ー足長ピエロと誘拐犯.Ⅱ【番外編】ー
■前置き
こちらは以下のお話の続編になっております。
もともとは「#子供を守るために」というお題を見かけたのでそれについて書こうとしたところ、3日くらいかけて書いていたらいつの間にかそのハッシュタグはなくなっていましたので諦めて創作大賞に応募したものです。
手法を真似されると悪用できてしまうので書くことは悩んだところもあるのですが、外国人が就労先の看護の現場で子供を攫おうとしたという事件があり、これから今までになかった誘拐が横行すると考えて執筆いたしました。
今回は前回の内容を踏まえて物語に特化して子供に危害を加える方法をまとめています。本来前回の内容の途中に「物語の悪用方法の応用編」のように書いていたのですが、あまりにも長くなったので番外編としました。
ー前回のまとめと本稿の意図ー
前回の要約をすれば、
サーカスなどで奴隷商人が多用した足長ピエロによる誘拐の手法と、
その対策について解説しています。
またマスメディアと警察や自衛官が非協力だった事例をあげて「公権力が動きやすい証拠の制作の準備と自衛の勧め」を呼び掛ける内容になっています。
対策としては、現状お子様自身にこのような状況だということをしっかり話し、それに対して実際に起こってしまったらどうするか相談し、事前に対策を講じ、もし誘拐やすり替えなどが起こった場合は、自分の子供が誘拐されたという証拠を警察に提出できるようにすることなどがあげられます。子供がすり替えられるケースでは、戸籍上の子供がいるため、母親の勘違いとして捜査の優先順位が下がる恐れがあるためです。
(※前回の内容はこれである程度まとまっていますので、詳しい手法に興味が無ければあんな長文は読まなくても良いかも知れません。気になった部分や手前の手法の部分だけ読んで、他は流し読みでいいと思います。世の中にはもっと読むべき文章がいっぱいあります)
あえて「そのような子供の為に治安を維持しようという意志が薄弱な社会そのものを変えることは一個人では非常に難しいうえに、最悪はそれで商売が繁盛するエンタメ業界からの嫌がらせも見込めますので、まずは目立たないように諦めて自衛をしましょう」という結論を出していました。
■物語を軽視しない方が良い理由
前回は「子供が自分から誘拐されやすくなる物語も存在する」という話を説明したと思います。そのさらに詳しい手法や他の悪用方法に関して対策を書いていたら内容に対して三分の一を越してしまい、本編の話からすると物量が多すぎてバランスが悪く、主体が何の話をしているかわからないほどの文章量になってしまいましたので、これは「物語の悪用法」として別途まとめた方がいいなと思ったので番外編としたものです。
前回の物語の悪用方法は、例えば喋るぬいぐるみを使って
「実は私は貴方の遠い親戚の霊だ。この先何もしゃべらずにこの森の中に入ってほしい。君は僕の亡くなった息子の○○に似ている。霊力もあるようだ。君ならできそうだ。少し協力してほしい。そうしたら私は…この先は言えないが、君は特別な力を手にする。もし何か一言でも話したら資格を失うんだ、頼む君しかいないんだ助けてくれ」
などと日本の漫画やアニメによくある展開を話し、人気のない悲鳴の聞こえない森の中に誘い込むケースもあり、”物語”というものは結構厄介に働くことがあるという話でした。まあ手品つきの広義の詐欺ともいえるのかも知れません。実話をもとにした映画の『ラブリーボーン』では、子どもが喜びそうな地下室に案内して友達になってから殺害するような手法にも似ています。アメリカで起こることは数年後日本でも起こりがちです。
賢明な読者の皆様は「そんなものに引っかかる奴はおらんやろ」と思われるかもしれません。
しかし、従来日本での誘拐は基本的には身代金などを要求することが多かったので、特定個人を誘拐することが多かったのですが、
不特定多数、つまり日本人そのものが海外の誰かにとって拉致をするメリットがある場合は、「誰でもいい」ということになります。戸籍そのものに十分価値があるからです。
つまり物語によって引っかかる誰かで十分ということになるのです。
この場合は自分から証拠を隠滅してくれるため、コストが非常に安いこともあり、実は最近は多用されてしまっているのです。
書きながら気が付きましたが、これは子供ではなく大人にも使えてしまいますので番外編にしました。
ーフィッシング拉致ー
特定のお金持ちの人物の誘拐ではなく「一般人の日本人を目立たせずに拉致したい」場合は、フィッシング詐欺のように全体の子供の内、大人しく夢見がちなあまり親と一緒におらず、再婚の連れ子のように少し両親に疎まれていそうな子供を好んで狙うのです。目的が身代金ではなく拉致の場合は、騒ぎにならないように子供を誘拐することが犯人にとっては望ましいからです。
(※身代金目当ての理由で誘拐する場合だけではないので、「うちは貧乏だから大丈夫だよ!盗るものもないからね(笑)」とはいかない時代です。拉致の目的に関しては詳しくはこちらのリンク(拉致と虐殺)を…ちょっと長いのでお忙しい人は手前の部分だけご覧ください。目的としては、日本人を名乗るスパイとして育て、敵の国で暴力行為を行い、騒動を起こして国際関係を悪化させるなどの狙いがあります。武器を売ったり国内外の情報を売ったりすることができるので、大きなお金が動くのです。広義の民族ネガティブキャンペーンと言ってよいかも知れません。「仮想敵を倒すためにうちの商品はいかがですか」ということですね。韓国人が「悪いことをするときは日本語を話せ」と教わるようなものです。ゲノムや国籍でバレるので、日本人の国籍でやった方がいいわけです。
こうなると、表ざたにやりたいことを公表しないまま実行するので、巻き込まれても何が理由なのかよくわかりません。下手に被害のようなものを報告しても陰謀論者として狂人扱いされるでしょう。
このように誘拐された子供は戦争に利用されることがあります。非常に残酷な手法で、残念なことに、誘拐されてから探してもらえる可能性が低いことが特徴です。
目的が身代金目的なら騒ぎにして目立ち、子供を生かすメリットがありますが、敵国の人種を使って子供を脅して国際関係を悪化させて武器を売りたいなどの需要で行う場合は、とにかく犯行を隠すことに注力します。企業がらみの場合は誘拐そのものを隠すことができる程の金額が出ることが多く、必要なのは本人というよりは恐らくは日本国籍を証明できる書類と戸籍なので、扱いにくい本人は亡くなってしまうことも多いうえ、騒ぎにはしたくないので隠蔽を念入りにするからです)
犯人にとって最もコストが低く有益な誘拐方法とは、子供が自分から社会に不信感を持ち、親を毒親だと言って孤立する事だったりします。できれば自分から犯罪まがいの仕事をお金目当てで行って闇バイトから始まって身分を隠したいと言って、自分で偽造パスポートと自分の身分証明書を別のアジア系の外国人に渡すことがベストです。しかも全体的な社会風潮として扇動するので誰かひとりをターゲットにしない為、リスクが低い所が特徴です。釣りや罠のように自分から引っかかる子供を狙う方が安全ですし楽ができます。
もし被害に遭ってしまった方がいるとしたら、どうか、子供を一人にした自分を責めないでください。
今までの日本は治安が良かったので、そのような罠にかかってもあまり深刻にならなかったので、自由にできていたのです。もちろん平和な時代なら自由にしてあげてのびのびと探求心を満たせるが段階的に安全な状態で育てるべきです。
しかし、それは猛獣が入れない都市を作った今の時代ではわかりにくいコストですが、本来は古来より安全な生活の提供には非常に重いコストがかかります。法を守る者しかいない状態でない場合は、隣に野生の獣がいる時の親のように狭量に子供を拘束し、危険なことをするようであるならば、ビンタの一つでもして、二度とそんなことをしたくないと思うほどに、こっぴどく叱らねばなければなりません。死ぬよりはましだからです。特にその子だけの問題ではなく、共同体全体を危険にさらす場合は結局そのような子供も共同体なしには助けられなくなってしまうので、見捨てられるという理屈で見捨てざるを得ないこともあります。
もし子供が間違いを犯しても、立ち直らせる余裕がありました。しかしそれは治安がいい時のお話です。今はいつ子どもが騙されるかわからない時代なので、少し子供には不自由を強いねばならない時代になっているかも知れません。(※余談ですが、表現の自由は平和な時代では理想かも知れませんが、いつ敵が子供を奪うかわからない時代では非常に危険な要素として働くのです)
犯人にとっては、自分から少し違法かもしれない行為に身を落とし、法的に何が悪いかどのくらいの量刑かわからない子供であるゆえに、なんか怒られたくないばかりに家出してしまい、自分から消息を絶ってくれた方がリスクが低いのです。
もし被害に遭われた方がいたらこの文章を読んで深く傷つくことだろうと思います。それほど日本は平和で子供を自由にしても苦しまなかった良心的な大人が周りにいたときの…悪く言えば…運よく裕福だった国の贅沢に過ぎませんでした。…これは他の移民を受け入れざるを得ない先進国の国々や、奴隷制のあった国や、他の封建的な国や、戒律の厳しい宗教の国々を、差別的だと見下し、他者の事情を察さなかった、日本人の高慢な態度の罰なのかもしれません。「こいつらを許せるものならやってみろ」と。
■売れてないけど予算が出ている謎の漫画
少し話は変わりますが、
私は都内で主にゲーム業界の下請けとして3DCGデザイナーとして働いていましたが、コロナ禍以降もリモートワークを希望し、退職してインターネットで仕事や副業を探していました。
その際、「毒親エピソードを書く」とか「不倫エピソードを書く」とか「財務省を悪く言う不良の漫画」とか「アヘンを自己栽培して一財を成して成り上がる漫画」や「売春体験談」など、それはさすがに違法なのではないかと思えるような漫画や動画コンテンツの制作業務が多数存在することに気づきました。不思議なことに、それらの作品は絵が下手であったり、AIで作成されたものであったりすることが多くありました。リモートワークであれば給料が下がっても良いと考え、応募してみました。求められるレベルがあまりにも低く、中には、執筆者が障がい者ではないかと思われるようなクオリティの仕事もありました。
会社概要を見ると、広告業界や映像業界に属する小規模な会社が多いようです。LINE漫画や縦長動画などを制作しているようですが、もっと面白い漫画が溢れている日本で、なぜ需要があるのか疑問に感じます。しかし、仕事は定期的に、そして大量に存在しています。働き方もリモートがOKで、魅力的です。私のような田舎の外様は下請けばかりですが、裁量をもって自由な仕事が出来そうです。
厄介なことは、これらの漫画が何を扇動しようとしているのか、その意図が不明瞭なことです。意図が不明であるため、偶然作家の創造性によって生まれた作品であると言われた場合、それ以上追及することはできません。
明らかに性器でも描かれていない以上、健全である場合は憲法21条を高々と掲げられてそれを停止することはできません。
