小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(1)
あらすじ
僕は坂下明弘。怪獣オタクの、自分で言うのもなんだけどあまりパッとしないサラリーマン。そんな僕が、何故か同僚の美しい宮本玲子さんと婚約してしまった。ところが僕を快く思わない玲子さんのクソ親父の口車にのって「1年後のマラソン大会でクソ親父の記録を破らないと結婚を諦める」と約束させられた。
それから僕は練習を開始。地元マラソン愛好会のオレンジ、爽やかな同僚の徹也、そして幼馴染の修の励ましとサポートを受けて力をつけた僕は、京都マラソンの舞台に立った。しかし、僕と玲子さんを引き裂く魔の手が怪しく忍び寄る。
第1章の1
ドアノブに鍵を差し込み右に半回転。シリンダーの動きを指先に感じる。静かにドアを開け「ただいまあぁ。」と声を上げるが返事はない。でも、僕には聞こえるんだ。何十もの声が。「おかえりー!待ってたよ。」「今日は僕を活躍させてよ。」「いや、僕だよ。」
「よし、待ってろよ。でもその前にシャワーとごはんね。」そう声を出してシャツを脱ぐ。いくつかの「早くしてねー。」の声。シャワーのコックをひねると最初に水が出る。だんだん熱くなるのを手で確かめて体を入れ込む。身体中の毛深いところにシャンプーを刷り込み、ざしざしと爪をたてる。それからナイロンタオルにボデイソープを2プッシュ。毛深くない部分をゴシゴシ。この間シャワーは出しっ放しだ。一度止めると再開した時に冷水が出るからだ。多少の後ろめたさはあるが、その分僕のシャワー時間は短い。5分かかるかどうかってところだ。
冷蔵庫には大根とさつま揚げの煮物がある。これを温めればおかずは完了。冷凍ごはんをチンしてできあがり。口をもぐもぐしながらテレビをつける。特にチェックすべき番組もなく、なんとなくチャンネルを動かしながらもぐもぐ。そんな夕食もあっという間に終わり、奥の四畳半に突入する。「わーい。待ってたよう!」という歓声があがる。そこにいるのはウルトラマンとセブン、そして怪獣たちのフィギアだ。
ウルトラマンなんて僕の親父世代の番組だけど、中学時代BSで再放送していたのを見てからハマった。ウルトラマンと怪獣に壊されるビルがいかにも作り物っぽく、でもそれが逆にカッコいいんだ。以来少しずつフィギアを集め、最近は自作の怪獣も含めると20体を超えた。テーブルの上には戦いの場となるジオラマも作ってある。よし、今日はセブンにメトロン星人をぶつけよう。山の陰にはゼットンを配置してみる。「2対1じゃ不公平だよー。」とセブンが叫ぶ。「わかったよ、それじゃブースカをつけてやろう。」セブンの横にブースカ降臨。これでどうだ。「ちょっと頼りないけど、これで頑張るよ。」今日のセブンは前向きだな。
僕は今年で27歳になるが、この「怪獣ごっこ」に飽きることはない。定期的に新人を迎え、舞台も少しずつバージョンアップを続けているから、どんどん世界が広がっていくのだ。若干子供っぽいかもしれないけど、別に人に迷惑をかけてるわけじゃなし、このまま生きていってもきっと問題はない。
ジオラマをいろんな角度から撮影してたら、いつの間にか11時になっていた。「今日はこれでおしまい。みんなおやすみー。」と声に出す。「明日は僕を出してね。」という声があちこちから返ってくる。
ネットの記事で「美しすぎる◯◯」という文字を見る。美しすぎるマネージャー、美しすぎる市会議員、美しすぎるプロゴルファー、美しすぎるスキーインストラクター、あと何があったっけ。そんな記事を見るとしっかりクリックして美しすぎる顔を確認するのだが意外に普通であることが多い。中にはちょっとかわいいとかちょっとだけ美人もいるけど、美しすぎるというほどではない。そもそも美しすぎるとは何だ。この記事を書いた記者は「マネージャーや議員は美人であってはならない。」とでも思っているのだろうか。どちらにしても本当の「美しすぎる」とはどういうものか知らないのだろう。「どうだすごいだろう。美しすぎるとはこういうのを言うんだ参ったか!」と言ってやりたいものだ。
僕の会社には、まさに「美しすぎる」としか形容できない人がいる。宮本玲子さんだ。玲子さんの美しさは、母体を芸能界においても偏差値70を超えるに違いない。眉はまっすぐで角度は10度。目は特に巨大ではないが切れ長で形が良く、憂いと意志の強さを同時にかもす瞳で見つめられると金縛りに遭うほどだ。すっきりした鼻と厚ぼったくない上品な唇。漆黒の髪はサラサラと肩口で揺れている。噂ではミス同志社大に選ばれた経験があり、街でスカウトされることも数知れず、時にはいかにも「お金はいくらでも湧いてきます。」と言いたげなおやじから愛人になってくれと懇願されることもあったという。だから玲子さんは外ではサングラスとマスクを外さない。その一点だけは気の毒に思う。それほど美しい玲子さんがどうして「ヤワタビニル株式会社」の事務員なのかは謎だ。さしずめ「美しすぎる事務員」だ。
4年前、玲子さんと僕は同期で入社した。その年の新人は3人。玲子さんと僕、そして本郷徹也だ。初日、玄関ホールで僕たち3人が紹介されたときの事はいまでも忘れない。玲子さんの登場と同時にホールは静まり返った。
「宮本玲子と申します。京都出身です。よろしくお願いします。」
