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小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(15)

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第7章 しょんべんかば子の回想 の3


 3年の秋、理由は何だったか忘れたけど、社会学科の同級生コンパがあった。比較的仲の良い友達と楽しく飲んでいたら、村田くんが「玲子、ちょっといい?」と話しかけてきた。村田くんは明るくリーダーシップもあり、同級生の間では学級委員のような存在だ。私も村田くんには好感を持っていて、それなりに信頼もしていた。だから村田くんの声がけも、クラスのことだろうと思ってついていったら、外でいきなり抱きつかれた。
「ずっと好きだったんです。」
「ちょっと、ちょっと、なに。村田くん、やめてよ。」
「付き合ってください。お願いします。」村田くんはかなり酔っていたみたいだ。
 後で聞いたのだが、周りが村田くんに「お前玲子をいつまでほっとくんだ? ずっと待ってんだぞ。思い切って・・・」と焚きつけたらしい。時代錯誤なアドバイスをする方も犯罪幇助で逮捕されてほしいが、完全にそれを信じた村田くんもアホの極みだ。強引に抱きついてきたので振りほどこうとして手を突っ張ったら、両腕を掴まれた。村田くんは私の両手を壁に押し付けて、顔がどんどん近づいてきた。ここで私にスイッチが入ってしまった。
「ふざけんな、このやろー!」という声が自然に出て、村田くんの顎を蹴り上げていた。両腕をつかんで私に顔を寄せてきた村田くんは、まさか顔の下から足が飛んでくるとは予想していなかっただろう。「ぶふぁっ」と妙な破裂音を口から発して崩れ落ちた。

「ここで鍛えた技は、外で使ってはなりません。いいですか?決して使ってはなりません。唯一の例外は、他に我が身を守る術がないと判断した時だけです。その時も、相手の動きを止める最小限の技を出しなさい。特にあなたは自分が思っている以上に強いのですから。」
道場の先生の教えを私は守っただろうか。足払いで十分だったのではないか。鼻と口から血を流してうめいている村田くんを見ると、ちょっぴり心が痛んだ。
「おい、こんな暴力、許されると思ってんのかよ。訴えてやる。」
村田くんがゼーゼー言いながら罵ってきた声が心の痛みを吹き飛ばした。
「何なら今から店に戻って、村田のバカが強引にキスしようとしたから蹴り飛ばしてやったら暴力反対と騒ぎ出したからバカバカしくなったんでもう帰る。とでも叫んでやろうか?お前、自分のしたことわかってんのか?卑劣な痴漢行為だ。一番恥ずかしい犯罪だ。下手したら退学だ。かあちゃんが泣くだろう。私は別にあんたを訴えようとは思わない。鼻血を拭いてまっすぐ帰るのならそれ以上追いかけたりしない。忘れてやる。でもあんたが自分の腐った行為を棚に上げて暴力だなんだときーきー騒ぐんなら容赦はしない。わかったら宣戦布告するかとっとと帰るか今すぐ選べ。」
私は自分の新しい能力を発見した。非常事態になると言葉がスラスラ出てくることだ。
村田くんは「くっ」と一言発して、そのまま帰っていった。その時の私は村田くんに対して怒りしか感じていない。でも、後になって自分の言葉を思い返すと、「かあちゃんが泣くだろう。」は言い過ぎたかもしれない。だって、私は現在の村田くんの家族を何も知らない。自分にかあちゃんがいるから相手もいるはずだと思うのは危険だ。
 ぷんぷんして大股で店に戻ると、一斉に拍手が起こった。どうやら何人かが外の様子を見ていたようだ。同じテーブルの女子は「玲子は悪くないからね。」と慰めてくれたが、もうほっといてほしかった。それに、村田くんの行為をクラスの全員が知ってしまった。決して私の責任ではないが、少し心が痛む。やはり足払いくらいで逃げてくればよかった。