しかし特定の商品が売れるという現象は、「夜景の綺麗なレストランでダイヤの指輪でプロポーズし、貧乏なナードのような男は独身でいつも格好悪くて間抜けで、スーツを着た髪をポマードで丁寧に整えた男が格好いいドラマを放映すると、ダイヤが高く売れる」という現象はあり、日本はそれを参考に似たようなドラマを放映しています。
もちろん、影響されるのは一部でしょう。しかしその一部が影響されることで実際にその恰好をしていれば如何に賢くて正しい意見を言えたとしても「モテなさそう」で一掃されてしまうので、残念ながら、少なくとも日本では、どうしてもみんなに聞いてもらわないと皆にとっても損害が出てしまうようなことに気が付いて何か意見を言いたい人は、まずダサくない恰好をしなければなりません。みかじめ料の如く、彼らが宣伝する服を着なければならず、彼らが流行させたアニメを交えてものを語らねばなりません。
服ぐらいならともかく「思想」になってくると厄介です。
例えば日本ではナチス的か否かで議論しなければなりません。
日本ではそれが論拠です。例えば日本人は馬鹿とかアホという単語のかわりの如く、意味も分からないまま気に入らない他人を”独裁者”という人がいます。意味が分かっていないので独裁の何が悪いかも、何が独裁であるかもあまり理解していませんが、絶対悪だと考えているようです。
ある意味経典とか聖典のように使用され、「でもそれって独裁的ではありませんか?」といなすと相手が発言を諦めたりします。私もバカバカしいとは思うのですが、彼らがそれが悪いことだと思っている以上これを起点に使うしかありません。その論拠自体の議論は事実上民意の多数決で不能なので、面倒だからあえてしません。
今は不自由とか優生論とかルッキズムとかチー牛とか虐殺などが絶対悪で、楽しいとか面白いとか表現の自由とか儲けているとかが正義ですかね。
■「不良が増えると化石燃料派生製品が売れて事故死が増える」
とはいえ、「ドラマや漫画には罪はないだろう。拉致は拉致だけを犯罪として検挙すればいいのだ。善い漫画もあるしどの漫画が危険化など誰が判断するのだ?各ご家庭でやればいいことである。それが自由だ」という意見もあるでしょう。
実際、犯罪率を見たら日本人は他の国に比べて低い方です。それがコンテンツがあるからという理由ではなく「言語が難解で、あまりフレンドリーな国民性ではなく排他性が強く議論ができないのに自分のルールを事前に知ってそれを守るべきだと押し付ける文化故に、人気が無く移民が少ないからでは?」ということは近年実証されそうではありますが、よくネットでは表現規制関係の議論では「コンテンツ大国の日本で犯罪率が低いのはなぜだ」という反論はよく見られます。
しかし、誘拐や拉致が起こってからでは遅いので、すでに漫画やドラマが子供たちに対して深刻な問題を起こしていた事例をあげたいと思います。残念ながら誘拐そのものの事例ではないのですがそれより質が悪いことがわかっていただける例をご用意いたしました。
例えば近年、不良ドラマや不良漫画は下火になっていますが、かつては不良漫画ばかりを掲載している少年誌や青年誌が存在しました。
実は不良を流行らせるとポマード(化石燃料由来)、脱色剤(化石燃料由来)、パーマ剤(化石燃料由来)学ラン(化学繊維)、旭日旗(プラスチックや化学繊維)、バイク(ガソリンで走り、練習するときはアスファルトを買ってくれる高速道路に課金する)、楽器(YAMAHA)、レコード(化石燃料由来)、スプレー(化石燃料由来)、タバコ(税収UP)が売れます。
年代別の交通事故や不良の発生場所をヒートマップで可視化すると、神奈川、静岡、名古屋、大阪を結ぶ太い道路が赤く染まりそうな気がするのですが、かつて神奈川には、大規模な5階建ての巨大なリハビリ施設が存在し、現在の感覚では「いくら人口が多かったとはいえ、よくこんな巨大なリハビリ専門の施設を作れたな」と思われるほど、当時の事故死者数が多かったことが推測できます。現在、その施設は老人ホームのような状態になっていますが、リハビリ師は介護は行わず、あくまでリハビリのみを提供しています。中国地方や四国などの出身者がおり、派遣で仕事をしているようでしたが、よく需要があるなと思いました。介護はやりたくないんでしょうね。
また、不良が多い地域では勉強をすると虐められるため、高い学歴を得ることができず、彼らは結果として安い労働力となることがあります。これも資本家に有利な現象です。しかし起こったことそのものは「自己責任」なので、これらの問題が生じても資本家は責任をとる必要がありません。あくまで愚行権を行使したそのご家庭や不良本人が責任を持ちます。彼らは何をしても「俺たちのように真面目に働かなかったから悪い」「貧乏でいい学歴をつくれないのに子供を産んだ方が悪い」として差別され、反抗できない階級に固定化される傾向があります。
余談ですが、そこには賢いのにその職務についている人もいます。大体日本人ではなく、在日韓国人などのマイノリティや海外の労働者、あるいは不運な前科者と、何故か不幸を全身に集めたような物凄い美男美女や優秀な人が紛れ込んでいる時があります。これは統計を取ったわけではないですが、彼らは心から日本人を嫌いになっていく傾向にあるように思います。彼らはお金持ちになると日本を憎み「自分にこんなことをした日本人は食い物にしていいのだ」と思う傾向にあるような気がしますが、実際に犠牲になるのは資本家と無関係の他の殺しやすい一般の日本人のような気はします。特に平和ボケしているし資本家と無関係だから情報を知らない無関係の日本の公務員などが餌食になっていそうですが、ここまでの関連性は「関係妄想」なので勿論資本家は治安の悪化に加担したとしても責任はありません。(犯人の方はぜひ公務員や弱そうな日本の一般人ではなくその状況を作った資本家か何か狙ってほしいなあと思います。筆者も誰かは知りませんが)
工場や塗装屋に就職すると、不良はシンナー(化石燃料由来)を吸うようになりますが、労災にしたくないために、会社がシンナーを吸わせる遊びを教唆しているとしたら、非常に悪質な行為です。
そもそも、高額なバイクの免許を誰が取得するのだろうかと疑問に思っていましたが、裕福ではない町工場の息子が「なんだよ、チキンかよ、金がないなら強盗でもしろよ、クソオタクチキンが!バイクに乗るのが怖いのか?それともあれか?お前はいつまでも親の言うことを聞くマザコンなのか?親を殴って金ぐらい出させるよな!仲間だろ!?ダチを裏切るってのか?俺たち○○隊にはそんな豚野郎はいねえよなぁ!!(バアン)」みたいに言われてマザコンと言われたくないばっかりに、親の町工場の金を盗んでしまい、親御さんに首をくくらせて、不良コンテンツに金を出すタイプのスポンサーがまんまと安く工場を買い取っていたりしたら、すごく嫌だなあと思います。もちろんこれは筆者の想像ですのでこの物語で資本家を憎むようであれば私の物語の力に騙されているので目を覚ましてください。しかしもしそういう事例があったとしたら本当に酷い話です。何故か日本ではニュースにしたり問題にしたりする人はいませんが。
スポンサーはアメリカの歴史から扇動の結果を知りながら、事故死した不良を指さして自分の子供にこう言います「ほら、勉強しないとああなるんだよ」と。そして「ああなったのは自己責任だ」というのです。
余談ですが、個人的にはネットの主にエロコンテンツを見る自由をだけは主張する表現規制反対派界隈の話を見ていると、エロコンテンツよりこっちの方が本当はヤバいのではないかと思っております。特に不良が自滅するのも気の毒ですが、無関係の「ただ勉強したいメガネのオタクはダサいから虐めてもいい」というのは本当にとばっちりだよなぁと思っております。これも学歴の低下につながるので、劣等感のある故に聞き訳の良い安い人材が欲しい資本家には都合のいい話です。
筆者の田舎ではオタク差別はなかったので最初冗談だろうと思っていたのですが、関東のオタク差別による虐めは暴力を振るわれるレベルだそうです。実際に平気でオタクのような恰好をしていると彼らに「虐めていい人間」扱いを受けるようでしたので、関東では擬態するためにしまむらかユニクロ以外のクソ高い服を買って着なければなりません。みかじめ料を取られるようなものです。
彼らは要求だけはしますが、自分以外の子供を守ってはくれません。自分たちが儲かればどうでもよいと考えています。そして責任を絶対に取ろうとしません。お金がかかるし不名誉だからです。自分の子供には多額の資金を投じて海外留学させ、素晴らしい経歴を用意する一方で、庶民には社会に役立つとは言えない音楽やイラストなどの夢を追わせ、自由に多様な夢を描くだけの知識や、あるいはたまたま別の才能があって、勉強が苦手だった時の生き方などを教えません(これは彼らの子供に対してもそうですが)。恐らくは労働者階級はなるべく貧しく、劣等感を抱かせた状態で自分を尊敬させて働かせたほうが気分も良いのでしょう。
泥棒にとって最も都合が良いこととは、まだ何も知らない子供が騙されて、自分の手を汚さずに子供自身がお父さんやお母さんに危害を加え、子供たちが自分の奴隷になって、親の財産をもって、土地もくれて、嫁いでくれる状態になることです。
敵同士で争って自分のために奴隷になってくれるのですから一番コストが安いですよね。しかも物語に騙されてくれるだけなら下手に殺したり殴ったりするよりずっとコストも低くて責任も取らなくて済みます。
■親に仇を成せという呪い
話は変わりますが、愛宕神社という神社をご存じでしょうか。通常(※注1)、他の愛宕神社は「ヒノカグツチ」という神様を祀っているようですが、これはイザナミノミコトの死因となった火の神様です。
このため、諸説ありますが、一般的には仇を成す子という意味で仇子(アダコ)がなまって愛宕となったと言われています。
(※注1)余談ですが、京都で400年ほどの歴史のある愛宕神社が放火によって炎上したと聞いて、愛宕とはどんな神なのだろうかと調べてみたことがあります。その炎上した神社よりさらに古い700年くらい前の神社らしいのですが…愛宕神社で祀っている神々がヒノカグツチではないパターンでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE
イザナミの死後生まれた子どもからミズハノヒメだけを引いて天熊人命という熊みたいなものに変わった感じのラインナップに悪意があるとしか思えない神社もあります。あえてミズハノヒメだけいない上にその説明が何もない所が余計になんか怖いです。
たぶん左遷場所なんだろうなあと思っております)
まあこれって東北に多い神社なんだそうです。
つまるところ征夷大将軍にとって敵対勢力であった蝦夷地(えぞち)や、土蜘蛛(つちぐも)と呼ばれていた人々が住んでいた場所に、この神社が建立されたためではないかと考えられます。京都にもたくさんあるようですけどね。そういえば東北にも小京都がありますが、京都にも小蝦夷地があるのかも知れません。
用は、敵になるような人物と真正面から戦うより、まず子供を懐柔して、親を憎むように差し向け、結婚でもしてから適当に冷遇して子ども一人産んだらそれに土地を相続させて自分のものにしてしまう方が楽だということを知っているのでしょう。
Bella gerant alii, tu felix Austria nube!!
Nam quae Mars aliis, dat tibi diva Venus.
