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小説:フルマラソンを5時間で走る約束をしてしまった(3)

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第2章の1

 春の京都は空気が柔らかい。桜はまだ3分咲きだが街が華やいでいる。おそらく清水寺や金閣などの名所もいい雰囲気だろう。美しい季節の土曜日だから駅は観光客でごった返している。半分くらいは外国の人だろうか。日本の観光地といえばやっぱり京都だ。そういえば京都は怪獣から壊されることが少ない。東京タワーが何十回も倒されては甦ったのに比べると、清水寺が崩れたり金閣が踏み潰される頻度は低い。太平洋戦争でアメリカ軍が京都の文化財保護のため空襲を行わなかったという話を聞いた気がするが、怪獣も場所を選んで暴れているのかもしれない。でも、京都を舞台に怪獣を戦わせるのもいいかも。しかし京都のジオラマは時間がかかりそうだ。
 玲子さんの家は京都駅の南側にある。駅からは路線バスを使って行くのだそうだが、僕は迷わずタクシーを選択した。ぎりぎりクリーニングが間に合った紺のスーツに身を包み、手土産を持ってご両親に挨拶をする。戦う相手がどんな人なのかわからずに突入する不安感で頭痛がしてきた。考えてみればウルトラマンやセブン、仮面ライダーやゴレンジャー達は毎週毎週どんな技を持つ敵なのか事前調査もなく、ぶっつけ本番で勝ち続けているのだから大したもんだ。さすが正義のヒーローは僕とは違う。だから僕は憧れるのだ。ああ、ウルトラマンに変身してご両親に挨拶したい。いや、相手がウルトラマンでは結婚は認められないだろう。いつ死ぬかわからない危険な職業だし、そもそも人間じゃない。などと妙な想像をしているうちに「はい、ここですね。」という運転手さんの声で現実に戻り、頭が痛いことを思い出した。

 玲子さんの家は、想像していたよりも普通だった。2階建ての普通の和風建築で、これといって特徴のある造りではないが、庭もきちんと手入れされていて住む人の誠実さが伺える。どうやら普通の人らしいという根拠のない安堵感で、頭痛が少し治まった。
 一呼吸置いて呼び鈴を押すと、どこか遠くから「ピンポーン」が聞こえた。すぐに玄関がガラガラと開いて、玲子さんの姿が現れたのを見た僕は、うれしくなって頭痛のことを完全に忘れた。
「いらっしゃい明弘くん。わざわざありがとう。家、すぐわかった?」
「うん、タクシーの運ちゃんがすぐわかったみたい。」
「タクシーで来たんだ。」
「かなり緊張してる。大丈夫かなあ。」
「そう願うわ。うちの両親ちょっと変わってるから、今から謝っておくね。」
また頭がズキズキしてきた。
 部屋に通されると、すでにご両親は部屋で待っていた。見た目はそれほど変わっているようには見えないが、玲子さんに「変わっている。」と言われると身構えてしまう。僕は決して失礼な言動がないように注意して挨拶すると、勧められるに任せソファに腰掛けた。自分の正面にはお母様が向き合って座っているが、お母様の前には小さな机がある。お父様は左のソファ、玲子さんは右。それにしても一人一人の距離がずいぶん遠い。
「これ、つまらないものですが。」そう言うと、僕は手土産の羊羹を父親に差し出した。
「おおっこれは、玉屋の羊羹じゃないかっ!珍しいものを··」
「はい、のりと栗と大納言のセットです。」
「ああ、考えただけでよだれが出てくる。ありがたく頂戴します。」
玲子さんの指示通りに準備した羊羹の効果は絶大だった。しかしお父様は「羊羹はいただくが手加減はせんぞ。」と不気味なことをボソッと言った。心臓まで痛くなってきた。