 その次の日、私は学校を休んで東京に行った。明弘くんに会いたい。話をしなくてもいい。明弘くんの顔が見たい。そう思ったらもう自分を止められない。朝一番の新幹線に乗り東京を目指す。東京から山手線に乗り換え池袋、そして西武線で所沢に向かう。幼稚園の年長から小2の夏まで過ごした町が迫っている。もう10時を過ぎている。明弘くんはきっと大学だ。会えないだろう。それでも構わない。5人で遊んだ公園に行くんだ。ベンチに腰掛けてお茶を飲みながら、4人の男の子と自分の姿を思い出すんだ。
 所沢駅から20分歩いて、昔住んでいたアパートに着いた。住宅街の中にある、特に特徴もない2階建てのアパート。茶色の壁も昔のままだ。
 突然時間がぐるぐると遡り、ドアをバーンと開けて少2の自分が飛び出してきた。その時の私は「れこちゃん」だ。れこちゃんはピンクのセーターを着てアパートを飛び出すと、左に100m走る。私もれこちゃんを追いかけて走る。れこちゃんはT字路を左に折れる。途中、2つの十字路は車が来ないのをしっかり見てからまた走る。すぐそこが公園だ。公園にはすでに4人が待ってる。れこちゃんは息を切らして4人の輪に入ると、メンバーが揃った小2の子供達はヒーローに変身だ。私はベンチに腰掛け一番元気に叫ぶれこちゃんを見る。うん、生き生きしてる。やっぱりここが自分の居場所だ。明弘くん、修くん、草太くん、ゆうすけくん、みんなに会いたい。今、大人になった4人がここに集まったら、きっと私は泣いちゃうだろう。でも会えなくてもいい。ここに来てよかった。私はここにくるべきだった。今日はこの公園で過ごそう。このベンチに座って、あの頃の5人をもう少し見ていよう。

 その時、公園の向こう側を急ぎ足に通り過ぎる青年を見つけ、それが明弘くんに違いないと直感した。小2から会っていなけど、どこか面影が残っている。ああ、会えた。明弘くんに会えた。神様ありがとう。昨日の出来事がなければ私はここにいなかった。ゲス野郎だけど村田くんありがとう。思い切ってここまで来た自分ありがとう。
 私は明弘くんを追った。心臓がばくんばくんして頭がくらくらする。今までいろんな男からストーカー行為を受けて、その度に「くそ野郎!」と心で罵ってきたが、その私がサングラスにマスク姿で明弘くんを追っている。私もくそ野郎だ。そうか、みんなもこんな気持ちで私を追いかけていたのか。ちょっと悪いことをしたかもしれない。とにかく私はくそ野郎になって明弘くんを追った。明弘くんは所沢駅から西武線で池袋に向かう。私も明弘くんと同じ列車に乗り込んだ。もう昼すぎで、座席はところどころ空いていて、明弘くんは普通に腰掛けた。私は少し躊躇したが、バレるはずがないと思い、隣に腰掛けた。体が熱い。心臓はますます活発に動き、こめかみに血圧を感じる。うつむいて、ぎゅうっと握った自分の手を見ているが、五感はすべて明弘くんに集中している。ああ、私は何をしてるんだろう。バカみたい。でも嬉しい。
 池袋で降りた明弘くんのすぐ後ろを歩いて、そのまま山手線に乗った。車内はガラガラで、隣に座るのもわざとらしいので、向かい側に腰掛ける。思い切ってサングラスとマスクを外して明弘くんを見つめる。スマホを見つめていた明弘くんが一度だけ顔を上げて目があった。まちがいなく明弘くんだ。明弘くんは私と目が合ったことに狼狽え、すぐスマホに目を落とした。そんな仕草がたまらなく素敵だ。
 新宿で降りた明弘くんの後ろ姿に「また会おうね。」と声をかけて、私はそのまま東京に向かった。
(つづく)


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