好きです!シャドーワーク!ケアマネの知られざる実態
はじめに
好きです。シャドーワーク。
こう言うと、少し変に聞こえるかもしれません。
ケアマネジャーの仕事をしていると、制度の中には書かれていない仕事に出会うことがあります。
契約書にも載っていない。業務マニュアルにも書かれていない。
それでも現場では、確かに存在している仕事です。
例えば、こんなことです。
・利用者宅に溜まった書類の整理
・入院手続きの相談
・買い物の段取り
・家族の愚痴を聞く
・役所や関係機関との調整
こうした仕事は、いわゆる 「シャドーワーク」 と呼ばれることがあります。
つまり、表には見えない仕事。制度の中では明確に位置づけられていないけれど、現場では確かに存在している仕事です。
ケアマネをしていると、このシャドーワークに出会う場面は決して少なくありません。
むしろ、日常のように起きています。
そして正直に言うと、ケアマネの中には、このシャドーワークをつい引き受けてしまう人が多いように思います。
困っている人を放っておけない。
少し手伝えば解決することもある。
「このくらいなら」と思ってしまう。
私自身も、そういうケアマネの一人です。
ただ、ケアマネを続けていると、あることに気がつきます。
シャドーワークには
やってあげたくなるもの と
本当はやりたくないもの
この二つがあるということです。
そして、この違いを理解していないと、ケアマネの仕事はどんどん膨らんでいきます。
善意で始まったことが、いつの間にか当たり前になり、気がつけば業務の一部のようになってしまう。
さらに、契約や責任の問題、自立支援との関係など、さまざまな課題も見えてきます。
今回の記事では、ケアマネの現場でよく見られる 「シャドーワーク」 について整理してみたいと思います。
なぜシャドーワークは起きるのか。
なぜ問題になるのか。
そしてケアマネは、どう向き合えばいいのか。
現場で感じていることをもとに、ケアマネの仕事の実態に少し迫ってみたいと思います。
もしかすると、
「これ、自分もやってる」
「あるあるだな」
そんな場面がいくつか出てくるかもしれません。
もしそう感じたなら、それはきっとあなただけではありません。
ケアマネの現場には、制度だけでは説明できない仕事が、確かに存在しているのです。
第1章ケアマネの仕事は、実はシャドーワークだらけ
好きです。シャドーワーク。
こう言うと、「何を言ってるんだ」と思う人もいるかもしれません。
でも、現場にいるケアマネジャーなら、少しわかってもらえるのではないでしょうか。
本来の業務だけでは終わらない。
説明書の中には書いていない。
契約書をよく見ても、そこまでは載っていない。
だけど現場では、なぜか自然に自分がやっている。
そんな“見えない仕事”が、ケアマネには本当に多いのです。
たとえば、
・救急車に同乗する
・入院の手続きを手伝う
・利用者さん宅にたまった書類を整理する
・役所や関係機関に何度も連絡する
・買い物の段取りを考える
・金銭管理の相談にのる
・誰に頼めばいいのかわからない生活課題を、とりあえず引き受ける
こういうことは、現場では珍しくありません。
しかも厄介なのは、これらの仕事が個別ケースの中に埋もれてしまうことです。
ひとつひとつは「ちょっとした対応」に見える。
でも、その“ちょっと”が積み重なると、かなり重たい。
これが、ケアマネのシャドーワークの実態だと思っています。
私自身、困っている人を放っておけないタイプです。
だから、つい動いてしまう。
「そこまでやらなくてもいいのに」と言われても、
目の前で困っていたら、体が先に動いてしまうことがあります。
おせっかいと言われれば、たぶんその通りです。
でも、ケアマネには、そういう人が意外と多いのではないでしょうか。
人の暮らしに関わる仕事です。
生活の崩れそうな場面、家族の限界、本人の不安、孤独、怒り。
そういうものを目の前で見てしまう。