まあ古今東西よくある手法ですが、
つまるところはこれは呪いなのです。
因みに西洋では金持ちの娘と結婚した後は気に入らなくなったら捨てて(※捨てるというか、殺したり、狂い死にするようです。最悪は親を殺させてから用済みになったら間男だけが全部遺産をかっさらう)しまい、あとですぐに若い花嫁と結婚してしまうことが多いようです。特に「おお、なんと気の毒な娘よ。冷酷な父親は息子に相続金を独占して娘には何もやらないのだ」みたいな小説が多いようですが、その後の貴族や資産家の娘の悲劇はさほど書かれてはいないようです。歴史には残っているようですが。
最初は庶民は純愛を装って金持ちの娘を必死に欲しがるし、断れば可愛そうだからと言って貴族が庶民と結婚すると、まずろくなことにはなりません。大体一緒に暮らしているうちに貴族は庶民のあまりの下品さと頭の悪さに嫌気がさしますし、庶民は貴族がわけのわからないことを言って偉そうでムカつくし口ばかり動かしている怠け者だし気も聞かないというので喧嘩になって、結局庶民、あるいは貴族の若い子と浮気して破綻するようです。
たぶん、途中遺伝的には貴族と奴隷が逆転していそうでややこしそうですが、頭脳と趣味と傾向は同じ人と結婚した方が良いでしょう。
最悪最初から予定調和でガスライティングなどをかけて相続金を貰って狂い死にさせたり殺したりします。フロンティアな時のアメリカあたりの話でもみればいいかも知れません。日本の士族と商人や農民の関係と遊郭のお話もだいぶ酷いのですが、この話をすると長くなるのでやめておきます。具体的に書くと酷過ぎるので物語として、いつか筆者は全員顔と知能が微妙な現代版南総里見八犬伝のギャグマンガでも書こうかなと思っています。
日本の大和朝廷側にいた人のゲノムを見たところ中国大陸から来た人が多いようですが、中国の人が日本に上陸した時からこの手法は古くから使われてきたのでしょうね。
まあゲームでも直接戦闘するより混乱させて味方を同士討ちさせた方が良いですからね。
因みにアメリカの小説家や大リーガーは金を持っていそうだと適当に女の子をあてがって子どもを連れ去ってその子供に財産を相続させようとする人が多いのですが、いつかその話もまとめたいと思います。日本の文豪の結婚の仕方も結構そんなところがあります。
要するに夢のある仕事というのは搾取装置なんですね。まあ確かに全体の数割くらいはプロになって大儲けするのですが、殆どがミットとバットとボールと楽器を買わされるだけで回収はできず、ミュージシャンは早死にするし、大リーガーは何かしら訴訟を起こされて大金を失い、漫画家は猫と高めのチュールを買わされてお給料を回収されています。つまるところ、利率の悪い努力が必要な予告のない宝くじみたいなものです。
ああいうのは「漫画家になると大儲けする」という広告でしかないので、そのお金は…例えば、資産形成ができる投資や土地や田畑にはならないことが多く、大体、やたら高額な商品の購入や特定の一族か一族の言いなりになるような分家の奴隷の様な人と結婚した孫の遺産として消えていくことが多いです。
日本人は庶民は無神論者が多いものの、お金持ちに限って占い師に高額な資金を払ったりします。
少なくともクソケチで寄付率が先進国では低めの日本人が、なぜか神社だけは残して予言のようなものを根拠不明な実行に移したことは確かなので、何らかの効力はあるのかも知れませんね。政治家が占い師に多額の送金をする話もある程です。あまり近寄らない方がいいのは確かです。
今回は話が長くなるので詳細は割愛しますが、お札やお守りや姓名判断も、「この一族は冷遇しろ」という暗号になってたりします。画数とか漢字に入っている特定の文字列で、特定の一族だけが冷遇すべき一族かどうか差別する感じです。懸賞などにあたりやすい名前とかは実は昔はありました。例えば敏郎とか名前に早いとか早漏を想起される音が入っていると冷遇していい、みたいなやつです。馬鹿にしやすい名前になっていたり、太とか花が入っていれば軽んじていい三枚目だが奴隷なので適度に身のほどを弁えさせるくらいに虐めて殺したりはするな、だとか、若いうちはちやほやして自惚れさせるが花が枯れたら(※失恋させたら)本当はブスであることを告げて身のほどを弁えさせて家事をさせろ、だとか、そういうメッセージが込められています。…少々物語と誘拐とは無関係な話になってしまいましたね…
そもそも日本では奴隷用の子供を産めば誘拐する必要はないのです。また偉い人の家系図とゲノムを調べるとつじつまが合ってないそうなので頻繁に入れ替わっていると思われます。日本においては数千年手遅れです。
少なくとも”愛宕”と書いている地名や神社がある土地は「冷遇すべき親殺しが実行された方が都合のいい一族がいる土地」だと思われている可能性が高いです。
厄介なのは年季が入っているのでもはや言語にしなくても「いつもの」で通ってしまうことです。
要するにこういった手法はかなり昔からとられていたということですね。
恐らくは日本に大和朝廷ができてからずっとこんな感じなのでしょう。
■「夢を目指させてくれない親は毒親だろ?」
近年は、さすがに不良にはなってくれないので、代わりに「子供の夢を応援してくれない親は毒親だ」という言説を広めているようです。誘拐とはまた違うの目的ですが、平たく言うと「クソ高いミュージシャンや声優や野球選手や画家や漫画家やデザイナーやゲームクリエイターなるときに買う楽器やマイクやミットやナイキのシューズやペンタブレットやパソコンや描画ソフトを買わない親の家庭なんて壊れてしまえ」ということですね。皆広告で仕事して楽していきたいですから。
これで親と喧嘩させた状態で新宿とかに呼びつけて「本当にアーティストになりたいなら痛みを知ると良い。痛みを知ると優しさも知ることができる。アートって言うもんはさ、やっぱ少し人と違って狂ってなくちゃね」とか言ってひどい目に合わせてOD(オーバードーズ)とかをさせて東横キッズやいただきりりちゃんみたいな声優志望だった人に売春詐欺をさせてそうですが、「集めた側には罪がないだろ?勝手にバカな田舎者が新宿あたりのヤクザにキャッチされただけだろ?子供たちに夢を与える俺たちの何が悪いんだ。売春やってる奴だって本人が好きでやってるんだ!女性の自由意思を妨害するな!」と言われそうで面倒くさいからこの辺にしておきましょう。
youtubeの音楽なども、よーく見ると売春の肯定だったり、退廃的な生き方やドラックの推奨を暗に歌ってそうだなあというものもあります。子供を騙しそうなキャッチのアイコンもそういう若い子が好きそうなyoutberみたいなイラストの少年とかを使ってそうなことがあるのですが、実際、彼らがそのような仕事をしているかどうかに関して言えば根拠はないのでこの件に関しては「デザイナーが感じる違和感」として聞き流してください。
声優やダンサーを目指しそうな子が売春の入り口に吸い寄せられていることが気になります。この場合は自分の意志なので拉致ですらありません。むしろ「私の両親は(夢を応援してくれないから)毒親である」と発言させれば帰らなくて済みますし親は住所を知ることができません。孤立させるにはぴったりです。なお、筆者は家族に数百万を払ってもらって夢を応援してもらいましたが、就業から3,4年目、何故か途中風俗嬢をやっていました。何となくですが大学から付き合っていた彼氏も狙って別れさせられたような気がしないでもありませんが、こちらは証拠はありません。まあ、これはただの所感ですが、カモがネギをしょっていると思われていたような気はしました。
他のケースでは、正直プロとして活動するのは難しいと思われる障がい者の方に、夢が叶うと唆して毒親漫画を書かせて、親から切り離させて、実質はSNSで特定のアカウントに無料で親の悪口漫画を書いていた人もいます。ほぼ無料でSNS運用を頼んで、もし彼女が自殺したら出版社ではなく親のせいにできそうな状態にさせられただけでしたが、あくまで彼女はクライアントに気に入ってもらい、インプレッションを稼いでインフルエンサーと漫画家を併用するためにやっていると思っています。特定のファンアートを書くとなお反応が出るので、下積みの様に絵を描かされていました。欲しい土地があるとその家の娘や息子さんを虐めて引きこもりにしてこのルートを遂げて親と仲を悪くさせてから適当な不細工(理解ある彼)と結婚させて土地を奪うらしいです。
これを止めることはかなり厳しいのです。「夢を目指すって、素敵じゃない?」という世論に正論なんて通らないのですから。それで子供が社会のいうとおりに期待通りに夢を目指したのに、蓋を開ければ詐欺師になってしまうのです。Youtuberだったホストというか、ただのヤクザのケツモチであって、まあ『新宿スワン』みたいな感じにフィードアウトしていきます。
直接以下の『働く細胞』という漫画原作のアニメにそっくりになっていきます。(※知らなかったらすみません)
ですが誰が職業選択の自由と若者のひたむきな努力という美談を否定できるでしょうか。まるでピーターパンみたいな顔して「自由」とか「夢」とか「努力」とか言いながら近づいてくるに違いありません。
いえ、否定そのものは非常に納得のいく形で簡単にできます。私以外のまともな大人もそうです。
しかし「難しくてわからない」「本当に頭のいい人とはわかりやすく話す」「支配欲の強い愛のない冷徹な合理主義者、子供を道具だと思っている」などと言われるので、寧ろ難しい話をした私が悪い事になり、実際彼らが読む漫画にも古い考えを持つ全体主義者の偽善者、子供を自由にしてくれない独占欲の高い親、賢しらぶりたいやらない言い訳が多いだけの成功できない負け組、などと言われてしまうので、どうしようもありません。この話を他のSNSでしたところ他の大学教授に「じゃあ描いてみろ」と言われてお絵描き対決になったことがあります。私が3DCGデザイナーをやって夢を叶えた状態で、ある程度の画力があったのでかろうじて提言が可能になっているのです。
■それは無理だと否定すれば否定するだけ悪役になっていく
私も何度かその障がい者の女性に「プロは厳しい」という話をしましたが、通院中に絵を描くことそのものは悪くないので止めませんでした。しかし恐らくは彼女が本来好きだったかわいらしい少女漫画らしい絵ではなく、なんとなくBLのような文脈の絵を習わされているような…本来好きではない性的に近い絵を描かされているような気がしました。アウトサイダーアートでもない中途半端な下手さがあり、なんだか彼女の担当編集に「見世物というか、わざと馬鹿にされるような漫画家」になるように仕向けているように見えたのを覚えています。教材費を払わせたり、SNSのファボ数やRT数を稼がせたら、適当に炎上させて別の何かを恨ませて捨てそうな感じがしますが、
そういう事例はまだないので、実証して証拠を見せるわけにはいかないですし、過去の同様のケースや文献もありませんので、彼女に「やめた方が良い」とは助言もできません。恐らくは彼女は私よりも編集者の意見を選ぶような気がして遠回しに助言するしかできませんでした。彼女の中では、私は夢を諦めさせる悪役にしかなれないだろうと思ったからです。
しかしネットは容赦なく猥雑な情報をすべての人に提供し残酷な資本主義の弱肉強食の世界に引きずりこもうとします。皆チェーホフのカモメのように何者かになろうと必死です。
誘拐とは異なりますが、正直を言えば、ネットで炎上させて、何か開示請求をしないかという詐欺でもしたいのかなと思ってしまいました。あるいはわざと怒らせて誹謗中傷をさせて、訴えて非課税の賠償を貰う当たり屋的なことをしたいか、あるいは、BLを書いたことを後悔させて、削除を依頼させて裁判で違約金を請求し非課税の税金を奪うなどの手法があります。
