小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(9)
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第4章の2
「千住ウォーク新年号 特集·新しい年に誓う」に僕の写真がぶち抜きで載った。自分でもなかなかいいんじゃないかと思える爽やかなガッツポーズと、結婚を賭けて走るというロマンチックなのか間抜けなのかわからん記事で、ただでさえ歓走会メンバーの話のタネだったのが本物の有名人になってしまった。もはやどこを走っても気を抜くことは許されない。ついこの間は商店街の肉屋からコロッケをもらい、イモと油の香ばしい匂いを口の中に充満させて走った。別の日は、なぜか中学校のバスケ部が集団で追いかけてきた。「頑張ってくださいっ!!」と叫びながらニヤついている少年たちを引き離そうとダッシュをかけたが自滅した。それにしても、こいつら何時まで部活してんじゃい。部活動改革してねえのかよぉ。投書してやるぞ。
僕の実家は、わざわざ家族で千住に来て駅や商店街をうろつき、手当たりしだい「千住ウォーク新年号」を持っていった。息子が雑誌に載ったのがよほど誇らしいのか、それとも恥ずかしさのあまり「千住ウォーク」を無きものにせんと暗躍したのかは確認していないが、きっと近所の知り合いに配って笑い話のネタにしているに違いない。だから僕は当分家に帰らない。
そんなある日、僕は不審な手紙を受け取った。
その日は1日中雨で、北西の寒気が東京を冷やしていた。仕事を終えて帰宅する頃には雨は雪に変わり、僕は夜のランニングを中止した。いつもより長くシャワーを浴びて、さあ飯にしようかと思った時、ドアの郵便受けがカサっと音を立てた。あれ、何だろうと玄関に行くと、白い封筒が玄関に落ちている。宛名も差出人も書いていない白い封筒だ。広告かなんかだろうと思って中を覗くと、2枚の紙が折りたたんで入っていた。その一枚は何度も見た「千住ウォーク新年号」の僕のページだ。僕のシューズのところに、マジックで赤いマルがついている。はて何だろうと、もう一枚を開いて僕はのけぞった。
「ウかレていると 災イが ヤつてくル きおつケたまえ」
雑誌や新聞から取ったであろう切り抜きの字が無造作に並んでいる。これは···よく刑事ものの番組に出てくる脅迫文じゃないのか?いったい誰がこんなものを。
僕の頭はぐるぐる回る。犯人はいったい誰だ。まだ玄関の扉の向こうに潜んでいるのか。何か事件に巻き込まれるのか。次に玄関を凝視する。じーっと玄関を見つめても向こう側は見えない。「透視能力が欲しい」と切実に思う。息を殺して玄関に近づく。外に人の気配はない。思い切って開けてみようか。いや、その次の瞬間自分の人生が終わるかも。怖い。やっぱり開けるのやめよう。鍵かけてて良かった。危なかった。
まて、玲子さん。玲子さんは大丈夫なのか。彼女にも魔の手が迫っていたりはしないだろうか。
「元気?」とメッセージを入れる。返事が···来ない。もしかして玲子さんのところにも悪の組織が来ていて、すでに玲子さんは···いや、彼女は京都の自宅に住んでいる。お母さんとクソ親父が一緒だ。たぶん、いやきっと大丈夫。
「うさぎさんOK」スタンプが来た。良かった、玲子さんは無事だ。いや、すでにワルモノ組織のアジトで縛られている玲子さんのポケットが鳴り、気がついたワルモノが玲子さんのスマホを取り上げ、「うさぎさんOK」をチョイスして返信···。
たまらず電話をする。2秒と待たずすぐに玲子さんの声がした。
「はーい。玲子っ、でーす!」玲子さんの声だ。膝の力が抜けた。
「玲子さん、元気?」
「元気っ、でえーす!」なんだか、いつもよりハイテンションだ。もしやワルモノに妙な麻薬を打たれてラリってんじゃないのか。
「玲子さん、なんかいつもと違う。ほんとにほんとに大丈夫?」
「大丈夫でえーす!支社のみなさんとぉ、飲んでまあーす!」
「ほんとに宴会?ほんとにほんと?」
「あれれれえ?明弘くん、れいこちゃんを疑ってるぅ?」
「いや、そういうことじゃなくて、犯罪とかそういうのに巻き込まれて麻薬打たれてたりしてないよねっ。」
「ぶあーっはっはっは! おもしろい! でも、普通の飲み会、でぇーす! 浮気も、して、まっせえーん。今画像送るから、見てっ、ねーっ!」
