小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(14)
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第7章 しょんべんかば子の回想 の2
京都の小学校では、「しょんべんかば子」なんて言われることもなく、私は普通に女の子に受け入れられて、平和に学校に行った。でも、ダイナソーファイブの仲間がいないので、用心して歌の時間は普通に歌っていた。女の子の友達に不満はないけど、なんだか心がうわーって盛り上がることもないので、本当に楽しかったのかどうか、自分のことだけど私にはわからない。実際、家に帰ると「戦隊シリーズ」を見続け、部屋でこっそりポーズを決めてたりした。
中学校に上がると、私は「部活動」の問題に直面した。小学校で中の良かったけいちゃんが「一緒にバドミントンしようよ。」って誘ってきたけど、私はバドミントンに興味はない。ダイナピンクみたいにくるんぱって動きがしたくて体操部に入りたかった。けいちゃんは「友達だよね。一緒だよね。裏切らないよね。」とプレッシャーをかけてくるけど、とうとう私は「体操部に入る」と宣言した。ああ、これでけいちゃんともお別れだなあって思ったら、けいちゃんも体操部に入ることになった。別に自分の好きなことをしても友達でいられるのに、なんで女の子って一緒にいないとダメなんだろう。ダイナソーファイブのメンバーなら「俺はバド、お前は体操、それぞれの道で世界を目指せ。また会おう!」なんてカッコよく言えるのになあ。
体操はめちゃめちゃ楽しかった。2年の春にはバク転ができたし、体が柔らかくなったから、キックのポーズも足が上がってかっこよかった。もちろん人を蹴ったりはしない。あくまで自分の部屋の中での話だ。戦隊ヒーローみたいな身のこなしができるようになると、嬉しくてますます練習に励んだら府の新人大会で入賞しちゃった。でも、私が活躍すると、けいちゃんは「やっぱりバドすれば良かった。」と文句を言うようになり、結局友達関係は崩れていった。
「かば子」というあだながついていたため、これまで自分がきれいとかかわいいとか意識したことはなかったが、どうやらそうではないらしいと気づいたのは2年の3月だ。卒業する先輩から「付き合って下さい。」と言われ、春休みになんとなく一緒にいたけど、変にニヤニヤするその顔を見てたら吐き気がして「ごめんなさい。」と言って逃げた。3年の京都市中体連の大会で、体操部員でも保護者でもない人間が押し寄せ、レオタード姿の私に望遠レンズを集中させた。すぐに大会役員が「写真撮影はおやめ下さい。」と放送したけど隠れて撮影する人が後を絶たず、競技が一時中断する始末だった。別に私が悪いわけじゃないけど、府大会で同じ目にあうのはごめんだと思い、わざと失敗して私の中体連は終わった。監督の先生は「普段の力を出せば府優勝も狙える筈だったのに。」と悔しがったが、あのカオス状態の中で失敗した私を責めたりはしなかった。別にいいんだ。ダイナピンクの動きを真似したくて始めた体操だから、私の目的は十分達成されたんだ。
高校の体操部からの推薦依頼もあったが、それを全て断り、普通に受験して高校生になった。学校の部には所属せず、近所の空手道場に通い始めた。この頃には父も母も私が平均を大きく上回る容姿を持っていることを認識し、空手道場なら護身用にいいかもと思ったようで賛成してくれた。中学の体操部で身軽に動けるようになった私は、高校ではパンチとキックを鍛え、戦う体に仕上げていくのだ。ますます戦隊ヒーローに近づいたようで嬉しかった。
そういえば、この頃からだ。マスクにサングラスで行動するようになったのは。街でいきなりお兄さんたちから「名前、なんて言うの?遊ばない?」と声をかけられたり、芸能関係のスカウトだったり、知らないおじさんに「10万でどうだ。」なんて誘われたり、いちいち断るのも大変だから顔を隠すようにした。最初に高校の先生に注意されたが、「すみません、余計なトラブル防止のためです。」と言っておいた。先生たちは職員会議で協議したらしく「やっぱりサングラスは外して登校しなさい。」と言われた。その時は父が「変な男から声をかけられるリスク軽減のためにしているのを外せというなら、もし変質者等の事件に巻き込まれた場合の責任の所在をはっきりさせてほしい。こちらもきちんと対応させていただくつもりだから、サングラスを外せという勧告を文書で出してもらいたい。」と応戦したら、あっさりと許可された。先生の中にも、明らかに私を意識しているような視線を感じることも度々あり、授業中サングラスをつけることもあった。それは、「先生、私はあなたも変態グループの一員と認識しています。」という暗黙の訴えだ。先生も含め、男の視線が苦しくなった高校時代、もっぱら遊び相手は女友達で、みんなでカラオケ行ったり化粧品や小物のショッピングをしたりして過ごした。でも、なんだろう。小2の春から夏までの、あの時期を超える楽しさを感じたことはない。ああ、あの時のメンバーが集まって、本気で戦隊ごっこができたらなんて素敵なんだろう。そう思いながら私は空手道場に通い、部屋の中でヒーローのポーズを決め、そして友達ときゃぴきゃぴ遊ぶ。
地元立命館大学に進学した私は、「化石愛好会」に入った。女の子の遊びも苦しくなり、できるだけ地味なサークルを選んだことが理由のひとつ。もうひとつの理由は「ダイナソー」つながりだったこと。案の定サークルのメンバーは、動物の外観より骨格に惹かれる落ち着いた人たちで、ストレスなく活動ができた。たまに福井の勝山で発掘体験をするのが楽しかった。でも、相変わらず学内では「奇跡の美少女」とか噂され、学部の友達に拝み倒されて一度だけ「ミス同志社」にエントリーしたら優勝した。というより、「宮本玲子がエントリーした」という情報が流れ、みんなエントリーを取りやめたと聞いた。盛り上がりのない表彰式で冠を載せられたが、それ以降私に声はかからないからホッとした。
「あーあ、窮屈で、なんてつまんない人生なんだろう。あのときのメンバー、どうしてるかな?」そう思ってPCになんとなく「さかしたあきひろ」と入力して検索したら、しっかり「坂下明弘」という名で登録してあるフェイスブックを見つけた。怪獣のフィギアの写真が載っていて、心臓が高鳴る。
最初に「あのー、ひまだったらちょっとダイナピンクやってもらえる?」と声をかけてくれた明弘くん、最後に牛乳のふたをくれた明弘くん。私は化粧箱の奥にしまった封筒を取り出すと、ピンクのふたを眺めた。名前を忘れないように「さかしたあきひろ」とひらがなで書いた自分の字。「さかしたあきひろ」が「坂下明弘」につながり、彼は今でも怪獣を趣味にしている。明弘くんはあの日から変わってないんだ。会いたいなー。でも、明弘くんは私を覚えているだろうか。「さらばダイナピンクよ。君のことは決して忘れない。」そう言われたけど、本当に私を覚えているのだろうか。それから「ブルーの橘修くん」「イエローの牧野草太くん」も見つけた。「レッドの、ひのゆうすけくん」だけは検索にかからなかった。
その後、私は明弘くんのツイッターも発見しフォローを始めた。自分でもアカウントを取ったが本名を名乗る勇気がなく、ネームを「大魔神PR」にした。PRは「ピンクの玲子」の略だ。でも明弘くんは気づかない筈だ。明弘くんの、なんてことない呟きに私は癒される。コメントを入れようか悩んだこともある。何度か「覚えてる?かば子でーす!」と書きかかけては消した。
(つづく)
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