私もこの手の話を書いたときに、AIによる児童ポルノに近いコンテンツの制作依頼がありましたが、オープンソースの規約上本来はできない(使用禁止)ので断りました。断らない場合は賠償金を払わなければならないケースもあります。このように犯罪であると熟知した上での依頼もあるため注意が必要です。漫画家志望は個人事業主が多いので下請けはいくらでも作れるのです。何なら事業主には補助金も出ますので親切に申請の手はずを教えて自分のお勧めするパソコンやアセットなどを購入させたりします。もちろん儲かりませんし、『事業に必要な費用にかかった金額の何割を負担する』というものなので頼まれた方は損害しか出ません。
しかし、子供たちが夢を目指そうとするときに足掛かりになる初仕事を止めることは難しく、場合によっては止めたことで「私の夢を諦めさせた」と言って暴れることもあります。そうするように担当からもはっぱをかけられているような気もしますが証拠はありません。彼女がよく見てフォローするSNSや漫画でそう思うように情報を見せているだけかも知れず、こうなると責任の追及は不可能です。こうなると自己責任ですが、恐らくは、誘拐も夢の為だと言えば可能だろうなと思ってしまいます。
こうして、誰も他に何もできることのない病気の子供が出版社の食い物になることも、怠ける理由を見つけた子供も、阻止できないのです。
それこそ漫画を見ると自分に自己投影できそうな美男過ぎない少年少女のキャラクターが「頭でっかちな大人の傲慢だろ!知るかよ!」と言って大ゴマで「ドン!」と大見えを切る歌舞伎役者のように格好良く断言しており、夢を諦めさせる暗そうで格好悪いメガネの卑屈なキャラや神経質そうなPTAのおばさんみたいなキャラを馬鹿にしたりぶん殴ったりしています。これでどんな正論を言っても「ダサい」側の人間のいう事なので無視されます。
彼女にとっては物語が教典なのです。
親よりも物語について行くので、物語に対抗する術は現状それをやると現代ではたぶん虐待と呼ばれてしまいます。例え障がい者だとしても参政権もある責任能力のある成人女性という扱いなのです。
こうなると、もはや正論でどうしようもならないのなら、暴力だけが禁止されたこの国では本人が自力で破滅するまで待つしかないのです。
私はプラトンの書いたソクラテスの対談集のように根気強く説明するが理解してもらえず、あるいは理解している者から社会的な圧力に逆らえず見捨てられ、喜劇作家に言ってもないことを言ったことにされてバカにされ、果ては冤罪をかけられて服毒自殺をするソクラテスを思い出すのです。日本ではなおさらみんな、正論より和を尊ぶことによって得られる利権の方が大事ですし、必要な仕事より夢を見る仕事の方が好きですし、文化だとか芸術だとか言う職業には尊敬すらされかねない社会的地位があります。あるいは私はその後、それと同じ状況の人物を別の書物で見つけたことがありますが、彼はイエス・キリストと呼ばれていました。
有名な哲学者でも無理なものを我々普通の人間ができるはずもありませんし、上手く説得できても一度死んで復活せねばならず、神様でもないと説得は無理という事でしょうか。いいえ、聖書をよく見ると奇跡を見せてもダメな人は救われませんでした。聖書曰く、『'そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 '(マタイによる福音書 24:40-41)』恐らく半分くらいらしいです。もはや神様にも無理な場合があるということになります。
■好奇心を餌に罠をかける
障がい者を例にしましたが、
高度な知能を持っている子供だから騙される罠というものも存在します。
人間は落ちている餌には寄り付きませんが、好奇心で自分から死ぬことがあります。例えば玩具型地雷やクラスター爆弾は子供がおもちゃだと勘違いして触ることで爆発します。(※国際条約で悪質とされ製造は禁止されています)爆弾なら規制してくれるのですが、情報になると禁止は難しいのです。
子どもは自由であるべきでしょうが、例えるなら、解毒が必要な食べ物を忙しくて詳しい方法を教えられないときに「フグは賢い人であれば食べても大丈夫だ」という人がいたら確かにそれは事実ではあっても大変迷惑であるように、何でも自由にするわけにはいかない事情が親にも生じる時はあるのですが、日本ではなかなか理解が得られません。
フグであれば納得してもらえますが、これの”フグの毒”の部分を「特定地域の文化的に直ぐに嘘をついて卑怯な方法で違法行為を行う確率が大きい民族」に変えて、”知識があれば何でも食べられるようにすることも可能”という話を「分かりあえれば人類みな兄弟」「お互いの偏見を捨てよう」という話にすると如何にそれを禁止することが難しいか想像してくだされば分かると思います。
忙しいご家庭や弱い人やまだ法的知識のない反抗期の子供がいらっしゃるご家庭での偏見を多少ご容赦していただけるように協力いただく必要が出てきます。むしろ彼らの様な漫画家にはこのような情報を書いてもらった方がいいのかも知れませんが、しかしこの偏見が後々、本当に民族同士の偏見を捨てて人類がお互いに仲良くなる時は邪魔になってくるので本当に難しいお話です。
私は以下のラーメンズのコントを思い出しました。
しかし「子供は賢いのだからそれくらい親が子供を躾ければいいだけの話だろう」という反論もあることだと思います。しかし子供によっては、特に知能が高い子供に限って言えば、普通の躾が通用しないことがあります。
こういった子供は育てるのが難しいので、他の叱ればそのまま常識的なことしかしない子供とは子育ての苦労が違うのです。しかしその苦労を知らない人が勝手にそんなことをしないと断じてしまうと、その子供だけではなく、拉致をされた後に他の子供たちも危険にさらされることがあるのです。
■「うちの子は聞き訳がいいから誘拐されなかった」という家庭への反論
しかし、それでも「そんなものは誘拐された方にも責任がある!我々の子供は聞き訳が良く、普段と違って「おかしいな」というものを安易に受け入れないから誘拐もされない。日常を愛し、つまらない「普通」のありがたみがわかる我々のようにしないから悪いのだ。お前らはすぐにズルをして楽をしようとして、手を動かさず口を動かして頭でっかちで、一発逆転を狙おうとするから変なモノに手を出して失敗するのだ。それは落伍者である自分を認められず私を尊敬せず、自分が何者かであるという妄想を引きずって粛々と地道な仕事をしないからである。だから、私のようにしなかった彼らの自己責任だ。私の子供は誘拐されていない!私の伝統的な子育てが有益だからだ!「悪いものは悪い!」「日本人の国なのだから日本人が優先だ」そんな奴のために経済的に利益のある行動を抑制するのはいかがなものか。昔通りに戻せばいいのだ」という反論もあることでしょう。
厳しいことを言えば、まず、それはその子に誘拐する価値がないから誘拐されなかったという可能性もあるわけであって、誘拐する価値のある人々にとっては、そのような育て方はしてはいけません。この場合は、角が立つから誰も教えないだけです。あまりにも頭が悪く聞き訳が悪いと暴れそうだし五月蠅そうなので、少し知能が高く、最低でも授業中座って勉強ができ、しかし子供なので脅したら大人しくするぐらいがちょうどいいのです。
ただでさえ周りは子供を厳しく育てると「可哀想だ、虐待だ、もっとのびのび育てさせるべきだ、勉強ばかりさせるより運動をさせろ」と言われてしまいます。しかし、それは頭脳労働者タイプの家庭にとって、はっきり言えば無駄な生き方です。それは、その生き方が向いている人の生き方の強要なのです。むしろ、そういう、日本の軍事教育をベースにした集団教育に向いていない、大人しい子まで一律同じように扱わせ、無理に学校に引き釣り出しているのだから、もっと学校は危機感を持ってほしいものです。自分以外は一律奴隷という中国で育った韓非子的な組織や老荘思想は現代には適合しないでほしいと思います。
…努力で人間は平等になれるという思想のある日本では、この頭脳労働者タイプの肉体と肉体労働系の肉体の違いを論じることそのものが”人権侵害”に該当するかも知れないという”空気”があるので、この話をできる人が日本には限られていることでしょう。
兎に角、結論を言うと、別の家庭がそのようにしても誘拐されなかったとしても、それは育て方が良かったわけではありません。
あるいは、優しくて理解力があって異文化理解をする仕事が得意な子供や学者の卵などの学者系、本能的にやりたくないことを無視してそれを実行しなければ仕事にならない類の軍隊や警察や医者や高所での作業や危険物取扱系職種や土木などの仕事をする本能的な危機感を無視するタイプの職種の人に関して言えば、悪く言えばその脳の性質や能力が仇になって、パソコンで例えるなら、特定のウィルス対策ソフトをインストールする前であれば、ウィルスにやられやすいという人は実は存在します。本能的におかしいと思うことも理解しようとしてしまうので、知識がないうちは騙されてしまうことがあります。そもそも書き換え不能のパソコンや容量が小さいパソコンやそもそも機能が少ないパソコンやネットにつながっていないパソコンや重要な情報が何も入っていないパソコンはある意味ウィルスに感染しても無害ですよね。
恐らくは、特に学者系は中国系の組織では長らくただの厄介者とされてきたでしょう。肉体労働や軍隊系の人材は虐待したうえで結婚を餌に働かせることはできますが学者や軍司は時々裏切るので厄介でした。
いえ、中国の伝統的な統治方法では、確かに知恵者は尊ばれてはきましたが、しかしその組織形態の原型を作った韓非子そのものが、賢すぎて危険であるという理由で始皇帝に惜しまれながらも殺されています。
多分、猪八戒が軍人だとしたら、恐らくは河童や猿でしょう。醜い女性とあえて交配し続け、その上ハゲさせたりして社会的に抑圧して、アイディアが群集と結託して裏切らないようにして、卑怯だとか狡いとして評判を下げたものと思われます。しかも性欲で釣っておきながら、性欲が強いことを揶揄われ続けてきたであろうことはあえて自分の国に不利になるようなことを書いた中国の歴史書からも推察できます。昔から性的スキャンダルを脅しの道具としてその政治家を攻撃して自分たちに忖度させるという手法があったのでしょうね。もうどうせでっち上げたのスキャンダルなどどうでもいいので政策だけで議論してほしいものです。
その傾向は文化大革命のように働き、一度まとまった世界では知恵とは破壊と混乱を招くだけだと見なされていた可能性が高い。あるいは、利用はするが自立はできないように、醜くしたり病弱にしたり目が悪くなるように育てていたか去勢でもしていた可能性が高いです。もしくはわざと極めても仕方のない学問や禅問答や役に立たないことが偉いという老荘思想のようなものか詩文にでも興じさせていた可能性が高いです。文化大革命が起こる背景とはこういうものなのです。
しかしそれは知恵者や本能に逆らえる人材が劣等なのではなく、従来の人として泣くべき時に泣き笑うべき時に笑う一族、つまり人情味のある者とは、パソコンで言えば、アラートが最初からうるさい子供用パソコンみたいなものです。子供のころはそれでいいのですが、大人になるにつれて、本能は少しずつ抑制されないと役に立つ人材になることは難しいものです。大人になれば、応用力の必要な判断をしてエラーを無視して処理を簡略化したり、危険な処理をしなければならないことがあります。(新約聖書の福音書ではイエス様も問題を話題にしていたりします。正直この箇所を教科書に乗せてほしいです)まあ泣かないし笑わないというとサイコパスともいえるのですが、大人になると辛くて苦しいことを我慢できるようになります。しかし子供の時から痛みが無ければ、それは先天性無痛無症のようなものです。他人の痛みがわからなくなり、それはそれで困るのです。
もし、パソコンで例えるなら…寧ろその誘拐されやすい子供は…つまり、コンピューターウィルスが入って危険になるような余地のある、重要な機能の付随した優れたパソコンだったり、大人になれば、制限がないから様々なソフトウェアを開発できるような、子供向けの閲覧制限もなく、アラートもいちいち出ないような開発用パソコンになるような高度な設定の特殊なハイスペックパソコンであったかも知れないということです。(パソコンに詳しくない人はすみません)
