【連載小説⑥‐2】 春に成る/ドリップ珈琲(緑の珈琲)
< 前回までのあらすじ >
仕事でなかなか喫茶店『ベル』へ行けない遥。通りすがりの親子の会話から『ベル』の珈琲が家でも飲めるように、ドリップ珈琲を作れないかと思いつく。
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ドリップ珈琲(緑の珈琲)(2)
久しぶりに『ベル』に行けた時、ノートをマスターに見せながら、ドリップ珈琲を作ってほしいとお願いした。ノートには、思いついたパッケージのイメージや、ネットで調べた情報を色々書き込んでいた。ここまでするのは、どうなのかって思いもあったけど、それ程に『ベル』のドリップ珈琲を作ってほしかった。
「来たくても『ベル』に来れない時に、自分で飲みたいのもあるんですけど、両親とか友達とか『ベル』を知らない人に、こんな美味しい珈琲を出す喫茶店があるんだよって、紹介もしたくて」
すると、一つ離れた席から、いつも新聞を読んでいる常連のオジサンが声を上げた。
「そりゃ、いいな。珈琲好きな家内が怪我しちまってから、外に出たがらねぇから、ここにも連れて来れねぇんだよ。そういうのあったら、土産に持って帰れるな」
いつもは、マスターと話していても、無関心に新聞を読みふけっていたから、初めて話しをした。ニカっと笑ったオジサンと目が合い、勝手に同志のように感じだ。私以外にも欲しいって思ってくれてる人がいる! やっぱりマスターの珈琲はすごいんだと、自分が褒められているくらい嬉しかった。
「二人とも、ありがとね。私としても、作ってみたいと思うから、前向きに考えさせてもらうよ」
目を細めてノートを見ながら、柔らかく微笑んだ。
「おう、そうしてくれ。マスター、お会計」
常連のオジサンが元気良くベルを鳴らして帰って行くと、店内はマスターと私だけに。
「遥さん、こんなに真剣に考えてくれて、ありがとうございます」
両手でノートを包み込むように持って、にっこりと笑う。いつ来ても笑顔で受け止めてくれるマスターに、たくさん救われてきたけど、本当に嫌じゃないか、今更ながらに心配になった。
「あの、むしろすみません。なんだか押し付けがましくなってしまって」
「いえ、とんでもない。遥さんの気持ち、伝わりましたよ」
ふんわり微笑んだ後、マスターはノートをそっと置いて、お酒の瓶に視線を移した。
「『ベル』は夜にはバーになるんですが、バーは息子の敬がやっているんです」
「そういえば、初めて来た時に、息子さんがやってるって教えていただきましたね」
「覚えててくださったんですね。そうです。『ベル』は昼と夜に分かれてはいますが、一つのお店なので、こういう新しい事は、敬にも相談してからどうするか決めたいんです」
「はい、息子さんと相談してみていただけたら、嬉しいです」
「ありがとうございます。このノート、お借りしても良いですか?」
「もちろんです。宜しくお伝え下さい」
ニコリと笑ってから、もう一度ノートを映した瞳は、何か迷っているように揺れた。
「……ただ、敬とは長い間、きちんとした会話はしていないんです」
「え……?」
初めて見るマスターの表情に困惑した。話しても良いか伺うような瞳に、真っ直ぐ見返すことで答えると、マスターは続けた。
「昔、サラリーマンだった私は、妻と敬の為に、必死で仕事に没頭していたんです。自分の家が裕福ではなかったので、そういう想いをさせまいと、何もかも後回しにして」
マスターは、ゆっくりと瞼を落として過去から現在へと戻り、肩を落とした。
「それが、二人の為になっていなかったと知ったのは、妻が事故で他界した時でした」
目を伏せたまま零したマスターの言葉は、私の時を止めてしまった。かろうじて、動いた目で、マスターを捉えた。
「仕事に没頭し過ぎて、何も見えていなかったんです。もっと三人の時間を大切にすれば良かった、二人のことをしっかり見ておけば良かったと、ひどく後悔しました」
悲しげな顔の上で、無理矢理上げられた口角は、折れてしまわないように力を入れているように見えた。その力が緩んで、カウンターにそっと触れた手には、温かさが纏っていた。
「妻が亡くなってから、会社を辞めて喫茶店の『ベル』を開店させました。家の近くで、すぐ家に帰れるように。家にいなくても、ココに来たら一緒に過ごせるように。居心地の良い場所にしようと努めましたが、その頃には敬は思春期でしたし、きっと今までの私に怒ってもいたのでしょう。家にも『ベル』にも寄り付かず、時間ばかりが過ぎました……すみません『ベル』がそんな理由で開店したなんて、がっかりしましたか?」
ゆっくり、首を横に振る。隣に並ぶお酒の瓶が、今までとは違って見えた。
「……敬が何故、夜に『ベル』で働こうと思ってくれたかは分かりませんが、一緒ではなくても、同じ場所で……『ベル』で過ごせていること、嬉しくて。思わず、昔趣味で描いていた絵を描いて飾ってしまう、なんて柄にもないことをしてしまって……」
視線の先にある、奥のテーブル席の壁に掛けられた油絵は、中心に描かれた茶色の円を斜めに両断するように、右上から左下へ線が入っていて、左上側には太陽が、右下には月と星が描かれていた。
「わぁ、あの絵、マスターが描かれたんですか。昼と夜の『ベル』だったんですね」
昼と夜で一つの店って、息子さんへの想いも込められていたんだ。
「ええ、お恥ずかしながら……相変わらず、必要最低限の会話しかありませんし、お店の連絡ノートがあるので、会話すらしない日も多いんですけどね」
表紙に『連絡用』とだけ書かれたノートを手に取ったマスターは、私のノートと重ねてカウンターに置いた。
「話しだと、いつ聞いてもらえるか分からないので、ドリップ珈琲の件、連絡ノートに書かせていただきますね」
いつも話を聞いてもらってばかりだったから、マスターの話をこんなにしっかりと聞いたのは初めて。ただ聞いていただけで、何も言えず、何もできなかった。『ベル』を出た後も、何となく帰ることができず、街灯が街を照らし始めた。もう、夜の『ベル』は始まってる時間。
マスターは言っていた。昼と夜に分かれていても『ベル』は一つのお店なんだって。お酒が一杯も飲めない訳ではないし、夜の『ベル』に行ってみよう。大丈夫、マスターの息子さんなんだし、きっとマスターみたいに包み込むように柔らかくて、キラキラした笑顔の人なはず!

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※見出し画像は、有様の画像です。素敵な画像を使わせていただき、ありがとうございました。