「では、始めましょう。」お母様が宣言すると、玲子さんが立ち上がり話し始めた。
「私、宮本玲子は、坂下明弘さんと婚約しました。この件につきましては私と坂下明弘さんの合意ができておりますので、ただそれを認めていただくだけと考えます。」
「裁判長、確かに宮本玲子氏はすでに成人しておりますが、未だ状況の冷静な認知判断ができず、保護者の指導援助が必要であります。また、坂下明弘氏についての情報を著しく欠いている状況ではそれを認可することは出来かねます。」父はその外見からは想像できないくらいの高音で論じた。
「そのために参考人を招聘したのです。」母親が言葉をつなぐ。参考人とは俺のことか。
「では、私から参考人に質問してもよろしいですか?裁判長。」
「認めます。」
「坂下氏のこれまでの経歴を簡単にご説明願えますか?」
状況を把握できないまま、僕は高校から大学、そして就職に至るまでの話をした。
「現在、仕事の他に打ち込んでいる趣味などはありますか?」
ぐっ、怪獣ごっこなんて言っていいのだろうか。そんな事を言ったら「わかりました。この話は忘れてお帰りください。」と言われるのがオチだ。
「坂下明弘氏の趣味は怪獣です。」玲子さんがさらりと言ってのけた。
「怪獣だあ?裁判長、やはり宮本玲子氏は適切な判断力を欠いていると言わざるを得ません。趣味が怪獣ですか。」お父様の声が一段高くなる。
「異議あり。わたくしは坂下氏その人に好意を抱いているのであり、怪獣に心を奪われている訳ではありません。千歩譲って怪獣に心を奪われたとしても、人とその趣味は一体であり、総合的に判断し好意を持つことに問題はないし、そもそも趣味が怪獣ということが何かしらの判断基準になるのでしょうか。いやしくも法曹界にある人間が趣味で人を差別することがあって良いのでしょうか。」
「ぬぬう、痛いところを··。」
「裁判長、そもそもこの婚約は成人同士の契約であり、親といえども他人が覆すことはできません。」
「その通りです。宮本努さん、他に質問やご意見はありますか?」
「確かに宮本玲子氏は正しい。私がこれを不当に覆すことはできません。しかし、この結婚を認め祝福するかしないかを選択する権利が私にはあります。」
「宮本努氏の権利もまた侵すことはできませんが、少し大人になられたら如何ですか?」
「またそれか!だいたいお前はいつも俺を子ども扱いする。それが気に食わん。」
「あーら、子どもを子ども扱いしてなにか問題かしら。赤ちゃんから子どもに格上げされたことをもっと喜んだらいいのに。」
「ああムカつく。いったいなんでお前なんかと結婚しちゃったんだろう。人生でこれ以上の汚点はないわ。」
「つまりあなたは結婚に失敗したってわけね。失敗した人間が人の結婚に助言できることってあるわけ?」
「失敗はお前も同じだろうがっ!」
「私は失敗なんかしてないわよ。あなたと結婚してほんとに良かったわあ。お子ちゃまを言い負かすのって快っ感。」
「話にならんわ。裁判長、閉廷を求めます。」
「ではそうしましょう。」
お父様はそのまま部屋を出ていった。