生唾をごくりと飲むかすかな音があちこちから漏れ、口を全開にして硬直する男性もいた。
本郷徹也は、こちらも芸能界にいそうな顔立ちで、今度は女性社員の「あらぁ」という声が乱れ飛んだ。最後に僕が挨拶するとようやく集団はホッとしたようで、微妙な笑い声が上がった。言っておくが僕はブサイクではない。まあ普通の人間だ。でも、同期の2人があまりにも高水準なため、比較対象としての僕はかなりマイナスの印象を与えたかもしれない。
玲子さんはその美しさに似合わないほど無防備に笑顔を近づけてくる。ちょっとした打ち合わせや相談の時などは顔が15センチくらいに近づくことがあり、その攻撃を食らった男性社員は判で押したように必ず仰け反るが、玲子さんには男性を攻撃しているという認識は無い。玲子さんは女性にも男性にも等しく平等なのだ。そんな玲子さんが理解されるようになってからは、勘違いする男性社員はいなくなった。一方の徹也は、こちらも好青年だ。どうやらかなりの家のお坊ちゃんのようで、「じゃあ僕ヨット出しましょうか?」なんて一般庶民には意味のわからん言葉が出ることもあるが自慢してるという意識はない。仕事も明るくそつなくこなし、仲間の仕事ぶりにも「グッジョブ!」と親指を立てて賞賛するがこれもイヤミにならない爽やかさがある。玲子さんと徹也。これほどお似合いのカップルはいないだろう。それがわかっているから、社員の誰も二人にアプローチしないのだ。
今日も「ごはん行くひとーっ!」の玲子さんの声に数人が手を上げ、最近できた店に行きたいだの時間大丈夫かだのときゃっきゃと騒ぎながら出かけて行った。もちろんサングラスとマスクは忘れない。徹也は徹也で「ごはんガッツリ行くひとーっ!」と玲子さんの真似をして数人を集めていく。そのグループに、かなりの頻度で僕も含まれる。
「明弘、最近怪獣増えた?」スタミナ定食の大盛りをかっこみながら徹也が言った。
「うん、今セブンのカプセル怪獣を順番に作ってる。最初はウインダム。」
「いや、それ以上詳しく語らんでいいよ。よくわかんないし。でも明弘すごいよな。俺だったらちょっと恥ずかしくって言えないな。いやごめん、バカにしてるんじゃないよ。怪獣作りを仕事にしてる人だっているわけだし。でも、一般論な、あんまりモテそうな趣味じゃないよなぁ。良かったら一緒にテニスやってみない?」
ひょっとして徹也の実家にテニスコートあったりして・・いや、まちがいなくある。
「ありがとう徹也。でも、今の趣味、結構時間かかるんだよね。」
「まあ、そう言うと思ったわ。」
会社のほとんどは僕の趣味を知っているが、「ちょっと珍しい人」くらいの位置付けで、特に肩身の狭い思いはない。同期の「美しすぎる人」と「爽やかすぎる好青年」に比べれば怪獣オタクも撮り鉄もコスプレーヤーも「普通の人」扱いだ。趣味をネタにいじめられたりしないのは、きっと玲子さんと徹也のおかげだ。
そう、玲子さんは怪獣オタクの僕にもいつも優しい。時々「明弘くん、昨日の怪獣は?」と話しかけてくれる。写真を見せると「ほんとに上手よねー。すごいなー。」と感嘆してくれる。怪獣の話をきちんと聞いてくれるのは玲子さんだけだ。可能ならば玲子さんと結婚して毎日二人で怪獣のフィギアを作りたいが、僕はそんな勘違いを推進するつもりはない。玲子さんは徹也と一緒にテニスにも行くし、ヨットの話がでれば「きゃーっ、すごーい!」と叫んだりもする。でも、玲子さんは特別に徹也が好きなわけでは(きっと)なく、他の人にするのと同じように笑顔をぐいぐい近づけているだけだろう。いや、これは徹也に嫉妬とかじゃなく、普通に玲子さんを見ていればわかることだ。課長の剣道の話にも手をぎゅうっと握って興奮してるし、後輩佐藤くんの山登りの話にもうっとりした目で「行きたいなあ。」と呟いたりする。だから徹也も勘違いは(きっと)していない。でも、最終的に玲子さんは徹也と一緒になるんだろう。だって、どう考えても他の選択肢はないのだ。(続く)
こちら(第2話)が続きとなります
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第10話
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第11話
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https://note.com/1960fun/n/n0b460fa69a3a
第13話
https://note.com/1960fun/n/n717f02443298
第14話
https://note.com/1960fun/n/n1153067777c7
第15話
https://note.com/1960fun/n/n020f6554b414
第16話
https://note.com/1960fun/n/nb3937ba3300e
第17話
https://note.com/1960fun/n/n92670e08404b
第18章(最終章)
https://note.com/1960fun/n/nb119f3be10b5
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