見てしまった以上、「それは私の仕事じゃないので」と、きれいに切り分けられない場面があるのです。
ここが、この仕事の難しさであり、ある意味では、この仕事の人間くささでもあります。
実際に、現場ではいろいろなことが起きます。
訪問のたびに、お弁当を買ってあげていたケアマネがいました。
ベランダに鳩が住み着いてしまい、困り果てた利用者さんのために、掃除やネット張りの業者を手配していた人もいました。
書類が山のようにたまっていたら、見て見ぬふりができず、つい整理してしまう。
こういう話は、決して特別な話ではありません。
むしろ、「それくらい、あるよね」という感覚の方が近いかもしれません。
だからこそ、この問題は表に出にくいのです。
ニュースになるような大きな不祥事ではない。
誰かが明確に困る瞬間が見えやすいわけでもない。
しかし現場では、じわじわとケアマネの仕事を圧迫していく。
しかも、やっている本人も、最初から
「これは業務外だ」
「これはシャドーワークだ」
とは思っていないことが多い。
ただ、その場で必要だった。
放っておけなかった。
頼まれた。
他にやる人がいなかった。
その積み重ねです。
ここで大事なのは、シャドーワークには二つの顔があるということです。
一つは、やってあげたくなるシャドーワーク。
もう一つは、本当はやりたくないのに、やらざるを得なくなるシャドーワーク。
この二つは、似ているようでかなり違います。
前者には、善意や共感があります。
「助けたい」
「なんとかしてあげたい」
そんな気持ちがある。
後者には、圧迫感や疲労があります。
「またこれか」
「なんで私がここまで」
「断りたいけど断れない」
そんな気持ちが混ざってくる。
現場でしんどくなるのは、たぶん後者です。
でも実際には、この二つがきれいに分かれているわけではありません。
最初は“やってあげたい”で始まったことが、いつの間にか“やらされている”に変わる。
最初は善意だったのに、途中から義務のようになる。
そして気がつけば、その人がいないと回らない関係になってしまう。
このあたりから、シャドーワークは少しずつ危うくなります。
ケアマネの仕事は、単なる事務仕事ではありません。
人の生活に入り込む仕事です。
だから、制度と制度の隙間が見えてしまう。
家族の限界も見える。
本人の寂しさも見える。
地域の支えの薄さも見える。
見えてしまうから、動いてしまう。
けれど、そのたびにケアマネが穴埋めをしていたら、仕事はどこまでも膨らんでいきます。
そして何より、それは本人の自立のためにもならないことがあります。
家族との関係にも影響します。
支援の境界線も曖昧になります。
つまり、優しさだけでは済まない問題なのです。
それでも私は、思います。
ケアマネは、たぶんシャドーワークが嫌いではありません。
少なくとも、最初から冷たく割り切れる人ばかりではない。
むしろ、困っている人を見ると気になってしまう人、少しでも何とかしたいと思ってしまう人が、この仕事には多い。
だからこそ、ケアマネはシャドーワークに巻き込まれやすい。
そして、だからこそ、ケアマネは自分の仕事を自分で言語化しなければならないのだと思います。
どこまでが支援なのか。
どこからが抱え込みなのか。
どこまでは善意で、どこからが危ういのか。
それを曖昧にしたまま働くには、この仕事はあまりにも人間くさく、あまりにも感情に近い仕事です。
この章ではまず、ケアマネの現場が、どれだけシャドーワークに満ちているかを見てきました。
たぶん読んでいて、
「ああ、あるある」
「これ、自分もやってる」
「やっぱりみんなそうなんだ」
そう感じた方も多いと思います。
でも次に考えたいのは、そもそもシャドーワークとは何なのかということです。
ただの“おせっかい”なのか。
ただの“善意”なのか。
それとも、もっと心理学的に説明できるものなのか。
次章では、この“シャドーワーク”という言葉を、
心理学と社会的な意味の両方から整理していきます。
第2章 シャドーワークとは何か?
