小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(17)
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第8章
かば子の玲子さんのキックは強烈だった。まだ胸が苦しい。
「今度しょんべんって言ったら、本気で蹴る。」
なにぃ?今のは本気じゃないのか。どこまで底なしの力を秘めているんだ玲子さんのかば子。それにしても、かば子の本名が宮本玲子さんだったとは。僕は修に顔を向けて表情とテレパシーで話しかけた。
(おい、かば子の本名って、宮本玲子だっけ?)
さすが修だ、こっちの意思を読み取り、顔面の動きで返事をする。
(いやーーー、ちょっと思い出せない。)
「玲子さん、ほんとにほんとにかば子?もしかして若くして病の床に伏して悲劇的に亡くなったかば子の親友の美しい玲子さんがかば子に代わって生きているとかじゃなくて?」
「人を勝手に殺すな!そんなに疑うんなら、お守りの中に証拠が入ってる。」
昨日もらった平安神宮のお守りをウエストポーチから取り出し中を開けてみると、ピンクに染まった牛乳のふたが出てきた。
「これでわかったろ?」
僕は再び修にサインを送る。
(おい、この牛乳のふた・・・何だ?)
(こっち向くなよ、知らねーよ。)
(でも、知らないなんて言ったら本気の攻撃受けるぞ。)
(そんなもん、適当に話し合わせておけよ。)
(それで大丈夫かな。)
(他に手はない。なんとか切り抜けろ。)
「あー、これね···そうそう、たしかに、そう、かば子の玲子さんはかば子だ。」
僕は玲子さんが小さく舌打ちしたのを聞き逃さなかった。もう助からない。せめて走り終わってから血祭りにしてほしい。
「もういいから、明弘くん走りなさい。私はこいつを片付けて後を追うから。」
「でも、玲子さんを置いていくなんて。」
「つべこべ言わねーで走れこのやろう!言うこと聞かんと今叩きのめすぞ!」
「はっはいっ!」玲子さんの剣幕に圧倒されて僕は走り出した。玲子さんを危険な目に合わせて僕だけ逃げるなんて、男として最低だ。確かに玲子さんの戦闘力は僕より高いし、僕の使命は走ること、でも···。
「よし、行くぞ。」玲子さんがすぐ後ろで喋ったので僕はうわあと飛び上がった。
「玲子さん、戦いは?」
「敵は倒した。」
はやっ。振り向くと、鼻血を出してうずくまるショッカー徹也2号を修が介抱していた。
時計を見ると1時40分を回っている。足止めをくった時間が異様に長く感じたが、意外に早かったようだ。まだ間に合う。でも残り5キロを25分で走らなければならない。ただでさえギリギリなのに、忘れていた足の痛みが襲ってきて走りにくい。
「明弘くん、こっから本気出すよ。付いておいで。」そう言うと、玲子さんは僕の前に出てスピードを上げた。玲子さんを風除けにして走るのはカッコ悪いが、付いていくのがやっとだ。
「明弘くん、私のこと気づかなかった?」玲子さんの声が流れてくる。玲子さんがかば子だったことなのか、それともガンダムだったことなのか判断がつかなかったから、どっちにでも取れる返事でごまかした。
「ぜんぜんわかんなかったよう。なんで教えてくんないの。」
「入社した時言えば良かったかなあ。なんか、タイミングなくしちゃってね。」
そうか、かば子だったことを言ってるのだな。
そういえば、3月の新入社員研修の時に玲子さんは僕を見てすごくうれしそうに「こんにちはー、宮本玲子よー。」と顔をぐいぐい近づけるから、僕は仰け反りながら「はっはっはじめまして。坂下明弘と言います。よろしくお願いします。」と返した。あの時、玲子さんはなんだか微妙な表情に変わって、「はじめまして。」と言い直したっけ。その時は「美しくてフレンドリーな、ちょっと天然の人」としか感じなかったけど、あの時からピンクの玲子さんのかば子はグリーンの僕を知ってたんだ。
あと3キロ、残りは15分だ。
「玲子さん、それ、脱いだ方がいいんじゃない?」
「これ、装着に20分かかったのよ。脱ぐのも5分はかかる。もう止まれない。」
なんてすごいんだ玲子さん。どこまで体力があるんだ。でも、玲子さんもだんだん足が弱ってきてるようだ。スピードは変わらないが姿勢が崩れてきた。
東大路通から右に曲がり、今出川通りに出た。その時、「おー、来たぞ来たぞおー。あきひろおー!」と沿道の一角が盛り上がった。千住歓走会のメンバーが横断幕を持って声を出している。何も言ってなかったのに、みんなで来てくれたんだ。オレンジ、みどりさん、まさ子さん、慎二さん、たけさんも来てくれたんだ。横断幕には「千住の星、坂下明弘 つかめ愛の巣!」と書いてあって、僕は一刻も早くそこから逃れたくてスピードを上げ、玲子さんの前に出た。玲子さんも負けじと追いすがる。
