《猛暑と人間のエゴ》-#未来のためにできること-文藝春秋SDGsエッセイ大賞2025応募作品-第3弾
猛暑🫠
葉物は焼けつき、土の中の温度は上がりすぎ、雨はしばらく落ちてこない。
玉ねぎは小ぶりにしか育たず、農家は首をかしげる。
ゲリラ豪雨☔️⚡️
アスファルト舗装された雨は行き場を失い濁流となり都心の街を飲み込む。
山間部では、無計画に切り拓いて設置した太陽光パネルもろとも土石流が民家を襲う。
地球🌏にポジチェン
それでも「土の恵み」という言葉は嘘ではない。
ただ、その恵みを人間は「当然のもの」と思い込みすぎてきたのだろう。
地球🌏にポジションチェンジしてみよう。
高温続きの夏❓
それは地球スケールで言えば一瞬にすぎない。
地球創生期には、灼熱のマグマ🌋を吹き出し、氷河期と温暖期をくりかえし、悠々と呼吸してきた星なのだ。
人間の「高温障害」や「返礼品の値上げ」などという嘆きは、結局、人間同士の経済システムの話。
黒毛和牛も、葡萄も、ふるさと納税値上げも──ぜんぶ「人間側のエゴ」でしかない。
生きとし生けるもの
気温が下がれば、スズメバチ🐝も蚊🦟も息を吹き返す。夏の間、彼らだって暑さにやられていたのだ。
猛暑は、人だけでなく、生きとし生けるもの全てにとって負荷をもたらす。
それでも僕ら人間は、
生きとし生けるもの + 地球🌏
という本来の構図ではなく、
人間 vs その他の生き物🐱🌳+地球🌏
という二項対立で世界を見てしまっている。
その視座のズレこそが、サステナブルを遠ざけている。
人間は土なしでは生きられない。
その土を豊かにするのはミミズ🪱であり、アスファルトでさえ元は微生物🦠であり、目に見えない営みだ。
それを忘れ、土やアスファルトを「資源」としか見なさなくなったとき、エゴは臨界点を迎える。
地球は強靭だ。
灼熱の創生期を経て、氷の星にもなり、そこからまた息を吹き返してきた。だから地球は、人間にとっての環境が破壊され、僕らがいなくなっても、地球環境はこのダイナミズムのサイクルの中でやがて復活する。
僕ら人間が壊すのは地球ではない。
有限の資源を忘れ、エゴに埋もれたままでは、
僕ら人間の未来を壊すのだ。
人間は地球に生かされている。
土の恵みに『本当ありがとう』を口にするとき、その言葉は謙虚さを含んでいなければならない。
悠久の時の流れ(クロノス⌛️)の中で、刹那を生きる僕らの意識(カイロスのしずく💧)が、いま試されている。

《第4弾💣へ続く》