ここまで読んでいただいた方の中には、「そもそもシャドーワークって何?」と思っている方もいるかもしれません。
実はこの言葉、少しややこしいのですが、二つの意味があると考えています。
一つは、心理学の意味。
もう一つは、社会問題としての意味です。
そして面白いことに、ケアマネの仕事はこの二つのシャドーワークの両方に関係しています。
心理学の「シャドー」
まずは心理学の話から。
心理学者のCarl Jungは、人間の心には「シャドー(影)」があると考えました。
シャドーとは、簡単に言うと、自分では認めたくない感情や性格のことです。
たとえば、
・怒り
・嫉妬
・依存
・不満
・罪悪感
こうした感情は、誰の中にもあります。
でも人は、「自分はそんな人間じゃない」と思いたい。
するとどうなるか。
その感情は、自分の中に押し込められます。
そして時々、別の形で外に出てきます。
その代表的な現象が投影(projection)です。
投影という心理
投影とは、「自分の感情を他人に向けてしまう心理」のことです。
例えば、
本当は自分が不安なのに
「ケアマネがちゃんとしていないから不安なんだ」
と言ってしまう。
本当は家族の中で葛藤があるのに
「サービス事業所が悪い」
という形で怒りが出てしまう。
こうした心理は、介護の現場では決して珍しくありません。
むしろ、人が生活の限界に近づいたとき、このような感情は自然に出てくるものです。
ケアマネは、そうした感情の矢印を真正面から受ける立場になります。
つまりケアマネの仕事は、生活支援だけでなく、人のシャドーと向き合う仕事でもあるのです。
もう一つの意味
「見えない労働」
さて、シャドーワークにはもう一つの意味があります。
それは社会学で言われる「見えない労働(Invisible Labor)」です。
これは、社会の中で必要なのに制度や報酬の中には入っていない仕事のことです。
例えば、
・家庭内の家事
・介護
・地域の世話役
・ボランティア
こうした仕事は社会にとって重要ですが、多くの場合、評価されにくい。
ケアマネの仕事の中にも、この「見えない労働」が多く存在します。
制度の中には書かれていない。
しかし現場では、誰かがやらなければならない。
その結果、ケアマネがその穴を埋めてしまう。
二つのシャドーワーク
ここで整理すると、シャドーワークには二つの意味があります。
①心理学のシャドー
人の感情の影
②社会学のシャドーワーク
見えない労働
そしてケアマネは、
・人の感情を受け止めながら
・見えない仕事を引き受ける
という立場にいます。
つまりケアマネは、心理のシャドーと、社会のシャドーワーク、この両方に関わる仕事をしているのです。
だからケアマネの仕事は難しい。
ケアマネの仕事が難しい理由は、ここにあるのかもしれません。
制度だけを見れば、ケアマネは「サービスを調整する仕事」です。
しかし現場では、
・家族の怒り
・本人の不安
・生活の崩れ
・地域の支援不足
こうした問題が、一度に押し寄せてきます。
そしてその真ん中に、ケアマネが立つことになります。
だからこそ、
ただ制度を理解しているだけでは
この仕事は務まりません。
人の感情にも向き合い、生活の現実にも向き合う必要があります。
それが、ケアマネという仕事の本当の難しさなのだと思います。
ここまでで、シャドーワークという言葉の意味を整理しました。
しかし、次に出てくる疑問があります。
それは、「シャドーワークは、なぜ問題になるのか?」ということです。
善意でやっているのに、なぜ問題になるのか。
むしろ、やってあげた方がいいのではないか。
次章では、ケアマネの現場でシャドーワークが生む
・契約の問題
・責任の問題
・依存関係
について整理していきます。
第3章 なぜシャドーワークは問題になるのか
ここまで読んでいただいて、「でも、困っている人を助けるのは悪いことじゃない」そう思う方もいるかもしれません。
確かにその通りです。
困っている人に手を差し伸べる。
それ自体は、とても自然な行動です。
実際、ケアマネという仕事を選ぶ人の多くは、人の役に立ちたいという気持ちを持っています。
