小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(6)
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第3章の1
「それじゃ、みんなに紹介しまーす。新しく僕らの仲間になった···えっと、そう言えば名前聞いてなかったね。」
「あっあのー、坂下明弘と言います。よろしくお願いします。」
きらびやかなランニングウエアを着た10人ほどに拍手で迎えられ、僕は「千住歓走会」に入会した。ほとんどだまし討ちに近い入会だったが、聞けば会費があるわけでもなく時々懇親会があるだけだというので断る理由がない。それに「僕は会に入らなくてもいいです。」とか言ってしまったら汐入公園を走りづらくなる。オレンジにやられたと思ったが、逆に良かったのかもしれない。会のメンバーはほとんどお年寄りで、中にはこの人ほんとに走れるのかと思うようなじい様もいるが、走ればみんな自分より強いのだという予感しかしない。どうやら先週オレンジに叩きのめされたことがトラウマになったようだ。今日は空色のウエアを着ているオレンジは会のリーダーらしく、「それじゃ、それぞれ走りながら自己紹介してくださーい。」と声をかけ、集団はコースに散っていった。
僕が走り始めると、すぐにピンクのおばちゃんが並走し、声をかけてきた。「私、みどりって言いますねん。」ピンクのみどりさんは南千住駅の近くでスナックをやっているそうで、「今夜いらっしゃいよ。今日は歓迎キャンペーンで無料にするから。」という言葉に誘われて今夜は飲み会になった。その後も次々とメンバーがやってきて走りながら自己紹介が続く。「どこに住んでるの?」「何やってるの?」という当たり前の質問に繰り返し答える。おじさま(おじいさま)、おばさま(おばあさま)はそれぞれ簡単な自己紹介をすると、決まって「何歳だと思う?」と聞いてくる。これは結構なストレスだ。「いくつに見える?」というのは「ホントの年齢より若く見えているはずだ。」という信念があるのだろうから、実年齢より高く言うことは避けなければならない。でも、70歳と80歳の違いが僕にはよくわからない。その年になれば違いがわかるのだろうけど、小1の子供が高校生と大学生の区別がつかないのと一緒だ。そういえば怪獣たちは「僕、何歳だと思う?」なんて聞いてくることはないなあ。そんなことをふと思ったら隣で走る婆様も怪獣に見えてきた。怪獣オバゴン、あなたは一体いくつなんだ。少なくとも60代の人は歳をクイズにしないだろうと見当をつけて「70歳くらい··ですか?」と切り出すと、たいてい喜んで「違うわよー、はちじゅう··いち。」などと正体をバラしていく。年寄りの思考システムは怪獣より謎だ。
そんな緊張感と、そもそもあまりスピードを上げて走らなかったこともあって、あまり疲れも感じないまま1時間が過ぎた。今日もすっくと立つスカイツリーに見とれながら、そう言えばあれに登ったことがないなあ、今度玲子さんと一緒に行ってみようなどと考えていたら、背後からオレンジに「どう?」と声をかけられてぎゃっと飛び退いた。
「みなさん体力ありますね。」
「そだね。毎日走ってる人多いから、体力ってよりも慣れたって感じかもね。」
「ところで、おじさんの名前まだ聞いてませんけど。」
「あらそうだった?僕は花輪二郎。一応この会の会長ってことになってるの。」
二郎さんは近所で小さな町工場を経営してるということ、68歳であるということ、みどりさんのスナックに今夜自分も行くからよろしくと話していった。でも、花輪二郎という名前を聞いても、僕の中でこのじいさんはオレンジだ。
ピンク色のウエアを着たみどりさんの店の名前は「マーブル」だった。カウンターが6席、4人から6人くらい座れる大きさの違うテーブル席が4つ、店のキャパは25人くらいだろうか。僕が入った時には会のメンバーが数人飲んでいた。みどりさんによれば店の繁忙日は木金だそうで、土曜日は客足がすこし落ちるからこの日の歓迎会は大歓迎だとシャレみたいなことを言った。ビールを一杯いただき、その後は水割りでちびちびとやっているうちに少しずつ人も集まり、15人ほどの歓迎会となった。中には「僕、走ってないけど、よろしくう!」という人もいて誰がメンバーなのかはっきりしないが、それは問題ではないらしい。とにかく僕は「千住歓走会」の一員となった。
オレンジが顔をオレンジに染めて僕の事情を説明する。
「えっとぉ、明弘くんわぁ、来年の京都マラソンでぇ、5時間で走らなくてはなりまっせえん。」
おおと一同が反応する。よっ、がんばれーの声とまばらな拍手が出る。
「彼わぁ、5時間で走れないとぉ、結婚できないのでぇす。」
うおーとどよめきが広がる。
「これわぁ、彼の人生を左右するぅ、おおごとでっ、ありまあす。」
そりゃそーだわなと合いの手が入り、うーむと頭を抱えこむじいさんもいる。
「そこでぇ、会としましてわぁっ、新会員の明弘くんがぁ、めでたくぅ、満願っ、成就してぇ、絶世の美女とぉ、結ばれるためにぃっ、立ち上がるのでぇ、ありますっ!」
いいぞ、そうだ、と叫び声が上がる。
「今年度のぉ、千住歓走会のぉ、最大にしてぇ、唯一の目標わぁ、明弘の結婚だあ!」
