高市早苗さんが引用した特攻映画の「消えた一文」──なぜ映画『あの花が咲く丘で…』は「あなたたちが守った未来」というフレーズを削除したのか
高市早苗さん、自民党総裁選の出馬会見で、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を昨年に続き「引用」したようです。
たしかに昨年の出馬会見でも、「私たちが生きてる今、それは誰かが命がけで守ろうとした未来だった」というフレーズは、かなり拡散され、反響がありましたし、本人も気に入っているのでしょう。
高市早苗氏「『私達が生きている今、それは誰かが命がけで守ろうとした未来だった』(この言葉は汐見夏衛氏の『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の一節です。)(女子高生がタイムスリップして出撃間近の特攻隊員に恋をした物語の中で彼女はそれに気付いて言った言葉でした。)今、皆さまも私も誰… pic.twitter.com/nY4ItE70fc
— take5 (@akasayiigaremus) September 10, 2024
ただ、このフレーズは、映画『あの花が咲く丘で…』の作中には存在しません。
これは結構、重大な話です。
順を追って解説します。
まず、今回の会見で高市さんは何と言っているか、確認しましょう。
昨年、この会見の場で、ある映画から私が受け止めた言葉をお伝えしました。
去年おられなかった方もおいでかと思いますが、先月、この映画が地上波で放送されまして、ご覧になった方も多いかと思います。
私ももう一度見ました。で、またもう1回泣きました。
これは、終戦間際の鹿児島県に現代を生きる女子高生がタイムスリップする話です。
そして、間もなく特攻に行かなきゃいけないという出撃を控えた特攻隊員の青年と恋に落ちてしまうんです。彼女は未来から来ましたから、間もなく日本が負けてしまうということを知ってます。本当に叶わぬ恋です。葛藤は深まっていきました。
でも、その後、現代に戻った彼女は気づきます。
私たちが生きてる今、それは誰かが命がけで守ろうとした未来だった。
この言葉、本当に重いです。その誰かが守ってくれた未来を今私たちは生きてます。
今の人、時代をお預かりしてます。だからこそ、日本列島を強く豊かにして、安全な安全な国にして、次の世代に送る責任があると思います。
この記事の冒頭、なぜカギカッコつきで「引用」と表記したかというと、映画には高市さんが言ったフレーズは出てこないからです。
実際、映画を観た人が「高市早苗氏の名言が出てこない」とツイートしています。
やっと
— 弱気なトレーダー (@brutusjpfx) August 3, 2025
あの花が咲く丘で、君とまた会えたら。
見たんだけど
高市早苗氏の名言が出てこないんだけど
もしかして本の帯とかなの?
にしても、検索しても出てこないね
私たちが生きている今、それは誰かが命がけで守ろうとした、未来だった
まさかこれって高市早苗氏のオリジナル?
ならセンス良すぎ
高市さんも「ある映画から私が受け止めた言葉」という微妙な表現をしています。「受け止めた言葉」とはいったい……?
これは、「高市早苗氏のオリジナル」でもありません。
原作小説からの引用です。
主人公の百合がタイムスリップから帰ってきてからの、最後のモノローグにあります。
新しい世界。
そうだ。私は、この世界で生きていくんだ。
たくさんの苦しみと悲しみと犠牲の上に築かれたこの新しい世界で、私たちは、これからも生きていく。
この世界をつないでくれた、数え切れない人たちの命と愛を、全身に感じながら。
あの夏、空に散ってしまったみんな。私の声が聞こえますか。
私は今、あなたたちが守ってくれた未来を生きています。
あなたたちが願った、明るい未来を生きています。
素晴らしい未来を私たちに残してくれてありがとう。
あなたたちのことは絶対に忘れません。あなたたちの犠牲は絶対に忘れません。
あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます。
どうか、安らかに眠ってください。

高市さんの発言とほぼ同じフレーズが出てきます。
この百合のモノローグは、映画版では大幅にカットされ、これだけになっています。
彰、私の声が聞こえますか?
私は今、あなたが思い描いた未来を生きています。
彰、あなたのことは絶対に忘れません。
あなたが願った尊い未来を、私は精一杯生きていきます。
ちなみに、『あの花が咲く丘で…』の小説版には、「スターツ文庫」バージョンのほかに、低年齢向けにリライトされた「野いちごジュニア文庫」バージョンがありますが、当該フレーズは削除されています。
当該箇所はこうなっています。
新しい世界。私は、この世界で生きていく。
たくさんの苦しみと悲しみと犠牲の上に築かれたこの新しい世界で、私たちは、これからも生きていく。
この世界をつないでくれた、数え切れない人たちの命と愛を、全身に感じながら。

大幅にカットされて「あなたたちが守ってくれた未来」「あなたたちが命を懸けて守った未来」といった文言はなくなっています。
なぜ、映画やジュニア文庫で、これらのフレーズはカットされたのか?
