小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(16)
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第7章 しょんべんかば子の回想 の4
私には、多用すると我が身を滅ぼしかねない禁断の技がある。私が顔をぐいっと近づけると、ほとんどの男が体を仰け反らせ、そして自分のいいなりになるのだ。一般的には「色仕掛け」という。小学生のれこちゃん時代から顔をぐいぐい近づける癖があり、相手のパーソナルスペースを侵害しているらしい。元々は無意識の行為だが、高校に入ったあたりから男子の反応に気づき始めた。それからは意識して、特に男性と関わる時は離れるようにしていたが、村田くんとの一件から私の意識は変わった。私は私だ、私のやりたいように生きる。勘違いしたければするがいい。そんなの知ったこっちゃない。もし勘違いが過ぎて手を出してきたら叩きのめす。そう開き直って周りと接し始めたら、最初はうろたえた男性たちも慣れてきたようだ。体は仰け反らせるが勘違いはなくなった、と思われる。でも、一度だけ私は禁断の技を悪用した。
当時の私の関心は彼の就職先だ。明弘くんは「15社受けてまだ反応なし」「2社撃沈」など時々ツイートしていて、私もドキドキして結果を待っていた。しばらくツイートが途絶えていた時期があり、我慢できず、ハンドルネーム「大魔神PR」から「その後就職はどうだい?俺も頑張ってるが、なかなか大変だ。」とメッセージを出した。
「こっちも大変、でも1社が2次面」と返事が来た。「決まったら教えてくれ。」と送ったら、その後「ヤワタビニル内定!ここに決めた。」とツイートしてきた。
ヤワタビニルを検索したが、当然ながらすでに採用は締め切っている。そこで私は本社に乗り込んだ。乗り込んだといっても実際に会社を訪問したのではない。待ち伏せだ。社長の顔はホームページで確認してある。
5時15分、社長が出てきた。マスクにサングラスで顔を覆い後をつけながらチャンスを伺う。しばらく歩くと社長はタクシーを止めた。くそ、やられた。いや諦めるな玲子、タクシーで追うんだ。
運よくやってきた空車を止めて「あの、向こうの信号で止まってる黄色いタクシーを追ってくださいっ。」と叫ぶ。運転手のおじさんは「ぃよっしゃーっ!まぁかせとけぇっ!」と急発進させた。よくわからないが予想外に気合が入ってる。
「タクシー歴30年目にしてやっとこの時が来たかぁ。一度やってみたかったんだ、ありがとうお嬢さん。」
「いえ、お礼を言うのはこちらです。お願いします。」
「ところで前の車は何だ?悪徳政治家か?お嬢さん新聞記者さん? もしかして刑事さん?」
「あなたの身の安全のため、これ以上は申し上げられません。」
「くぅ~っ、かっこええっ!」
タクシーは途中の信号でちぎられそうになったが、なんとか食らいついて役割を果たしてくれた。川崎駅前で降りた社長は夜の歓楽街に向かい「大衆居酒屋べらんめえ」に吸い込まれた。社長にしてはチョイスが安さを売りにしてるチェーン店とは、会社は大丈夫だろうか。いや、少なくとも代官に小判入り菓子箱を貢ぎ公金をじゃぶじゃぶせしめるタイプの企業ではないだろう。明弘くんが悪の軍団に取り込まれる危険はないと見た。
店に入りカウンターで様子を伺うと、どうやら幼馴染か趣味のメンバーか何かと数人でわいわいやっている。金曜の夜でもあり店内は賑やかだ。ここで決行するのはリスクが高すぎるのでじっとチャンスを伺いながらもつ焼きをホッピーで流し込んだ。
8時半を過ぎて宴会はお開きになった。仲間と盛大にバイバイした社長は夜の街をひとりとぼとぼ歩き、スナックに入った。チャンスだ、ここならいける。
スナックの扉をギイと開けるとうちの母親くらいのママが目を向けた。獲物はカウンターで顔を拭いている。
「すみません、ひとりなんですけど、いいですか?」
「いらっしゃい、あら初めての方ね。10時過ぎるとちょっとうるさくなっちゃうと思うけどいいかしら。」
「はい、そんなに長居もしないですし大丈夫です。」
「でも、若いお嬢さんがひとりでって、珍しいわねえ。」
「ええ、ちょっと、今日は少し飲みたいなあって。」
促されるままカウンターの隅に座り、水割りをいただく。くぅっと半分飲み、カウンターに突っ伏して大きくため息をする。
「あらあら、何か大変なことでもあったの?」
「就職戦線に乗り遅れちゃって。」
「そうなの、、お嬢さん大学生?だいぶ景気も良くなってきたみたいだけどまだまだ大変なのね。」
「いえ、大学院いこうかなあって漠然と思ってたんですけど、今になって働きたいなあって、、、いろいろ調べてとっても素敵な会社見つけたんですけど、もう今年の採用は終わってて、、、、ほんとに私、何やってんだろって。」
「それは残念ね、でも、きっと他にも良い会社はあるから、頑張って!」
「はい、もう仕方ないんです。でも、その会社、来年受けるのもアリかなって。わざと単位落として留年すれば新卒ですよね。」
「はて、どうなんだろ。社長、こういうのって新卒になるの?」
「まあ、うちなら大丈夫だけど、でもこんな素敵なお嬢さんに惚れられる会社がちょっとうらやましいねえ。」
「社長、そういうの今はセクハラになるから注意してね。社長捕まるとうちも売り上げに影響するんで。」
「すんません、気をつけます。いや特に下心とかそういうんじゃなくて、、、んで、お嬢さんが行きたい会社って、、、聞いてもいい、、ですか?」
「ヤワタビニルっていうんですけど。」
社長とママの目が2倍になった。
「社長社長っ、これって運命じゃないの? なんとかしてあげらんないの?」
「へっ?」私は何言ってるのかわかりませんの顔を作る。
「この人、ヤワタビニルの社長さん。」
「うわーっ、社長さんでいらっしゃったんですね! 私、宮本玲子といいます。今年は諦めました。だってもう募集終わってるんですから今年は諦めました。でも来年また新卒で応募しますからよろしくお願いします。今年はもういいんですでも来年ぜったいエントリーしますからお願いしますっ。」
詰め寄った私の顔面攻撃に体を仰け反らせた社長は、「とにかく、酒飲みながらじゃいろいろ決められないから来週会社に電話ちょうだい。」と言って名刺を出した。
私は今年の採用を確信した。
(第8章につづく)
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