拳を振り上げるオレンジに呼応し、スナック「マーブル」はだーっと湧いた。「大丈夫、私がついているから。」「だめだったらうちの孫娘をやる。」「俺の自転車を貸してやる。」という何の解決にもならない激励が飛び交いながら、会は怪しく盛り上がる。
やがて飲み疲れて一人またひとりと家路につき、「マーブル」は静けさを取り戻した。従業員のアイラさんを手伝ってコップや皿を片付けていると、若い男女グループが入ってきた。
「こんばんはみどりさん。4人だけどいいすか?」
「いらっしゃい。しばらく来なかったわね。」
「そうでしたっけ。そんな気がしないのは、みどりさんのキャラ濃いからかな。」どうやら時々顔を出す常連さんらしい。店の中はカウンターに座った僕と会のおじさん2人、それからテーブル席の若いグループだけになった。話からするとどうやら医療関係者らしい若者の話をBGMにしながら、残ったメンバーでまだ1年あるから大丈夫だろうとか、そもそも今何時間で走れるのかだとか、俺が自己新出した時はこうしただの、思いつくまま喋っていた。時々見るともなしに若者に目をやると、不思議そうな顔をしてこちらを見ている男性がいる。はて、どこかで会ったような気もするけど酔いも回って頭が働かない。でも見たことあるような。こんな場合は「俺だよ俺、わかるか?」と試されたり、こっちもわかっていると思い込んで、「おー、久しぶりい!」と一方的に話されると苦しい。それくらいならお互いに正解を見つけられずに別れた方がよほど精神衛生上好ましい。
「明弘くん、明日も走るよね。」みどりさんの言葉に若者が反応した。
「やっぱ明弘だあ。なんか似てるって思ったんだ。」
若者が声をかけてきたが僕はまだ解を得ていない。
「俺だよ俺、修だよ、お·さ·む。」
「えーっと···おさむ?···。」
「おめー忘れんなよな。ダイナブルーの修だよ。」
セピアの写真が突然フルカラーのハイビジョン動画に変化したように、20年前の記憶が溢れてきた。戦隊シリーズの第24弾、「恐竜戦隊ダイナソーファイブ」に夢中だった小学生の僕。そうだ、レッドの雄介、ブルーの修、イエローは··ああ名前が出てこない、僕がグリーンで、そうそう、ピンクはカバ子だった。一度きっかけをもらえると記憶というのは驚くほどに正確に蘇る。ダイナソーファイブと一緒に灼けた畳やパーマ屋帰りの母ちゃんの髪の匂い、麻美の泣き声、公園のブランコのキイキイ軋む音、滑り台から飛び降りて骨折した左足小指の痛み、押入れの秘密基地、そいつらがダムの放水のように次から次へと押し寄せ、僕の全身をびしょびしょに濡らした。
「明弘、泣いてんのか?」
「修、なんでここにいる!」
「なんでって、おれ職場そこだし。」
「お前何やってんの?」
「医者。」
「いしゃあ?」
「うん、去年から千住総合病院で小児科医。」
「すげー!」
僕たちの戦隊ごっこは、小4くらいで自然消滅した。雄介がサッカー少年団に入り、メンバーが足りなくなったことが決定的な理由だが、そろそろ戦隊モノや怪獣を卒業する時期だったのかもしれない。その時すでにカバ子は引っ越し、黄色の、あー名前出てこないあいつも小5の春に引っ越した。修はなんちゃら大学付属中学校を受験して合格し、近所なのに遠い存在になっていた。修が勉強できることは知ってたが、まさか医者とは。
「あーなっつかしー。」
「だな、今思うとおかしいくらい本気だったよな。」
「明弘、あのあとも怪獣にハマったよな。」
「うん、実は今も続いてる。自分で言うのもなんだけど、結構すごいぜ。人によってはかなり引かれるんだけど、修なら大丈夫。今度うち来てよ。」
「どころで明弘、千住歓走会入ったの?」
「修、歓走会知ってるんだ。」
「うん、一応地元の病院だからね。俺は直接診ないけど整形科のお得意様だからね。」
僕はこれまでの経緯を修に話した。いつの間にか会の仲間も修の同僚もいなくなり、店にいるのは僕と修とみどりさんだけだ。
「おもしれえ。血湧き肉躍る話だな。」
「ひとごとだからそんなこと言えるんだよ。こっちは人生がかかってんだぞ。」
「5時間くらいなら1年真面目に練習すればなんとかなる。これ、できなかったら完全にお前の怠慢だよ。」
「修は走れんのかよ。」
「おめー医者の体力をなめんじゃねーぞ。明日走ってみろって言われても5時間くらい切れるわい。」
修は時々医療スタッフとしてマラソン大会に出ているという。勤務の関係でなかなか一緒には走れそうにないが、とりあえずできるだけの援助はすると言われ、修と別れた。
「おかえりー。宴会楽しかった?」レッドキングが太い声で問いかける。
「おう、それに小学校時代の親友にばったり会っちゃったよ。今度うちに連れてくるからな。修っていうんだ。お前たちの良き理解者になるはずだ。」
「僕たちと遊んでくれるなら大歓迎さ。」ジラースがぐるぐる首を振って喜んだ。
「ところでさあ、君たちって何歳なの?」
一瞬固まった怪獣たち。やがてひそひそ話の後「レディーに歳を聞くなんて失礼よ!」とレッドキングが更に太い声で吠えた。お前、女だったのか。
(つづく)
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