狩は何故か朱雀に確認をした。
この家での朱雀の立ち位置がいかに絶対的であるかを理解した。イクサは朱雀が頷くのを待って話はじめた。
「ご存知の通り、僕は鬼の子です。養父を亡くして、朱雀さんのもとで鬼退治の修行をさせてもらうことになりました。」
「別に良いじゃない。うちの先祖も鬼だし。」
魍喪は話題の深刻さを理解していないらしい。
「普通の鬼じゃないんです。重大な使命のために創られた命。替えの利かない存在。僕の役割を知るものは僕を欲しがる。僕を所持するということは、命がけで僕を護るということ。縁もゆかりもない鬼の子のために、誰にも命を懸けてほしくない。それでも僕は、役割を果たす時まで生きなければならない。これから先、一方的に、鬼退治を利用させてもらいます。」
イクサは一息に話す間、百瀬家の面々を順に何往復も眺めた。
椅子にもたれて天井を仰ぐ朱雀。
手を膝に、姿勢を正して聞く魅狩。
箸を持ったまま頬杖をつく魑斬。
注目はするものの食事をやめない魍喪。
「使命って何?」
「世界の理を書き換える。」
一人、間の抜けた魍喪の問いには朱雀が答えた。
朱雀はイクサに向けてすっと手を挙げ、続きは自分が話すと合図した。
「今のまま世界が続けば千年後に世界が壊れてしまう。それを止めるためには、今の世界を少し変えなきゃならなくて、そのためにイクサの力が必要なんだ。」
朱雀は言わなければならないことと、そうでないことをうまく選んでくれた。若干誤解を与えそうではあったが、三兄弟は父が言うならそうだろうと頷いた。
「イクサを手に入れれば、世界を都合よく書き換えられるってことか。」
「どゆこと?」
「悪い奴がイクサを奪いにくるかもしれないから、迷惑かけるかもって。」
今一つ理解の追い付かない魍喪に魅狩が補足する。
「要は、護ればいいんだろ。」
低く、力強い声。
魑斬の頼もしいその一言は、不穏な空気を払拭した。
「簡単じゃない! 安心して、イクサ。私たちは強いから!」
イクサは、ズルをしているようで気が引けたが、同時に救われたような気がした。