みんなが平等ではないし、得意不得意も違うのだから育て方も異なるのです。知能の容量が小さく、理解力がない人はいつもの行動しかとらないので誘拐されにくいのですが、そういう家庭の育て方を押し付けてはいけません。こういうタイプは、権威の言いなりになるので、権威が狂ったときに一斉に狂うのです。そういうタイプを抑制しなければならないときに「思考力があるので余計なことをする人」が役に立つときもあるのです。
それを肯定するのは文化大革命やクメールルージュの発想で、知能が高くなりやすい人材を差別し死に至らせようとするものなのです。
他の国では知能の高い人は尊敬されるので目立たないのかも知れませんが、東アジア特有の風習によって、知能が高く好奇心の強い子供だけが危険にさらされてしまうのです。
一定の東アジアの人々は、それをわかって子供を大事に育てる知能指数が高い親子をわざと離れ離れにして、自分たちの様な下品で粗野なコミュニティに連れていく人がいますが、頭脳労働者タイプにとっては、ただの虐待です。しかし「マザコン」「庶民感覚がわかっていない」と言って虐めるので、仕方なく賢い人も彼らの思うままに過ごさせるのです。
これは単に賢い人たちへの嫉妬なのです。
私は何度もこういった話を議論していましたが、はっきり言いましょう。
努力しても、一定数の人は論理的な思考能力か、自分や他人の違いを認めず配慮する能力か、あるいは悪意あって自分より優れた人間のパフォーマンスを下げようとする欲望に対する自制心がない人がおり、何を話しても自分がやりたい社会や世界の形成以外は一歩も譲らず全体を考えず、自分と半径2mくらいの交友関係の利益しか考えられない短慮な人間は存在します。古来よりこのような議論の公平性のルールを守れない者が選挙権を持たなかったのだろうと感じました。
しかし今日ではこの正論は「人類はみな平等」という科学的根拠に乏しい信仰によって異端とされるのでこの辺にしておきましょう。
■物語の力に抗うことは現状、不可能に近い
残念ながら子供を夢のある物語から助けることは東アジアの場合は非常に難しいです。何せ他人が騙されたらザマアミロという文化ですし、知能の高いエリートが馬鹿正直に法を守るのを「愚かである、自分のようにクレバーでないことが悪い」と断じるような庶民の方が多いのです。日本は他の先進国とは違い、中国思想がベースにある庶民が多いのに民主主義だからです。中国の庶民に教えた大乗仏教などの教えそのものが封建的で、民衆に知恵を与えず「曖昧で分からないことを格好いい」として禅問答をさせて「たとえ偉い人が相手でも違法行為は専門家の意見を聞きながら真偽を問おう、また法解釈は本能的には残酷だと思われることも多く、複雑なので、間違って感情的に裁いてしまったり、逆に些末な法律違反で緊急事態に大義を成そうとした人を嫉妬で裁こうとしたりせず、何が善であるか生涯学ぼう」という風習は特にないからです。
それは多分、日本式の資本主義とか民主主義とか面白い仕事をくれる出版芸能関係者(ヤクザがいる。従う倫理観のない民衆犬も多い上に匿名性も高い)とかたぶんそういうのに勝たないといけませんので、一般のご家庭ではほぼ抵抗できません。
日本のカルト宗教や韓国の旧統一教会が親から子供を切り離して洗脳して入水自殺をさせるケースがあったので、非常に危険です。「あの人たちを怒らせたら終わりだ」「空気を読まない方が悪い」と言われており、見て見ぬふりをされて自殺とされて家族を失う事でしょう。
日本でもみんなが「おかしいなあ」と思いながらもそれを口にすると村八分にされるなどの冷遇を受けるので流されてきました。実は、キリスト教的な西洋化は売春や偶像崇拝の禁止があるために、ある程度の日本の庶民が抵抗したのです。もしくは檀家かも知れませんが。
それだけではなく、「漫画を読まないことで子供が虐められる、ゲームをさせてくれない虐待親だと言われる、買えないと言えば子供が可哀想だとなじられ、貧乏なのに無計画に子供の好きなことや夢を目指させてあげられないのに子供を産んだ無責任な馬鹿な毒親」みたいなお話がTwitter(X)に次々とポストされていくのを横目に見ております。(※「子供の時にゲームを禁止させると大人になってからやり続けるようになる」という言説には根拠はないです。子供の時ゲームを持っていなかったから虐められた場合は反動でゲームを持つので社会のせいでは)
結局、絵や漫画や音楽そのものが売れているというより「ミュージシャンや漫画家になりたい人が教材や機材を購入する」から儲かるわけですので、みんな自分がやりたい仕事がなくなることが死ぬほど嫌なのだろうなと思います。何故ならこの批判をするだけで、ここまで払った夢への投資は無駄になり、コンコルドの誤謬を起こしますし、それだけではなく大量のアイドルの卵や漫画家の卵や服飾業界勤務など食えない仕事をしたい人々に攻撃されます。夢を目指すみんなが喜ぶ仕事を税金で作ってくれる人を「不適切だからやめるべき」と言った人に似た悪役が登場する漫画とかが描かれたり、「セックスができない奴はどんなにエリートでも馬鹿にしていい。庶民感覚が分かってない」とか、「騙された男がダサい」とかそういう歌が歌われたりして、じゃあ不倫をしようとなればスキャンダルになります。
そして、しっかり狙って子どもを抑圧して大儲けした側には責任が生じず、「子どもが騙されたのが悪い」ので「自己責任」ということになります。
抗うどころか黙ってカモにされないと「おまんまの食い上げだ」と言い出して「みんなで僕たちの楽しい仕事を奪うやつを虐めよう」という話になり、絵が下手で歌が下手な奴に限ってヤバい方法でそれを実現してくれます。だから定期的に絵が下手で歌が下手で顔が微妙な人がプロになっているのです。その方が素人が自惚れるという効果もあります。
こうなると、この話をするだけで夢のある仕事をしている人に危害を加えられる可能性が高いので、信頼している人にだけは茄子しかありません。
実際に裕福で愛されている子供を直接刺し殺す通り魔より、夢を目指す仕事で汚れたキャリアによって届かないエリートのご家庭に対し、リスクも低く気軽に嫌がらせができて楽しいのかも知れませんね。食えない仕事で貧乏な人も多いので顔自慢の人もいるのですが、未婚の人も多いのです。普通の幸せな家庭が大嫌いという人もいるでしょう。社会扇動程度のことしかしないので、仮にそれで死に至るにしても、殺人よりは罪が軽いのです。
苦労して証拠を集めて裁判にかけても賠償金をとれても少額ですし、その後も捨てる物がない無敵の貧乏人に死ぬほど恨まれます。
開き直ってお金がないから賠償金は払わないと言いながら、「いつもなら駄々をこねて嫌がらせをし続けたり、お前らは金持ちなんだからそこまで辛くないのに、貧乏な俺を虐めたいんだ!焼け太りだ!とか執拗に言っていたら訴えを諦めるのにそうしてくれないのは何もかもお前が悪い」と本気で”信じて”いるからなんだろうなと思います。彼らは、法治国家で法に守られておきながら、都合のいい時は法なんて建前だと本当に思っています。人情とか空気を読むことの方が人として大切なことだと思ってそうです。もはや信仰に近い。
そういえばサーカスにさらわれるピノキオに出てくるゼペットお爺さんも、原作ではただクジラに飲まれて死んでいますし、女神も犠牲になっていた気がします。ピノキオの親は諦めるかピノキオを助けようとして死ぬしかありません。原作ではなくディズニーのピノキオは改心していますが、ディズニー版のように勇敢に助けてくれる若者は海上保安官でもしていない限りはまずおらず、「介護しなくて済んだ」とか思いながらうろうろして泣きまねをするのが関の山ではないでしょうか。
■右翼で左翼であれ、日本には保守にさえ子どもの味方はいない
筆者は地域全体で子供が危険にならないように工夫すべきだとは深くわかっておりますが、日本ではまず理解を得られません。親は社会から孤立して孤独に子育てするだけではなく、子供まで誘惑されて敵に回され、子供に攻撃されていっそう孤独になるのです。こうして日本では活動家の類が息をしていません。いたとしても他の情報の渦をつかって見えなくなっているか、終わっている負け組のように紹介されます。
何か弱みがあれば、例えば、共産党ならサドルに精子が付いていた話を何度も話すような感じになるのでしょう。他の理由でとった精子をサドルにかけられて拘置所に入れられて自白を強要されて面倒だから承諾しただけな気がしますが。彼らは特にエロかハゲとウンコを好むような気がしています。マスコミは嫌いな被害者は醜く見える角度で撮影し、被害者として前面に立てたい被害者をプロの写真家らしく美しく見える角度で撮影します。関係ないのですが、なぜか皇室関係者は何故かわざと醜く見える角度で撮影されているので不思議です。「国民の血税ですから」と言ってマリーアントワネットの首飾りを購入しなかったのでしょうか。
その手法は日本ではかなり古くから使われてきましたから、自由と対立する日本的な伝統回帰のアイデンティティの方も、どちらも親の味方をしません。子供は…特に田舎の子供はカモに過ぎません。いいえ、話を聞くと都会の方が酷かったのかも知れないです。
通常リベラルに対して保守派がその役割を担うのですが、日本の伝統の場合はこうなので、西洋の聖書的な保守派がいませんから、海外と違って子供を守る人がいないのです。ある意味で日本の場合は西洋化の推進をした左翼が担うのですが、彼等は子供の安全の上を通り越して愚行権を認めだします。子供の安全が前提で自由にするという状況とは少し異なります。こんてんぽらりー。
右翼は「昔通り、江戸の風情のある遊郭!古き良き伝統!美人のお姉ちゃんは風俗で働いて子どもを産まずに若いうちにバリバリ働いて性病で主体性をもって早死にし、男どもは俺が羨ましくない程度のブスと結婚して恋愛は俺の親戚のやってるキャバクラでやってね!ダイジョーブダイジョーブ!会社ぐるみで隠してやっからw嫌だろ、所帯じみてて…ここで終るなよ。もてないつまんねー男はバカにしようぜ(笑)こうやって経済は回ってくんだw目指せ蔦谷重三郎(笑)」と言いますし、左翼は「そんな封建的な社会は嫌だよね?自由にLGBTになっていいんだよ!」と言い出します。
要するに、日本に限っては右左翼両方に子供の味方がいないことになります。世のお父さんお母さんはご愁傷様です。
かといって「じゃあそのようなものを見せないようにすれば子供を守れるか?」と言えばそれをやっただけで毒親扱いとなります。
子供も喜々としてサボる理由を見つけるのでたぶん見せなかったことを詰られ続けることになりますから、子供には何もかも見せざるを得ません。ネットには子供が自ら退廃的な性格になって家出するように仕向ける大人も多いので危険なのですが。(※こちらは警察や倫理観のあるSNSや通話システム制作会社が子供たちに注意喚起して対応されているようなので今回は深く議論しません)
何せそのような手法で「子供が騙されやすくなる程度」では違法性を論じることそのものが難しい上に、社会扇動の仕事はきつくないし臭くないし危険でもないので、みんながやりたい仕事ですから、その仕事がなくなることを恐れた大量の遊び人たちが総出でそのような言論はたたき潰すからです。それにある程度はそこそこ面白いし感動的な要素をおり混ぜてくるのも厄介です。そのため、「低俗、情弱が見るような見るに堪えない絵柄とストーリー、大人になっても見ていたら感性と知的障害の遺伝を疑う、特定の言説に偏らせようという意図が見られ、公平ではない」といって蔑んでもっと面白い作品を見るくらいしかできません。感想を個人的な空間でいうことは自由だからです。
うろ覚えですが、山本七平の著作『空気の研究』曰く、「語り方そのものにも思想が反映される」と言ったようなことが書いていたような気がするのですが、鋭い指摘だなと思います。
ー子供を守るためにどうすればいいのか?ー
警察が天下りを目当てにマスメディアに忖度したり、
証拠不十分を理由にあまり積極的に動かない可能性がある以上、