しかし、ケアマネのシャドーワークにはいくつかの問題があります。
それは主に
・契約
・責任
・業務量
・自立支援
この4つです。
契約の問題
まず一つ目は、契約の問題です。
ケアマネの仕事は、介護保険制度の中で行われています。
つまり、利用者とケアマネの間には契約関係があります。
ケアマネの業務は
・ケアプラン作成
・サービス調整
・モニタリング
・担当者会議
など、制度の中で定められています。
しかしシャドーワークの多くは、この契約の範囲に含まれていません。
例えば
・公共料金の支払い
・買い物の代行
・書類の整理
・入院手続き
こうしたことは、本来ケアマネの業務ではありません。
それでも現場では「つい、やってしまう」ことがあります。
ここに、シャドーワークの難しさがあります。
責任の問題
二つ目は、責任の問題です。
契約外のことを行うと、責任の所在が曖昧になります。
例えば
公共料金の支払いを代行した場合、もし金銭トラブルが起きたらどうなるのか。
書類を整理していた時に、重要な書類を紛失してしまったらどうなるのか。
本来の業務ではないことを行うと、トラブルが起きたときに制度が守ってくれない可能性があります。
つまりケアマネが、個人として責任を背負うリスクが出てきます。
これは決して小さな問題ではありません。
業務量の問題
三つ目は、業務量の問題です。
ケアマネの仕事は、すでにかなり多くの業務があります。
ケアプラン作成
モニタリング
サービス調整
書類作成
担当者会議
家族対応
事業所との連携
これだけでも、決して余裕のある仕事ではありません。
そこにさらに、
・生活相談
・手続き支援
・家族調整
・細かな生活支援
などのシャドーワークが加わると、
仕事はどんどん膨らんでいきます。
その結果、ケアマネ自身が疲弊してしまうこともあります。
自立支援の問題
四つ目は、自立支援の問題です。
介護保険の基本理念の一つは、自立支援です。
本人ができることは本人が行い、必要な支援だけを提供する。
これが制度の基本的な考え方です。
しかし、シャドーワークを続けていると、 利用者や家族が「ケアマネがやってくれる」という関係になることがあります。
そうなると、
・本人の力
・家族の役割
・地域の支え
が少しずつ弱くなってしまう可能性があります。
これは決して、ケアマネの望む支援ではありません。
むしろ、ケアマネ自身が一番避けたい状況かもしれません。
善意だけでは続かない
ここまで見てきたように、シャドーワークは、最初は善意で始まることが多いものです。
しかし、
・契約
・責任
・業務量
・自立支援
こうした問題が重なると、善意だけでは、続けることが難しくなります。
そして気がつくと、ケアマネ自身が疲れてしまうこともあります。
それでも起きてしまう理由
では、ここまで問題があるのに、なぜシャドーワークはなくならないのでしょうか。
その理由はとてもシンプルです。
目の前で困っている人がいるからです。
制度の隙間
家族の限界
地域の支援不足
そうした状況の中で、「誰かがやらなければならない」という場面が、現場ではどうしても出てきます。
そしてその時、一番近くにいるのがケアマネなのです。
次の章では、もう少し踏み込んで「おせっかい」とシャドーワークの違いについて考えていきます。
善意の支援と、業務としての支援。
その境界はどこにあるのか。
ケアマネの現場では、この線引きがとても重要になります。
第4章 おせっかいとシャドーワーク
ここまで読んで、「じゃあ結局、どこまでやればいいの?」と思った方もいるかもしれません。
ケアマネの現場では、よくこんな言葉を聞きます。
「それ、ちょっとおせっかいかもね」
実は、この「おせっかい」という言葉。ケアマネの仕事を考える上で、とても重要なヒントになります。なぜなら、シャドーワークの多くは、この「おせっかい」と重なる部分があるからです。
困っている人を見ると、つい手を差し伸べたくなる。少し手伝えば解決することなら、やってあげたくなる。「まあ、このくらいならいいか」と思ってしまう。
こうした行動は、人としてとても自然なものです。むしろ、人の生活に関わるケアマネという仕事では、こうした感覚があるからこそ支援が成り立つ場面もあります。