今出川通は東に走ると折り返し、同じ道を再び西に走る。「つかめ愛の巣」の横断幕前をもう一度通過しなければならない。恥ずかしくて手なんか振れるもんか。僕は歓走会が陣取る一角の手前からさらにスピードを上げてあっという間に通過した。左に曲がって東大路通を南下する。ゴールまで2キロを切った。玲子さんがまた加速して前にでた。
「玲子さん、まだ2キロあるよ。スパート早いよ。」
「2キロくらいでビビんな!」
ガンダムの躯体は空気の抵抗が半端ないはずだが、スピードは衰えない。本当にこのままゴールまで突っ切る気だ。だけど僕は付いていけない。どんどん離される。いや頑張れ自分。僕の守護神よ、腰と背中を押してくれ。
あと1キロの表示が出た。時計見たい。けどその余裕すらない。
ふと、はるか前方にクソ親父を発見し、僕は息を吹き返した。
「おーやーじぃーっ、負けるかあ!」僕は叫んで玲子さんに追いすがる。コースは左に曲がり親父が見えなくなる。こっちが曲がると、親父は次のカーブを右折しまた見えなくなった。最後の力を振り絞り、ダッシュ体制に入り右折、親父の姿が大きくなってきた。また左カーブで目標消失。こちらもすぐコーナーを回り目標を捕捉。すこし長い直線を追いかける。ここで親父が後ろを振り向き、ぎょっと飛び上がり加速した。くそっ、気づかれた。負けるか、こっちも意地だ。ダッシュをやめない。こめかみから血が吹き出そうだ。玲子さん、玲子さん、玲子さーん!
うわっ、玲子さんが加速した。まだ余力があるのか、それとも精神力か神通力か。僕も負けじと追いすがるが目が霞んできた。親父が右折、少し遅れて右折。いきなりゴールが現れた。ゴールゲートまでは残り200mくらい、親父に追いつけるか。
ラスト100mあたりで、ゲストの有森裕子がランナーとハイタッチしている。「お疲れー!ナイスラーン!」と笑顔を振りまく有森裕子にランナーが並んでハイタッチ、写真撮りをして楽しんでいるがこっちにその余裕はない。クソ親父、有森裕子様とハイタッチしろ。お前の時代のヒロインだろうが。笑顔で写真撮れ!しかし、親父は有森裕子を無視してゴールに向かう。ガンダム玲子さんはハイタッチ軍団に「どけどけどけー!ぶちのめすぞー!」と悪態をつき、ヒイと声をあげて道を空ける有森裕子とそのファンの横を突っ切った。あと50m、親父の背中がデカイ。抜いてやる!玲子さんが「うおおおおお」と声を出したから、負けじと僕も「うおおおお」と叫ぶ。親父は目の前だ。
しかし、タッチの差で親父、玲子さん、僕の順にゴールになだれ込んだ。全身がせつなくて、もう起き上がれない。親父も立ち上がれない。ガンダムの玲子さんは手を膝についてゼーゼーゲホゲホ言いながら、それでも立っている。
「あっあき、ひろ、くん、、た、タイム、見た?」
はっ、そうだった。慌てて時計を見ると2時7分を過ぎている。
「み、見なかった、、ぎ、ぎり、ぎり、間に、あった、かも、でも、わかん、ない。」
ゴールした僕たちはゾンビのように完走者コースを歩き、ナンバーカードから計測チップを剥ぎ取られ、メダルとフィニッシャーズタオルをかけられ、水とカロリーメイトをもらう。そして次のブースでナンバーカードを見せて記録証が出てくるのを待つ。親父、玲子さん、僕の順に受付に並ぶ。
最初にもらった親父は、記録証を見ると「イエィ!」と小さくガッツポーズをした。次の玲子さんは無表情だった。僕の記録は····5時間6分8秒だ。脳内でファンファーレが鳴った。
親父と玲子さんには負けたが、僕は勝った。はっはっはっ、勝ったのだ。
気がつけば、すぐ後ろに天狗とウクレレが並んでいた。天狗は「下駄履いたら、足治っちゃった。」と、事も無げに行ってのけた。僕の成功を伝えると、「うん、そうか。僕たちいい仕事したよなあ。」とウクレレが言ったので、感極まった僕は二人を抱きしめた。
それから少しして、ショッカーの3人が修と一緒にゴールした。
「いやー、負けた負けた。やっぱ悪役は最後にやられる運命だな。」
徹也が爽やかに言ってのけたので少々ムカついたが、彼に悪びれた様子はない。なんだか時代劇の敵役をうまく演じた役者みたいに見えて笑っちまった。徹也が1号と3号に「今日はありがとね。反省会行くよ。僕のおごりだ。じゃんじゃん飲んでくれ。」というと、1号と3号は胸に手を当てて「イー!」と返事して、楽しそうに去っていった。「着替える?このまま行っちゃおうか。」という会話を聞いてたら、もう怒る気にもならない。
(エピローグ へつづく)
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