自由であるべきだと判断されたこの国で子供を守るには、”誘拐されない”という消極手段以外にはあまりにも試練が大きすぎます。警察は事件が動いていないうちには動けないのでこれは自分たちで自衛しなければならない上に目立って正論を示すことができる人は中々おりません。
そういう人はだいたい歴史的には、聖書を掲げて何かを言っている人です。神様にでも守られていない限り資本主義の鬼に勝てる人はほぼほぼいません。人間の感覚で言えば例え神に守られていても神学的な論争を抜きにして対外的に見れば道半ばにひざを折っているように見える人も多いので多くの人がその境地に陥れない気がしております。
あるいはこの国の腐敗を止めるという選択肢はありますが、
そんなことが出来たらだれも苦労はしていませんので、
本稿でもその選択肢に関しては、それを一般家庭の親御さんに求めるのは酷であろうと思っております。
■現状の解決策は子供自身が知恵をつける以外の選択肢は茨の道である
最悪、その言説を話したことがきっかけで、それが原因で子供を不幸にすることで言論を封殺させ「お父さん(あるいはお母さん)が変な正義感を働かせてみんなが喜ぶことをしないから僕が虐められるんだ!」と叫ばざるを得ないほど陰湿ないじめを受けて帰ってきて、家庭を内側から子供によってボロボロにされ、家庭内で貧しいから薄い壁によって子供の思慮の浅い怒鳴り声とたまりかねた親の悲鳴と怒号が聞こえたら、
庶民は手を叩いて喜んで、「ザマアミロ!あの鼻持ちならないエリートにようやく醜聞をつくってやった!」と言いながらボールを拾ってきた犬のように報告しに行きます。
これで政敵は「あいつらは子育てもまともにできないのだから政治的に意見を言うな」と言い続けることで失脚させることができます。これでプロジェクトマッピングなどの需要はないがつくることは楽しそうな予算がいつも通りみんなに降りてくれます。
そのため、解決案に関しては、非常に難しいので無理にとは言いません。もし不老不死でなんでもかなえられても子どもが拗ねて何も聞いてくれないのであれば神様でも大変なことになるので人間ができなかったからと言って気落ちしないでください。
■いばらの道『善行』
たった一つ道があるとしたら、「自主的な善意」を割と具体的に実行することです。
…意外に日本人は、何か役に立ちたいとは考えている人は多いと思うのですが、…しかしこのように様々な思惑が巡っている中では何を踏み外していいか、何を踏み外すと機嫌を損ねられるのかがわからないと、なかなか実行に移せません。
例えば「貧しい人に安いお米を提供しよう」としただけで他のお米を取り扱う業者は損害を受けて経営が困難になる可能性もあります。
すると、「人に迷惑をかけないように」と言いつけられている日本人は「空気を読んでその行為をやめる」のです。
それを見て「自然な善意は民衆からは生えない」と落胆し、元の韓非子系の支配形態に戻るために、期待外れだった人材を駒に、ある者は繁殖材料に、ある者は労働者に変えていきます。
「どうせ自由に考えさせても我々を助けたりしたりしないのだから」
この落胆こそが、「人を不自由にして言いなりにした方が良い」という発想になります。人を誘拐するということも結局「その民族の思想を自分色に染める」目的があるのです。
人類はこのサディズムだけは批判しました。そして自由にはしたのですが、結果、堕落しただけになったのです。そして再び「やはり支配せねばならない」「しかも人権を守って表向きは自由ということにしよう」という話になってしまいました。だから支配から脱却する方法が一つあるのです。
日本でもルールとして、労働と納税と教育は義務であり、「みんな仕事をしないといけないのだ」と日本社会や憲法は告げます。しかしそういうルールだけですので、貢献心は育っていないので、「できれば楽な仕事で大儲けしたい」ということになります。
民主主義ですが、しかし西洋と違いますので、基本教会に通うこともないのでお互いが支えあっているわけでも仲間でもなく、隣人は愛すべきものではなくただ少ないパイを奪い合うライバルでしかない。日本では基本的には一見協力的に見えて、「人の不幸は蜜の味」という諺が飛び交います。
日本の共同体は、共同体ではありますが、誰が一番金持ちのお気に入りの労働者になるかを争う世界であって、悪評を広げあい、誰かが転ぶと手を叩いて喜び、騙しあい、蹴落としあう社会です。
奴隷根性とは「全体のことに心を配らず、把握せず、全体のことを考えないこと」なのですが、日本では「政府がくれる人権保護のための制度を悪用して不満があれば単なる我儘であっても批判すること」が奴隷ではない生き方であると誤解されています。政府に依存的でただ要求することは奴隷…いえ、それ以下の赤ちゃんや子泣き爺なのですが、日韓などの東アジア人はまだ理解していません。自分は自由で偉いと勘違いしています。
逆に、貴族とは、…例えば、古代ローマでは実費で兵站(食料)を準備し(他の一般兵もそうです)他の人ができない乗馬を自主的に勝手に訓練して戦争で活躍する人のことを指します。自立心があり、不満を言うより先に自分でできることを自分で行い言われなくても国のために行動できる人が貴族なのです。しかし日本人に言わせればこの古代ローマの貴族は奴隷根性がすごい人ということになります。この定義だとバットマンなどの企業資金を自分のパワードスーツとかに使ってゴッサムシティを守ろうとするアメコミヒーローもたぶん奴隷扱いです。
結果が漫画家やYoutuberになりたい子どもたちの増殖でしょう。これは同じ社会制度のアメリカと日本の比較でわかることですが、文化が違えば結果が異なります。アメリカでは子供たちの夢が比較的現実的でした。社会が個人に何をオーダーするかは大事なのです。日本では「ハングリーに効率よく稼ぐべき」ですが、西洋では「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして真理を愛し、汝の隣人を愛しなさい」ということです。(※本当は日本も憲法12条があるのですが)彼らは、そうでない人もいたにしても、それでも腐らずに働き、善を好み、金額に換算されていない仕事をしても嬉しいし、私たちには見えない報酬ももらっているのです。(異論はあることでしょうが、私が見たところ、やはりそれはキリスト教徒の働きなのです。関連学説もあります)結果的にその方が全体も幸せになることも私は歴史的観点からも社会学的観点からも論理学的観点からも証明できますがここでは長くなるので割愛します。
しかし要点を言えば、実はこういう社会にすることが一番子供を守ることになります。私は基督教のない民主主義はソクラテスを自害させる古代ギリシャのような滅び方をすると思っています。それは社会扇動や演劇や喜劇作家によって、その言論者が行っていないことを言ったことにされて、冤罪をかけられて殺されるということです。
つまるところ、表立った支配が難しくなれば、
強硬手段が隠密で行われるようになります。
それを防ぐには、はじめから自主的に善行を行い、
誰かに言われたり実質脅迫されたりしなければ社会にとって有益な行動をしない役立たずになることをやめることです。
中国は共産国で、日本を刺激するようなことが最近起こっていますし、中国も日本人の子供を攫おうとしました。しかしよく考えてみましょう。我々が使っている物も食事もみな中国産です。ふと思うのですがここに日本人がいなくてもよくないでしょうか。自分で作ったものを自分で食べればいいのです。
全部中国の人たちに働いてもらっているのです。
中国の人に貴方も働けと怒られても仕方ありませんが、日韓人に言わせれば「我々は自由にやっているだけだ、お前らもそうすればいいだろう」と無責任に言うかも知れません。しかし、そうなったら世界はたぶん環境の汚染などで終わりかねず、我々も急に貧しくなるでしょう。
はっきり言っておきましょう、中国の人のように自主的に働かない堕落した日本人が悪いのです。
日本人は他の安い労働力の地域の人々の善意にかまけて自分は自主的な善行を行わないで人を支配しているようなものなのです。
「赤ん坊は、泣くことで親を支配することを覚える」
まあ普遍的な真理なので許してください。
これで選挙権は自分たちにしかないというなら、拉致をされて洗脳されてから選挙権を持つという手段をとられても仕方ないのです(※もちろん悪いのですが、我々に責任があるので、善行によって人を攫う必要がなくなる状況にしようという話ですね)
他の国はおめでとうございます。これからは「日本みたいになりたくないだろう」という特効薬が使えます。今まではわかりやすいモデルケースが無かったから人類は今まで大変だったかと思います。

ペン入れが面倒だったので誰かに清書してほしい。
■それでも子供を守るなら
忙しいお父さんお母さんには厳しいのですが、
子どもが見ている世界や常識にはよく注意を払いましょう。
日本人には論拠がありません。”論拠”という単語そのものを、ネットのとても頭が悪そうな人と議論していると、論理や理論や根拠だと読み間違いをされることがあったのであえて捕捉すると、論拠とは「議論のよりどころ」のことです。命題だとか前提だとかそういうのです。
数学や物理で言えば「ただし、nは(0<n<100)の整数とする(空気抵抗や摩擦は考えないこととする)」みたいな奴です。一般的に哲学だと自分で前提を決めなければいけませんが、社会であれば当時の道徳的観念とか人権とかになるでしょうし、司法であればその国の法律や国際条約ということになるでしょう。
厄介なことは、日本は論理そのものがあまり好まれない国なので、以上の話を理解していただくことがまず大変であり、お子さんは時期によってはまだ論理を習っていないかもしれません。
その為、まず、お子さんがどんな言葉を話しているのか注意深く知ることが必要です。
■「何で私はここで議論について説明しなければならないのだ」
なんで子供を守るために論理の話をしないといけないのだという話になるのですが、(そもそも会話関係のコミュニケーションが意味をなさないお子様に関しては無関係なので飛ばしていただいて結構です)
勿論子供も学校などで「議論のルール」を学ぶのですが、「論破が正しいのではなく仲良くする」みたいな話にしているようなので、「僕が傷ついたからママが正しくてもママの負け」だと思っている可能性もなくはありません。
プログラムにしたらこうでしょうか。
#include <stdio.h>
#include <string.h>
#include <stdbool.h>
#define MAX_MEMORY 100
// 記憶のデータベース
char memoryDatabase[MAX_MEMORY][256];
int memoryIndex = 0;
// スルー対象リスト
const char* ignoredSources[] = {
"父の諭し",
"母の助言",
"教師の苦言",
"友人の心配",
"昔の自分の理想",
"部屋の壁に貼っている目標100項目"
};
const int ignoredCount = sizeof(ignoredSources) / sizeof(ignoredSources[0]);
// 都合の良い助言判定
bool isConvenientAdvice(const char* message) {
return strstr(message, "夢") && strstr(message, "かなう");
}
// スルー対象か確認
bool isFromIgnoredSource(const char* source) {
for (int i = 0; i < ignoredCount; i++) {
if (strcmp(source, ignoredSources[i]) == 0) {
return true;
}
}
return false;
}
// 記憶保存処理
void BAZITOUFU(const char* source, const char* message) {