しかしここで、ひとつ考えなければならないことがあります。それは、「おせっかい」と「業務」の違いです。
例えば、訪問したときに床に落ちている書類を少し整理する。郵便物が溜まっていたら、仕分けを手伝う。利用者さんが困っている様子だったので、少し話を聞く。
このようなことは、現場ではよくある光景です。
しかし、それが次第に次のような内容になってくると、話は変わってきます。
・公共料金の支払い代行
・買い物の代行
・金銭管理
・生活の細かい世話
なぜなら、そこにはすでに「おせっかい」を超えた支援が生まれているからです。
そして、この境界線が曖昧になると、ケアマネの仕事はどんどん広がっていきます。
最初は「ちょっと手伝っただけ」のことが、いつの間にか当たり前になってしまう。
一度やってしまうと、「次もお願いできますか」と言われるようになる。
そして気がつくと、「ケアマネがやってくれる」という関係ができてしまう。
これは決して珍しいことではありません。むしろ、多くのケアマネが一度は経験していることではないでしょうか。
しかし、ここで大切なのは、善意と役割を混同しないことです。
ケアマネは「何でも屋」ではありません。
ケアマネの役割は、生活のすべてを引き受けることではなく、必要な支援を調整し、生活が回る仕組みを作ることです。
つまり、ケアマネが直接すべてを行うのではなく、地域の資源やサービスをつなぎ、生活を支える仕組みを整えることが本来の役割なのです。
だからこそ、ケアマネがすべてを抱え込んでしまうと、本来の支援の形が崩れてしまいます。
おせっかいが悪いわけではありません。むしろ、その優しさがあるからこそ、この仕事を続けられる人も多いと思います。
しかし、その優しさが「役割」を越えてしまうと、ケアマネ自身が苦しくなってしまう。
そしてもう一つ大切なのは、おせっかいで解決する問題は、実はあまり多くないということです。
一時的には助かるかもしれませんが、本当に必要なのは、その人の生活を支える仕組みです。
例えば次のような方法があります。
・買い物で困っているなら、配食サービスや買い物支援を検討する
・金銭管理に不安があるなら、成年後見制度や地域支援を検討する
・生活課題が多い場合は、地域包括や社会福祉協議会と連携する
こうした仕組みを作ることこそが、ケアマネの専門性と言えるのではないでしょうか。
おせっかいとシャドーワークの境界は、実はとても曖昧です。
しかし、その境界を意識するだけで、ケアマネの仕事はずいぶん楽になります。
「自分がやるべきことなのか」
「仕組みで解決できることなのか」
この視点を持つことが、シャドーワークに振り回されないための第一歩なのかもしれません。
次の章では、もう少し踏み込んで考えてみます。
なぜケアマネは、こうしたシャドーワークを引き受けてしまうのでしょうか。
実はそこには、ケアマネという仕事を選ぶ人に共通する「ある特徴」があります。
第5章 なぜケアマネはシャドーワークをしてしまうのか
ここまで読んで、こう思った方もいるかもしれません。
「シャドーワークが問題なのはわかった。
でも、どうしてケアマネはそれを引き受けてしまうのか?」
実はここに、ケアマネという仕事を選ぶ人の
共通した特徴があります。
それはとてもシンプルです。
困っている人を放っておけない。
ケアマネの多くは、もともとそういう気質を持っています。
目の前で誰かが困っている。
生活が崩れそうになっている。
家族が疲れきっている。
そういう場面を見ると、
「何とかできないか」
「少し手伝えば助かるのではないか」
と自然に考えてしまう。
これは決して特別なことではありません。
むしろ、この仕事をしている人の多くが持っている感覚ではないでしょうか。
「つい動いてしまう」仕事
ケアマネの仕事は、生活の現場に入る仕事です。
病院でもなく、役所でもなく、
人の暮らしの中に入っていく。
そこでは制度だけでは解決できない問題がたくさんあります。
例えば
・ゴミが出せない
・書類が整理できない
・買い物に行けない
・家族が遠方で頼れない
こうした問題は、制度の中で「誰の仕事なのか」が曖昧なことが多い。