プツッと電話が切れて、すぐに宴会の集合写真ぽいのが送られてきた。どうやら玲子さんは無事らしい。それならいいんだ。
「失礼しました。楽しんでね。」とメーッセージを送る。すぐに「うさぎさんダンス」の画像が飛んできた。
とりあえず玲子さんは無事だ。あとは自分だ。いったい誰だろう。まだ外にいるのか。思い切って開けちゃおうか。でも怖い。どうする明弘。おそるおそるドアの前まで行って、外の様子を伺うが、気配はない。しかし油断はできない。ドンと扉を叩いてみる。どうだびっくりしたか。しかし何の反応もない。開けてみようか。いや怖い。どうする。そうだ、修に電話だ。
「もしもし、修今どこ。今からウチ来れない?」
「あー、も少しカルテの確認したら出れるけど、なんで?」
「なんか、不審な手紙入っててさ。怖くて出られないんだ。」
「なに不審な手紙って。」
「いや、ちょっと説明しにくいんだけど。」
「なんて書いてんの。」
「うかれてると、災いがやってくる。気をつけたまえ。」
「そんだけ?」
「なんか、怖いでしょ?」
「よくわかんねーけど、まあ明日非番だし暇だから行ってやるよ。」
「ありがとう修。来るときな、周りに不審人物いないかよーく見てよ。それから、ノックは5回やって、すこしあけて2回ね。」
「秘密結社かよ。まあいいや、後でな。」
9時すぎに、玄関のスチール扉がゴンゴンゴンゴンゴン、と5回鳴り、続けてゴンゴンと2回鳴った。待ってたはずなのに不覚にもびっくりした。扉を開けると修が北風と一緒に侵入し、部屋の温度が一気に下がった。
「どれ、不審な手紙ってやつを見せてみな。」
「これよこれ。」
しばらくうーんと唸りながら2枚の紙を見比べて、修が喋り出した。
「なんか、悪意を感じることは間違いないな。でも、こいつすげー頭いいやつかもしれん。『うかれてると災いがやってくる、気をつけたまえ』だろ?脅しなのか注意喚起なのかわからんギリギリの線で攻めてる。それにな、お前の写真の赤マルだけどな。よく見るとシューズの紐がほどけかかってるだろ?『浮かれてないでしっかり足元を見つめ直せ』という有難いアドバイスにも受け取れる。」
ほんとだ、確かに紐が緩んでる。これを見逃さないで赤マルをつけてメッセージとともに送りつけ、いや持参した人間は···。ピンとひらめいた。
「わかった!オレンジだ!」
「花輪さん?まあ、花輪さんならやりかねないかもな。」
「そうだよ、花輪さんだよ。もー、やんなっちゃう。イタズラが過ぎるんだから。」
「まあ、どうやら悪の組織でもなさそうだし、警察に届けるってことも必要ないか。」
手錠をかけられうなだれる花輪さんを想像し、ププッと笑いそうになった。
「でも、まあ用心に越したことはないから、紐はきちんと結んで走れな。」
「うん、わざわざ来てもらって、ごめんな。」
「いいってことよ。それから、俺からも報告があるんだ。実はな、京都マラソン、俺も走ることになった。」
「えー!修もエントリーしたの?」
「医療ボランティアだよ。メディカルランナーって言うんだけど、ドクターって書いてるベスト着て一緒に走る役。どうせだから5時間ペースで走ってやるよ。」
「うわー助かるう。なにかあったら助けてよ。もしかしたら犯人が襲ってくるかもしれないから。」
「何かあればな。でもお前だけの医療スタッフじゃねえし、緊急対応でお前の相手なんかしてらんないかもしれん。」
次の土曜日、オレンジに確かめたら、絶対に自分じゃないと言い張った。素直にオレンジの言葉を信じていいのか迷うところだが「わしだったら、手紙だけ入れてそのまま帰るなんて控えめなこと、つまんなくて絶対やらない。」という言葉にも真実味がある。会社で徹也にも打ち明けたが、「セコムを入れたらいい。何、金がもったいない?よしっ、マラソン大会までうちの警備員をそっちに廻そう。」などと言い出すので、丁重にお断りしてそれ以降話題にすることをやめた。結局真相は霧に包まれたままで多少モヤモヤするが、これ以上気にしないことにした。もちろん玲子さんには話してない。余計な心配をかけたくはないのだ。
その後も「結婚のために走る」という非日常的な日常を繰り返し、手紙は僕の記憶から離れていった。
(5章につづく)
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