if (isFromIgnoredSource(source)) {
printf("[%s] \"%s\" ... スルーしました。\n", source, message);
return;
}
if (isConvenientAdvice(message)) {
if (memoryIndex < MAX_MEMORY) {
strcpy(memoryDatabase[memoryIndex], message);
memoryIndex++;
printf("[%s] \"%s\" ... 都合がいいので記憶に保存しました。\n", source, message);
} else {
printf("記憶領域がいっぱいです。\n");
}
} else {
printf("[%s] \"%s\" ... 内容に傷ついたのでスルーしました。\n", source, message);
}
}
int main() {
for (int i = 0; i < INPUT_COUNT; i++) {
BAZITOUFU(inputSources[i], inputMessages[i]);
}
printf("\n--- 記憶に保存されたメッセージ ---\n");
for (int i = 0; i < memoryIndex; i++) {
printf("%d: %s\n", i + 1, memoryDatabase[i]);
}
return 0;
}プログラムに詳しくない人は、こちらはただのジョークなので無視してください。(※AIに作ってもらいました)
このケースは会話そのものが難しくなってきます。理論上は確かのその前提なら正しいとはいえるのですが、あくまで「論破より人の和を大切にする」という前提の理論上で正しいだけなので実際に役に立つかどうかはまた別の話です。
「論破すること」は確かに必ずしも必要なことではないのですが、「なんでも傷つかないように議論すること」は難しいことです。議論は「現実の問題解決に応用できる」場合は「有益」なので、利益のために少し傷つくことが必要なケースもあります。(何の利益なのか議論するとまた面倒ですが)
例えば、このルールですと、
皆が「AさんとBさんが破壊や分配が不能の一個のデザイン的に価値の高い宝石をどちらが手に入れるか」に関して話す場合、Aさんに渡せばBさんが傷つくし、Bさんに渡せばAさんが傷つくし、お金に換えてもそれは間違いで両方傷つくし、破壊しても皆が傷つくようなこともあるわけです。言い方を工夫するなどはあるかもしれませんが、遠回しに話したとしても頭のいい人ほど、結局傷つきます。「そんなことも理解できないほど子供だと思われる」ということに傷つくのです。大人の人は事実をストレートに言っても傷つかずに受け止めることができる人が多いので、子供扱いされたことに傷つく人もいるわけです。
別の場所でも少し書きましたが、例えば「みんなのためにお米を安く提供したい」として、それをすると消費みんなが喜ぶが、「今まで一生懸命働いていたお米農家はコメの値段が下がって一族全員貧乏になるし、その米屋は余ったお金でカルト宗教や芸能界や出版社のスポンサーをしていたので芸能人や漫画家になれる人が減り大量のファンも信者も傷つく」としたらどうでしょう。かなり難しいしどうやっても誰かが傷つきそうですよね。
多数決だとしても、もし芸能人志望や漫画家志望の方が参政権を持っている人が多ければ、もしかして「俺たちの夢をかなえられないようにする気なのか?」と言って米屋さんの意図に反してお米を配ろうとした慈善団体を攻撃し、値段が高くならざるを得ないようにわざと失敗させようとしてお米の農薬の基準値を厳し目に査定する可能性もあるのです。
要するにみんなが傷つかない議論は難しいのですね。そして議論に勝てない人が無言で別の形で嫌がらせすることもあるので、怖くて議論に勝たない人もいます。こういう人は傷ついている事さえ申告できません。傷ついていることを申告することで傷つけた人が傷つくからです。傷ついていないことにされてもっと深刻に傷つくこともよくあることです。結局特定の人の傷ばかり大事にされている不平等に傷つくことになるのです。
それに議論の参加者が正直に「自分が不正を行えないことに傷ついた」とは証言しないまま、議論とは関係のない誹謗中傷をすることも多く、最悪は相手の不正を捏造し冤罪をかけることさえあります。
実はこれは丁度ソクラテスが亡くなった古代ギリシャや、新約聖書の紀元前後キリストがこのような形で冤罪をかけて殺されていました。どちらも極めて歴史的に重要な発言をした人物で今日でも多くの人に尊敬されていますが、そういう人物に限って殺されてしまいます。
議論とは無関係の誹謗中傷を行ったり、喜劇作家にバカにさせたり、時には似ている他人を貶めて、「あいつもこうなる」と言って印象を悪くする方法もあります。
こうなると何を言っても無駄です。最初からどれだけ正しくても聞く気がないのです。その為こうなってしまう心の働きそのものを止めなければならないのです。
しかし、大人でもちゃんとできないことを子供ができるようになることは至難の業です。どれだけ知恵深く、どれだけお金を持っていても自制ができないのです。いえ、「僕はできた!」という子もいると思います。でも物凄く傷ついてしまったときには、どんな立派な人でもわかりません。むしろ立派な人ほど本当に深刻に傷ついてしまうこともあるのです。
大切なことは「傷ついてもそれを素直に傷ついたと告白できるが、でもそれを議論の成否には関わらせない」ということと、そういった議論の中で自分が傷ついてしまうかもしれないことを事前に覚悟することです。
実は、日本は海外から見ても論理力が低いという指摘があります。
一方西洋圏ではキリスト教が普及しており、福音書を皆が学ぶので、「自分が議論で正論を言われて傷ついてしまい、相手を殺してしまいたいと思うほど相手が憎くなるように感じてしまうかもしれない。分かっていても憎むまないことは難しい」という覚悟があるのです。またそうなってしまった人に同情します。そして自分がそうなった時、相手を尊重して謝ることができるようになっていきます。
個人的にはこの文化の差は大きいと思っています。これはちょっとしたことのように見えて非常に大事な議論の根幹になっているのです。
日本の義務教育ではこのような心理を学ぶ機会は国語の『羅城門』(芥川龍之介)くらいでしょうか。
しかし、実際は「精神的に人を傷つけない私が相手に勝ったか負けたか」を大事にして「それ以上人を傷つける人の意見を聞かなくていいのだ」と誰かに教わっている場合は、…もう何をやっても、その人は話を聞いてくれません。
あるいは、「現代の感覚でダサいかダサくないか」で「議論に勝ったか負けたか」が決まっている場合は、子供は心の中で愚かな親や教師や大人などに対し、心の中でだけ精神的に大勝利していることがあります。
しかもその勝利を軽々しく口には出さない方が格好いいと思っている場合は、聞いているふりをしてニヤニヤ笑いだし、
仮に親が説教をしても
「説教をするなんて私に依存しているのだ。大人なのに幼稚だ。故に私の方人として大人なのでこんなクズの幼稚な連中の話を聞く必要がない」
と思っているので聞いてくれません。
心の中では彼は親よりも自分かあるいはアニメや漫画のヒーローの方が賢いと思っているのです。そしてそれが間違っている時には残念なことに修正が難しい。
こうなると子供をよく観察して何がダサくないかを知る必要があります。運が良ければ「ヒーローの○○がいいことをしている時」などをよく観察して「ほらヒーローの○○」も「真実から目を背ける者は敗北者だ」って言ってるでしょ?と彼のバイブルにかこつけて話さねばなりません。もちろんダークヒーロ―もいますので、本物のクズである可能性もあり、そうなったらどうしようもなく、場合によっては『アバター』という映画のトゥルークという大きい翼竜の背中に乗って部族に尊敬されないといけなくなりますが、ちょっと子供を産んだ後のつかれた社会人に「公園の手すりをスケボで下れ」と言われたら無理がありますし、ちょっとご近所の目も気になりますよね。本当に、社会の方が親に逆らうように言ってくるケースでは、何もかもどうしようもないのです。(しかも多くの人が頭を打って故障したりするのでスケートボードを作って売れたとしてもプロに金を払う数が減るという仕組身だったりするので怪我をしても元も子もありません)
それよりも「現実的に考えて自分は本懐を遂げられるか」を考えるように誘導すればよいのですが、しかし親の知らない新しいITビジネスを始めたいなどといった場合、それが闇バイト的なものなのか、普通の安全な新規事業なのかどうか親にもわからない場合もあります。
ー結論をいうとー
結論を言うと日本ではとても怒られるのですが、聖書は学んだ方が良いと思います。これを書くと「なんだ散々よくわからない陰謀論みたいなので俺たちを脅したあげく、結局宗教勧誘かよ」と言われてページを閉じられる可能性が高いと思っているので、とても誤解を恐れながら書いていますが、できれば信じられなくても、正直に牧師さんに、これこれこういう理由で信じていませんが、信じられるようになりたいです、と相談して、祈っていただいた方がいいくらい、とても知恵深いことが書いています。
私の実家はよくある無宗教というか、家に仏壇と神棚とクリスマスツリーがあるお婆ちゃんのお家と、ほぼ無神論者だけど祖父母が喜ぶから一応お墓参りには行くが、私が教会に行ったというと眉に唾をつける両親の家庭にいましたが、社会人になってから、電車でたまたま話したデザイナーの人にとても小さな教会に連れていかれて「進化論者で科学大好きだからたぶん信じないがゲーム業界勤務だし神話の類は知っておいても損はないし聖書は確かに為になることは書いてある。奇跡の部分は何かのたとえ話だろう。それに、社交を学ぶ良い機会である」という邪悪な理由で教会に行きました。
これは教理というより教会にいた人たちの印象ですが、家族と仲が良い家庭が多く親子がよく話し合い祈りあうので、なんとなく、何か悪いことがあっても乗り越えやすい側面はあるように思いました。小さい問題でも牧師さんとお話ししているうちに良い方向に向かうことも多いように見えました。
その時は私はまだ信じていませんでしたが、「これは思春期などに会話が少なくなりがちな家族形成には確かにいいのかも知れないなあ」と思っていました。
また、聖書はわざと分かりにくく書いていますが、わかりにくいことも含めて本当に知恵深いと言わざるを得ません。読んでいるうちに自分の問題に気が付くこともあります。しかしその話を細かく書くと誰か眠ってしまうくらい長くなるのでまた別のnoteにまとめようかなと思います。多少は普通の無神論者の日本人に役に立ちそうな部分を面白おかしくまとめたnoteがあるので見たい方はこちらのリンクからどうぞ→■
■議論のルールを守れないと他の人にとっても結構迷惑
個人的には、「真理であるかどうかが論拠になっている」「(迷惑をかけない嘘をはともかく)裁判では偽証しない」「嘘をついても神様がご存じ」という性質上、論拠が聖書にある上に、議論のルールを守る人が増えてくれることもメリットの一つです。よく「聖書が素晴らしいならお前だけ信じてお前だけ守ってろよ」と言われるのですが、まあ平たく言うと「知らない人がいると結構迷惑である」いうお話なのです。
たとえば日本の法律を知らない人が日本に来たらすごく迷惑ですよね。あるいは日本の法律は知っている人がいても「最近の新しい医学でわかったウィルスの知識」を知らない人がいても迷惑だと思います。
「手を洗え」と言っているのに、「その重要性が分かってない」ので「儀式かなんかだと思って」しまい、「めんどくせえから」「表面上、ウィルスとか言う怪しげな薬売りを儲けさせるためだけにやってそうな法螺をやりたそうな嘘つきどもを喜ばせるために、嫌々、ワクチンと石鹸を買ったふりをして雑に手を洗ったふりをした」上で平気でべたべたあちこちを触っても迷惑だと思いますが、それと同じくらい迷惑です。