そしてその場にいるのが、ケアマネです。
すると自然に「とりあえず自分がやるか」という流れが生まれます。
これがシャドーワークの入り口です。
断れない構造
もう一つ、ケアマネがシャドーワークを引き受けてしまう理由があります。
それは、断りにくい仕事だということです。
例えば、利用者から「ちょっとこれお願いできますか」と言われたとします。
その内容が
・簡単な手続き
・ちょっとした整理
・少しの買い物
だった場合、
「それは業務外なのでできません」ときっぱり断るのは、意外と難しいものです。
特に、関係性ができている利用者や家族だと、なおさらです。
結果として、
「今回だけなら」
「このくらいなら」
と引き受けてしまう。
しかし、これが繰り返されると、いつの間にかそれが当たり前になります。
ケアマネは生活の“最後の窓口”もう一つ大きな理由があります。
それは、ケアマネが生活の最後の窓口になっているということです。
病院は医療の窓口。
役所は制度の窓口。
しかし生活全体を見る窓口は、実はあまり多くありません。
ケアマネは
・医療
・介護
・家族
・地域
こうしたものをつなぐ立場にいます。
そのため、生活の中で困ったことが起きると、とりあえずケアマネに相談が来る。
そしてその相談の中には、本来ケアマネの仕事ではないことも、たくさん含まれています。
それでも相談されれば、無視するわけにはいきません。
こうしてケアマネは、制度の外側の問題にも関わるようになります。
優しい人ほど巻き込まれる
そして最後に、もう一つ。
これは少し皮肉な話かもしれません。
シャドーワークに巻き込まれやすいのは、優しいケアマネです。
真面目な人。
責任感のある人。
利用者のことを本気で考える人。
こういう人ほど、「もう少し何とかしてあげたい」と思ってしまう。
そして気がつくと、自分の仕事がどんどん増えていく。
これはケアマネの世界では、決して珍しい話ではありません。
だからこそ線引きが必要
ケアマネがシャドーワークをしてしまう理由は、決して怠慢でも、知識不足でもありません。
むしろ、
・優しさ
・責任感
・問題解決意識
こうした良い資質があるからこそ起きるものです。
しかし、そのままではケアマネ自身が疲れてしまいます。
だからこそ大切なのは、役割の線引きです。
どこまでがケアマネの仕事なのか。
どこからは地域の支援なのか。
どこからは家族の役割なのか。
それを意識することが、シャドーワークに振り回されないための大切な視点になります。
次の章では、もう少し具体的に考えていきます。
実際の現場では、どのようなシャドーワークが起きているのか。
ケアマネの現場でよく見られる、具体的な事例を紹介していきます。
第6章 現場で起きているシャドーワーク
ここまで、シャドーワークについて整理してきました。
しかし、実際の現場ではどのようなことが起きているのでしょうか。
ケアマネをしていると、制度の説明だけでは解決できない場面に何度も出会います。
そしてそのたびに、「これは誰がやるべき仕事なのだろう」と考えることになります。
現場でよく見られるシャドーワークには、例えば次のようなものがあります。
・救急車に同乗する
・入院手続きを手伝う
・公共料金の支払いを代行する
・買い物の代行
・郵便物や書類の整理
これらは制度の中には明確に書かれていない仕事ですが、実際の現場では決して珍しいことではありません。
利用者や家族が困っているとき、その場にいるのはケアマネであることが多いからです。
現場で実際にあった話
ある利用者の方は、一人暮らしでした。
訪問すると、テーブルの上には書類が山のように積み上がっていました。
役所からの通知、保険の書類、請求書、よくわからない郵便物。
「これ、どうしたらいいのかわからないんですよ」
そう言われると、つい一緒に整理してしまう。
ケアマネの仕事ではないとわかっていても、目の前で困っている人を放っておくのは難しいものです。
結果として、書類整理がそのまま“いつものこと”になってしまう。
こういうケースは、決して珍しくありません。
別のケースでは、訪問のたびにお弁当を買ってきてあげているケアマネもいました。
