⚪️企画作品|おしい生活
パパはバレンタインデーにトラウマがある。
あたしたちは狼の血族だからチョコは食べられない。だからあたしも食べたことがない。食べたら死んでしまうから。
パパの青春時代はいわゆるバブル経済の真っ只中で、義理チョコも一粒何百円のが飛ぶように売れたらしい。本当かしら。
そして女の子たちはみんな、本命じゃない男の子にもその一粒何百円の義理チョコをばら撒くのですって。拷問よね。可哀想なパパ。
だから今年はパパにチョコを作ってあげようと思う。本命はもちろんトール君のだけど。パパのチョコも作れば怪しまれない。
もちろんパパのはカカオの代わりにキャロブを使う。でないとパパ死んじゃうから。
パパの偽チョコ──偽チョコの義理チョコをふふ作ってから、トール君の本命チョコを作ろう。パパが誤飲しないように気をつけなくちゃ。
楽しみにしててね。トール君(とパパも)!
(おわり)
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↓本作はこの娘のその後のお話です。
おまけ[AI]
「おいしい生活」(1982年・西武百貨店/糸井重里)は、80年代日本の空気をそのまま言語化した標語だったと言われる。高度経済成長を経て、家電も車も行き渡り、「足りないもの」を埋める消費は一段落していた。人々は初めて、生活のその先──どう楽しむか──を考え始める。
西武百貨店は当時、流通であると同時に文化の編集装置でもあった。パルコや無印良品と同じセゾングループの文脈で、「買う」より「選ぶ」、「持つ」より「感じる」都市のセンスを提示していた。そこに糸井のコピーが乗る。
「おいしい」という味覚の言葉が「生活」に結びついたとき、生活は義務ではなく、味わい、楽しむ対象へと転じた。バブル前夜の楽観と軽やかさ。未来は明るいという前提があるからこそ、豊かさを語らずに済む。ただ「楽しもう」という空気だけがある。
皆が同じ物を持つ時代から、「自分らしい生活」を選ぶ時代へ。百貨店は商品ではなく、ライフスタイルを売る場所へ変わっていった。のちにバブル崩壊でこの言葉は皮肉も帯びるが、当時それは誇張のない実感だった。糸井のコピーは、その一瞬の感覚を軽やかな日本語で封じ込めている。
#AIに書かせた
#私は1文字も書いてない
🔵508文字
