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三十四度の宿 二

 古くて雑な宿だが、何だか落ち着く。のみならず、どこか懐かしいようでもある。
 とりあえずコンビニへ買い出しに行くつもりで部屋を出たら、階段でおかみさんと出くわした。
「もう出かけるの?」
 そんなことを云われたって返答に困る。全体、いつ出かけようとこちらの勝手である。
「鍵は持ってていいですか?」
「玄関の受付に箱が二つあるから、どっちかに入れといて。どっちでもいいよ」
 どっちでもいいなら、最初から一つにしたら良さそうなものだ。
 受付にはやっぱり誰もいなかった。おかみさんの云った通り、小さな箱が二つ並べてある。箱はどちらも空である。鍵は右側に入れておいた。他の宿泊客に持って行かれやしないかと思ったが、この調子では他のお客などいないだろう。

 宿からコンビニまでは一応商店街だったらしく、いくつか店が並んでいた。その街並みもどこか見覚えがあるようだ。
 店のほとんどは既に閉まっている。営業時間が終わったのかずっと閉店したままなのか、それはわからないけれど、多分後者のような気がした。
 百メートルばかり歩くと駅があった。先月関東の奥地で出くわしたのと同じタイプの昭和の駅舎である。コンビニはその隣にあった。

 コンビニで買ったビールをひとまず冷蔵庫へ入れ、先に風呂へ入ることにした。せっかく大風呂があるのだからそちらを使うつもりで、タオルと着替えを持って一階へ下りた。
 脱衣所には棚とカゴがあるきりで、鍵付きのロッカーなどはない。鏡は洗面台の前に一枚あるだけで、ドライヤーはない。
 風呂に入ると、壁際にシャワーが四つばかり設置してある。そうして二畳半ほどの浴槽が壁際に作り付けられている。
 自分は身体を洗って湯に浸かりながら、あぁ、やっぱりそうだと得心した。この宿は、大学時代に世話になった学生寮と似ているのである。
 そう気付いたら、おかみさんが雑なのも、そうでなければならないように思われた。

 朝七時に食堂へ行くと、随分豪華な食事が用意してあった。適当なビュッフェスタイルだろうと思っていたので拍子抜けした。
「あらおはよう。トマトも食べる?」
「はい。いただきます」
 じきに、切ったトマトを一個分持って来た。よく冷えていて美味かった。
 食堂はテーブルを二列に並べ、壁にテレビを設置してある。やっぱり学生寮のようだった。

 チェックアウトしようと思ったら、やっぱり受付には誰もいない。それで自分は鍵を箱に入れて出た。そうして車に荷物を積んで出発の準備は整ったが、不意にこのまま出るのは何だか片付かないように思われた。恐らく二度と来ることはないけれど、だからよけいに、黙って去るのはムズムズする。
 中へ戻ると、おかみさんは食堂でテレビを見ていた。
「もう出ますね」
「あら、ありがとうね」
 おかみさんは立ち上がって玄関までついて来た。
「今日も三十四度まで上がるって。気を付けて行きなよ」
 三十四度なら、名古屋より一度低いと思った。
「じゃぁ、お世話になりました」
「ありがとうございました」
 おかみさんが深々と頭を下げた。


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