最初は「今日はついでだから」という軽い気持ちだったそうです。
しかし一度始まると、利用者はそれを期待するようになります。
「今日もお願いできますか」
断るのが難しくなり、気がつくと毎回の訪問でお弁当を買うことになっていた。
これも典型的なシャドーワークです。
さらにこんな話もありました。
利用者のベランダに鳩が住み着いてしまい、困っていたケースです。
鳩のフンでベランダは汚れ、洗濯物も干せない。
本人は高齢で掃除も難しい。
結果としてケアマネが業者を探し、掃除やネット張りの手配をすることになりました。
これもまた、制度には書かれていない仕事です。
しかし、現場ではこうしたことが普通に起きています。
なぜケアマネがやることになるのか
こうしたシャドーワークが起きる理由は、単純です。
他にやる人がいないからです。
家族が遠方で頼れない。
地域の支援が少ない。
制度の隙間にある問題。
そうした状況の中で、利用者が一番頼りやすい存在がケアマネになります。
すると、「ケアマネさんに相談すれば何とかなる」という関係が生まれます。
そしてケアマネ自身も、「このくらいなら」と思って動いてしまう。
こうしてシャドーワークは、少しずつ積み重なっていきます。
小さなことの積み重ね
シャドーワークの特徴は、一つ一つは小さなことだという点です。
弁当を買う。
書類を整理する。
電話を一本かける。
その場では大したことのない対応に見えます。
しかし、それが何件も重なると、ケアマネの仕事は一気に膨らみます。
気がつくと、
「今日は何をしたのかよくわからないけど、すごく疲れた」
そんな日もあるかもしれません。
それが、シャドーワークの怖さでもあります。
それでも現場は続いていく
ここまで読むと、「じゃあ全部断ればいいのでは」と思うかもしれません。
しかし、現場はそんなに単純ではありません。
目の前で困っている人がいる。
少し手伝えば解決することもある。
関係性もある。
その中で、ケアマネは日々判断をしています。
どこまで関わるのか。
どこからは別の支援につなぐのか。
そのバランスを取りながら、ケアマネの仕事は続いていきます。
次の章では、ここまでの話を踏まえて
ケアマネはどうやってシャドーワークと付き合えばいいのかについて考えていきます。
シャドーワークを完全になくすことは、おそらく難しいでしょう。
しかし、振り回されない方法はあります。
そのための考え方を、次章で整理していきます。
第7章 ケアマネのメンタル防衛
ここまで読んで、
「シャドーワークは確かにある」
「自分もやっている」
そう感じたケアマネも多いのではないでしょうか。
しかし大事なのは、シャドーワークを完全にゼロにすることではありません。
現場では、どうしても制度の隙間があります。
そして目の前には、困っている人がいます。
だからこそ必要なのは、シャドーワークに振り回されないことです。
そのために大切な考え方があります。
境界線(バウンダリー)を意識する
まず一つ目は、
境界線を意識することです。
ケアマネは生活の相談窓口のような存在です。
そのため、さまざまな相談が集まります。
しかし、そのすべてをケアマネが引き受ける必要はありません。
例えば
・制度で対応できること
・地域資源で対応できること
・家族が担うべきこと
これらを整理することが大切です。
つまり、
「自分がやること」と
「つなぐこと」
を分けて考える。
ケアマネの役割は、すべてを自分で解決することではありません。
必要な支援につなぐことも、立派な専門職の仕事です。
一人で抱え込まない
二つ目は、
一人で抱え込まないことです。
ケアマネの仕事は、どうしても個人で判断する場面が多くなります。
しかしシャドーワークの問題は、個人で抱えるほど大きくなります。
困ったときは
・地域包括支援センター
・社会福祉協議会
・市区町村の担当部署
などに相談することも大切です。
また、事業所内で相談することも重要です。
「これってケアマネがやることなのか?」
そうした疑問を共有するだけでも、負担はずいぶん軽くなります。
記録を残す
三つ目は、記録を残すことです。