「ごめんなさいね明弘くん、ウチっていつもこうなの。」玲子さんは申し訳なさそうだ。
「でもね、あの人も一応の抵抗をしたかっただけで、認めないわけじゃないから気にしないでいいわよ。」お母様もどうやら味方になってくれたようだ。僕は少しだけ気分が楽になったが、お父様のことが引っかかって笑顔になれない。
「走ってくる。」半袖短パン姿で部屋に現れたお父様が言った。
「ちょっとちょっと、明弘くんどうするのよ。」
「結婚は二人の権利だ。わしゃ知らん。」そう言うとお父様は出て行った。このままお別れするのもどうかと思った僕はお父様を追いかけて走った。どうやらお父様は日々ランニングしている方のようで、軽快に走っていく。しかも結構速い。ぼくは少し速度を上げてお父様に追いついた。
「お父さん、どうか僕たちの結婚を認めてください。お願いします。」
「認めるも何も、君たちの自由だから自由に結婚したらいい。」そう言うとお父様は速度を上げた。速い。これはかなり本気で走らないと置き去りになる。僕は必死で走りながらできるだけ余裕だよという顔をして並走した。
「いえ、お父さんに認めてもらえないと結婚なんかできません。」
「だからあ、お父さんには何の権利もないの。好きにして好きに。」
お父様はまた速度を上げた。本当にこれが普通のランニングか?ひ弱な婚約者を引き離すために無理してんじゃないのか?でも表情は普通だ。これも頑張って作ってんのか?
「お父さん、どうしたら認めてくれるんですかっ!」ゼーゼー言いながら僕は叫んだ。その声の大きさにお父様はこちらを振り向き速度を落とすと、僕の顔をまじまじと眺めながら何かを考えてる様子だ。
 しばらくジョギングした後、お父様は立ち止まった。
「どうしたら認めてくれるのかって言うたな。」
「はい、言いました。どうしたらお父様に祝福してもらえるんですか?」
お父様はニヤリと笑った。
「娘の相手が怪獣オタクで、しかも父親よりも走れないひ弱なやつじゃ、娘が不幸になるのは目に見えてる。それでも娘がいいと言うなら止めないが、父親としては少しは根性のあるところを見せてほしいわけだ。どうだ、父親である私より速く走れる体力があるなら、認めてやろう。」
「お父さんより速く走ればいいんですね。で、どれくらい走ればいいんですか?」
「フルマラソンで、わしの記録が5時間と6分12秒だ。これを破ったら大いに祝福してやるわい。」
確かに自分は怪獣オタクだが、高校までは野球部でそれなりに運動してきた。大学では特にスポーツはしなかったが、3年の時に友達とハーフマラソンに出て2時間ちょっとで走ったことがある。距離が倍なら4時間か。まだ1時間の余裕がある。前半を2時間で切り抜ければ後半は3時間かけてゆっくり走れる。これは、イケる。
「わかりました。走ります。どの大会でもいいんですか。」
「君、日頃走って···いないね。すぐにと言いたいが、それではフェアじゃない。来年の京都マラソンで、5時間と6分11秒までにゴールする。それでどうだ。」
「いいでしょう。」僕は胸を張って答えた。よし、かっこいいぞ自分。
「1年近くあるから、せいぜい鍛えておきなさい。ところで、走れなかったらどうするわけ?」
「ぜったい走ります。」
「でも、走れなかったら?その時は諦めるってことでいいのかな?」
「ううっ··」
「いや、別に気にしないで結婚したっていいよ。そもそも父親には何の権利もないし。」
くっそう、焚き付けてくるなあ。
「走れなかったら諦めます。」
「言葉を曖昧にしてはいけないよ。走れなかったら父親の祝福を諦めるのか?結婚を諦めるのか?」
「も、もちろん結婚を諦めます。」
「それじゃ確認するね。坂下明弘氏は来年、つまり2020年2月に行われる京都マラソンで5時間6分12秒を切ったら宮本玲子氏と結婚する。それができなかったら結婚しない。でいいかな?」
まんまと罠にハマったことに気がついたが、もはや「はい。」というしかなかった。
「では、私はもう少し走ってくるよ。君は家に戻りなさい。え?家がわからない?こっちまっすぐ言って、最初のローソンで左、信号2つ目で右、橋渡って次に右側に見える公園の手前で右、あとはまっすぐ。それじゃ、健闘を祈ってるよ。」

 玲子さんの家に戻ると、ことの顛末を報告した。
「あらら、余計な約束しちゃったね。口約束でも契約は有効だからあなたには守る義務が発生しますね。もちろんこの契約は破棄しても社会通念上は問題ないけどね。」お母様は冷静だ。
「お父様の5時間6分12秒という記録は本当ですか?」
「それはホント。でも彼が40歳そこそこの時の記録で、だんだん記録が落ちてるから今は5時間半くらいじゃなかったかな。まあ40の普通のおやじが出した記録だし、その設定が著しく不当なものとは言えないわね。」そう言うと、お母様は羊羹の銀紙を剥がすと、そのままかぶりついた。
どうやら僕は大変な約束をしてしまったようだ。
(つづく)


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