制作側の意図を推測するしかありません。
技術的な理由もあるでしょう。映画においては、長いモノローグ(頭の中の独り言)は表現しづらい。ジュニア文庫は文量を減らす必要があった。
ただ、それだけではなく、「歴史認識として誤りだから」という理由もあるのではないでしょうか?
小説に比べ、より多くの観客を集める映画、より低年齢の子どもが読むジュニア版には「不適切」と判断されたのではないでしょうか?
「あなたたちが守ってくれた未来」「あなたたちが命を懸けて守った未来」と言ってしまうと、あたかも特攻作戦によって日本が守られたかのような印象を与えます。
しかし、特攻作戦は早々に米軍に対策され、戦果は乏しかったことが明らかになっています。しかも百合がタイムスリップしたのは終戦間際の1945年6月です。
特攻隊のおかげで今の平和がある、という因果関係は成り立ちません。
高市さん自身も一度「守ってくれた」を「守ろうとした」と言い換えています。それほど、特攻隊が日本を「守った」とは言いがたいのです。
(ただ、特攻作戦に効果がなかったことを強調したいがために、特攻隊員の死を「無駄死に」「犬死に」などと評することは、私はしません。兵士の戦死をどう表象するかは非常にセンシティブな問題で、戦後長らく議論されてきたということは福間良明『「戦争体験」の戦後史』に書かれています)
信州戦争資料センターのnoteでは、小沢郁郎『改訂版 つらい真実 虚構の特攻隊神話』の内容が紹介されています。孫引きの形となり恐縮ですが、これを読むだけでも、実相がわかるはずです。
戦史叢書でも、特攻が常用されるようになったのは「比較的練度の低い者でも効果を挙げうるとみられたからである」としましたが「連合軍が対策を練ってからは、零戦といえど搭乗員の技量不十分では、ほとんど戦果を挙げられなくなった」と認めています。しかし、それを漫然と続けているのです。
専用機の桜花は、自力飛行能力がないため、最大滑空距離は2000m程度。母機にうんと近くまで行ってもらわないと海に落ちるしかなく、また、練習も困難で、練習中の死亡が続出しています。
体当たり兵器はあくまで奇襲兵器であれば相手の裏を掻けましたが、通常戦術化することでその効果は減り、航空特攻の場合は兵器も退化して、要員の無益な死亡を増やす一方となっていったと分析しています。
「あなたたちが守ってくれた未来」「あなたたちが命を懸けて守った未来」に類する表現についても、厳しく批判されています。
特攻隊礼賛者の定番「彼等の尊い犠牲のおかげで今がある」という言葉には承服できないとし、「平和な社会でこそその能力を発揮するに違いない学徒兵」が特攻隊の大半であったことを示し、彼等を殺しておいて、その死をどうして繁栄の基礎といえるのかと訴え、むしろ若者たちの死をのりこえて到来したのであり、繁栄の功績を死者にゆずるのは、「死を強いた者の責任回避」と強調します。
さて、高市氏が会見で引用した言葉が、映画版ではなく原作小説のものであり、意図的に削除された部分であったことは、単なる事実関係の問題にとどまりません。
なぜ映画やジュニア文庫は、この一節をカットしたのか。そして、なぜ高市氏は、その「カットされた言葉」をあえて繰り返し使用するのか。
高市さんの言葉は、特攻隊員の死を「国のための尊い貢献」と再解釈し、個人の生命を国家の維持という大義に捧げることが美しいという、全体主義的な価値観を復活させる危険性をはらんでいます。
個人の自由と尊厳を基盤とする民主主義国家のリーダー候補が、なぜ「個人の犠牲によって国家が守られた」という物語を繰り返し語るのか。
その背景にある歴史観と、彼女の発言と思想が社会に与える影響について、私たちは深く問い直す必要があるでしょう。
(追記)続編を書きました。
ちなみに……。
原作小説では、百合の「あなたたちが命を懸けて守った未来を、私は精いっぱいに生きます」というモノローグのあとに、これまた映画ではカットされた「エピローグ」が存在します。出撃した特攻隊員の彰の最期が描かれています。
百合のモノローグと彰のエピローグを続けて読むと、いったいこれはどう解釈したらいいのか、非常に戸惑います。
だって、百合の「あなたたちが守ってくれた未来」という言葉に反するような結末だから……。
ネタバレになるので、「エピローグ」の内容は以下の記事をお読みください。
映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』についてこれまでに書いた記事は、こちらのマガジンにまとめました。