シャドーワークの中には、トラブルにつながる可能性のあるものもあります。
例えば
・金銭の問題
・契約外の支援
・家族とのトラブル
こうした対応をした場合は、、必ず記録を残す。
ことが大切です。
記録は、
・自分を守るため
・支援の経過を共有するため
にも重要です。
ケアマネの仕事では、記録そのものが支援の一部と言えるかもしれません。
ケアマネが壊れないこと
最後に、一番大切なことがあります。
それは、ケアマネ自身が壊れないことです。
ケアマネの仕事は、人の生活に深く関わる仕事です。
そのため、感情的な負担も大きくなります。
困っている人を見れば、
助けたいと思う。
しかし、すべてを引き受けてしまうと、ケアマネ自身が疲れてしまいます。
そしてケアマネが疲れ切ってしまうと、支援そのものが続かなくなります。
だからこそ、ケアマネ自身を守ることも、専門職として大切なことなのです。
シャドーワークは、ケアマネの現場から完全になくなることはないでしょう。
しかし、
・境界線を意識する
・チームで支援する
・記録を残す
こうした考え方を持つことで、シャドーワークに振り回されることは減らすことができます。
そしてそれは、ケアマネ自身を守ることにもつながります。
終章 それでも、ケアマネは人の生活に関わっていく
ここまで、ケアマネのシャドーワークについて考えてきました。
救急車への同乗。
書類の整理。
買い物の相談。
生活のちょっとした困りごと。
制度の中には書かれていない仕事が、現場では日常のように起きています。
そして多くのケアマネは、そのたびに考えます。
「これは自分の仕事なのか」
「ここまで関わっていいのか」
時には、「なんで自分がここまでやっているんだろう」と思うこともあるかもしれません。
それでもケアマネは、人の生活に関わり続けます。
なぜなら、この仕事は単なる制度の仕事ではないからです。
ケアマネの仕事は、人の暮らしの中にある問題と向き合う仕事です。
制度の隙間。
家族の限界。
地域の支援不足。
そうした現実の中で、ケアマネは生活が崩れないように支えています。
だからこそ、シャドーワークが生まれる。
それは、ケアマネが怠慢だからでも、制度を知らないからでもありません。
むしろ、
困っている人を放っておけない。
何とか生活を守りたい。
そう思うケアマネが多いからこそ、この仕事は続いてきたのだと思います。
しかし同時に、ケアマネがすべてを抱える必要はありません。
ケアマネは「何でも屋」ではなく、生活を支える仕組みを作る専門職です。
必要な支援につなぐこと。
地域の資源を活用すること。
チームで支援すること。
それもまた、ケアマネの大切な役割です。
シャドーワークを完全になくすことは、おそらく難しいでしょう。
しかし、その意味を理解することで、支援の形は少し変わっていきます。
「自分がやるべきことなのか」
「仕組みで解決できることなのか」
そうした視点を持つだけで、ケアマネの仕事は少し楽になります。
そして最後に、ひとつだけ。
ケアマネの仕事は、決して目立つ仕事ではありません。
ニュースに出ることも少ない。
表彰されることも多くない。
しかし、世の中には確かにいます。
名前は知られていなくても、人の生活を静かに支えている人たちが。
ケアマネは、そんな仕事の一つだと思います。
シャドーワークという言葉の裏には、そんなケアマネの現場のリアルが隠れているのかもしれません。
この記事を読んで、
「わかる……これがケアマネのしんどさやねん」
と感じた方へ。
ケアマネの仕事は、表に見える業務だけではありません。
言葉になりにくい気疲れ、説明しづらい調整、伝わりにくい配慮。
そうした“見えない仕事”まで含めて、現場は回っています。
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「人はなぜ苦しくなるのか」
「なぜ同じ出来事でもこんなに消耗が違うのか」
そこまで踏み込んで学びたい方は、ABC理論シリーズもぜひ読んでみてください。
現場で消耗しすぎないために。
そして、支援をもっと軽やかにするために。
次の記事でも、かなり本質的なことを書いています。