多分日本人は心がけが立派な人も沢山いるのだと思います。実際、日本人は「弱気を助け強きをくじく」という思想があり、どちらかというと賢い人や美しい人よりも、醜い障がい者を優先して助ける傾向にあります。特にキリスト教はともかくマザーテレサに関して言えば好きだという日本人もいるのですが、障がい者を支えるにしても、支える側の人間がなぜそれを支えるかわかっていないので虐待してしまうこともあるでしょうし、逆に障がい者を増やしてピンハネすることで利益を出す反社会勢力も現れてしまいました。結局見捨てられながら戸籍から払われる資金だけを愛されて寂しそうな患者と形骸化した病院が最低限のことを機械のように流れ作業の工場のように実行するような病院になります。
心は伴わず制度だけ独り歩きしたようなものです。また障がい者やその親の無理な結婚の要望や増長も見られ、そこには「弱い人が立ち上がって祈りあいお互いに支えあう」という言いにくい教育は行われていませんでした。
日本では、弱い人は弱い人のままで働かないのです…
また障がい者の子供を社会扇動やファボや戸籍や投票券を売る商売に替えた人もいます。要は半グレは、これらの障碍者の人たちが自分で働いて自由になることを好まずむしろ追い詰めて犯罪の踏み台にしたいのです。
結果人権を濫用し過ぎて障がい者年金は想定外に使用され、本来貰うべきお年寄りを差別したり若い世代に負債を背負わせたりしています。
日本は福祉国家で一見いいことをしているように見えるかもしれませんが、これは、「お医者さんの仕事を傍目に見た子供が、「お医者さんもやっていたから僕もできる」と言ってお医者さんごっこをした」が「その結果、結局、よその国に対抗意識を出してやろうとしたことに途中疲れてしまい、採算が取れなかった。しかし疲れてお金は欲しくなり、患者を隠れて商材のように扱いだした」「結局知識がないから共倒れした」その上、「その感染症(虚無感や介護士の鬱屈から出る悲劇や金額や杓子行儀のカリキュラムに置いてきぼりにされた患者の心に対する軽視)を世界に広げたのにもかかわらず、そこには目をつむって善人面して「自分のように成功すべき」だと大嘘をついた」ということと同じくらい迷惑なのですね。
今は理由がわからないかもしれませんが、これらの偽善が生み出す問題は、聖書をよく学ぶと理解できます。
日本には、素晴らしい献身を行う素養がある人も多いのではないかと思いますが、それが原因で余計迷惑な状態を引き起こすということはよくあることなのです。日中韓の人に分かりやすく言えば馬謖レベルに迷惑です。先に応用的な行動をとろうとして救世主の如き許しや献身を一人で行っても共倒れしてしまうことが多いのです。そこには力や祈りや仲間が必要で、何か善行を成したい人は、まずわからなくても信仰をもって基礎である聖書を学ぶことをわりと強めにお勧めします。
「人が喜ぶことをする」というのは素敵な夢ですが、しかし、先ほど説明した通り全ての人を傷つけないことが難しいように、全ての人を喜ばせるのはかなり難しいことです。例え残酷に感じようとも、「自分だけではなく如何にも弱そうな他人がどれだけつらかろうが悲しかろうが傷ついていようが、真理であるかどうか大事だ」という前提がないとまず何も会話にならないことが多いのです。
■言論統制をしているのは宗教だけではなく、利権が絡んだ大人もそうしているうえに、その議論をしないことで国が滅んでいる。
西洋で科学が発展した理由も聖書の功績が大きいのでしょう。数学や天文学や自然科学に関する知識の予算は「神が作った世界の美しさを賛美する」という名目で出ています。これなら基礎研究を学ぶことも出来るし、未踏の真理を探すことも出来、それらの働きは相互関係を持ってお互いは競合しません。ただ素晴らしいと言って賛美するだけです。その知識で誰かを救ったりしても褒められるだけです。それが原因で誰かの仕事が失われたとしても、神が他の仕事をくださることを信じている人が多くあまり不安になりません。不安になっても牧師さんに説得されて祈るうちに良い解決策が見つかりますし、他の人も一緒に祈ってくれます。経済的に困窮すればお互いに支えあいます。それに、嫉妬はあまりよくない事であるという教理ですのでだいたい丸く収まりやすくなります。『チ。』というフィクションでは悪役ですが、大体の学者が司祭や教会組織という人間はともかく、多くの人が聖書そのものは尊敬しているのです。確かに古代ギリシャには優れた哲学や第二哲学(※現代で言う科学や実学のこと)があったのですが、
少なくともソクラテスが生きた古代ギリシャでは民衆がやけに裸の女神の多い神殿を作りたがっており、この話をすると陶片追放される社会でした。恐らくはこれが強いボトルネックになって楽しいやけに女神の裸が多い神殿作りを邪魔することに関する議論だけはできなかったことも多かったのではないでしょうか。(日本でも何故かみんなが必要がないと話しているプロジェクトマッピング24億円の費用が使われており、恐らく逆らうと誰か自殺すると思われます)
あるいは、どうしても「宗教はちょっと」という人がいた場合は、聖書を抜きにすれば本当は「人権を守ることにつながるか、憲法に照らし合わせてどうであるか、公共の福祉としてどう考えられるか、被害者とステークホルダーどちらが自分の身を守る力が強く、また抑制すべき必須の業務とは言えない側か」などというところを論点にすべきです。
まあ聖書は置いておくとしても、
論点がないと議論そのものが不能になってしまいます。
このため私は結構な分量を重ねて子供を守ることができない根本的な問題の一つに「議論ができない」という理由をあげました。
日本の場合は大人でもできない人がいるので話はさらに厄介です。
私個人としては例え傷ついても事実は事実として議論した方がいいなあと思うのですが、
そうもいかないのが世論です。
「だって学校が言ってたもん(;_;)論破とかパパが子供なんだもん(;_;)」と言われたらそれで終ります。子供だけではなく、日本の場合は大人がこれを言います。子供も喜々としてそういう大人に騙されて、「厳しい毒親と違って子どもの気持ちがわかっていて自分を自由にさせてくれる優しい良い人」だと言って全幅の信頼を置いてついっていってしまいます。
■あくまで優しくデメリットについて語る
仕方ないので「誘拐されたら誰が損をするか、そもそも自分が何をしたいのか」「誘拐されたときのデメリットが大きすぎること」「お母さんやお父さんも人間であり、場合によっては力が足りず、お子様を守りたいと思っていてもそれができないことも存在するという限界の話」などを、優しく話すしかありません。
しかし商業というものは手を変え品を変え、売り上げが下がると「正論を言っている猫なで声の気持ち悪い偽善者の親、【善意という支配】というブログや漫画(私は無理だった!こういう親、”いい人”ってキモいもん!私弁えない女だからそう思うのかも知れないけど)」みたいなやつを書きそうな気がしないでもないので、もうどうすればいいのか私にもよくわかりません。子供は子供で美味しい話やロマンスに騙されて、親が間違っているというようなことを根拠や成功体験付きで証明や立証をすることも多いでしょう。「絵で賞をとった」ぐらいなら小金を渡すだけで済みます。海老で鯛を釣るような話です。
商売人もそれがわかっていて、自分の儲けが無くなってくると子供にそのような価値観を刷り込むような漫画を広めようとします。もし、優しく話しても舐めてきて、暴力をふるったり盗みを働くようになったとしたら、もうあきらめて子供が狂った社会に飲まれていくのをただただ見守るしかありません。もし止めたら喜々として親が毒親の悲劇のヒロインやヒーローというアイデンティティに頼って漫画やブログを書いてネットでちやほやされたがるのが目に見えます。(親を社会的に脅してブログの削除の金をとるケースがありますので、これも商人たちが大喜びして黒歴史の魚拓をつくり、ご家庭からどれだけのお金を搾り取れるか推測します。)こうなると親は子供がいなくなった理由を探して見当違いなところに行ってディズニーじゃない方の原作の『ピノッキオの冒険』のゼペット爺さんのようにはならないように気を付けるくらいしかできません。一人の親よりたくさんの人間のいる社会の方が強いのですから社会が子供を食い物にするなら親は逆らえないのです。
聖書は主にイスラエルで書かれた書物ですが、とても魅力的な土地であり争いの絶えない地域であって、よく民が周りの耳障りの良い結婚や裏切る気満々だった異邦人の娘に誘惑されるなどの問題を生じさせる(例:サムソンとデリラ、バアル崇拝を持ち込んだイゼベル(王族と結婚し、欲しい土地があると何の罪もない人に冤罪をかけて土地を奪う))ことも多かったので、あえてそれらの自国民の恥にさえなった事例が書かれている以上、それに対する対策が良く講じられた教えも書いているように思います。面白いのは、それらの律法が書かれた後にその事件の話が書かれていることです。「いわんこっちゃない」みたいな形でしょうか。神の民でも「忠告してもダメだった」ので、親御さんは諦める他ないのかも知れません。
この部分は旧約聖書に書いており、現代では排他的だと言われがちですが、キリストが登場する新約聖書では異邦人の救いが書いています。
しかしキリストが来られる以前の土台としての律法があった前提でない限り、先に「許し」だけを行うと、恐らくは多分異教徒に騙されてただただ蹂躙されるだけだったのかも知れません。聖書にも「主の道を真直ぐにせよ」と書かれています。まず先に聖書の掟や律法を知る前に「許し」だけを学んでも滅茶苦茶になって自分でも許せないほどの事態を招くのだと思います。ちゃんと叱らねばならないということですね。先に律法を学ばねば何の罪が許されているのかもよくわからないですし、罪を犯すと自他が被害を受けることも学ばず、せっかく許されてもまた同じ間違いを犯し結局自分から自滅するということになります。
余談、これもいつかnoteにまとめたいと思うのですが、聖書には象徴的に兄と弟、慈しみ(愛)と”まこと”(正義)の話が出てくるのですが、長男がこの「叱ったり秩序をつくったりする”まこと”(恐らくは成長すると確かな正義に変わる)」の側、弟が「許したり更生を待ったりする慈しみの側」なのでしょうね。
たぶん、慈しみの弟が先だと滅茶苦茶になってしまうのです。
正義やまことである長男は必要なのですが、後半は当たり前すぎてほぼ空気のような扱いになってしまったり、何処で役に立っているかわかってもらえず理解されず、悪いことをしている人には嫌われるし、些末なところで私利私欲を隠して濫用する悪意を持った正義を振りかざす悪がいた場合は、特に邪魔者扱いされるので嫌われやすいのかも知れません。しかし、正義だとか掟だとか秩序とか論拠とか律法はやはり必要なのですね。このバランスはとても難しいのでよく「右にも左にもそれずに」というフレーズで表現されます。西洋史には詳しくないのですが、個人的にはもともとの右翼と左翼ってこれのことじゃないかなと思っています。
これは大人でも左右のバランスを保つのは難しいので、私は社会人になってから聖書を学びましたが、「これは本当は子供のころから勉強しても生涯教育レベルの時間がかかる難しい話だぞ」と思えてきました。解説が長すぎる理由も、TPOによって実行すべきことが真逆になる程に異なる上に、柔軟性も含めると日本における司法の法解釈並みに本当に難解な話になってくるからです。「最善とは何か」聞かれたら、お互い対立する人のどちらを救うか選ぶだけでも頭が痛いことです。しかし、しっかりと学ぶと自分だけではなく他人を守るために必要な思慮分別、単なる優しさだけではなく人を守るための厳しさを覚え、またその厳しさを濫用する恐ろしさも同時に学ぶのです。これは簡単なようですごく複雑になるのですね。コンセプト自体は簡単でも解釈や手段は複雑なのです。しかも、わかっていても精神が未熟だと実践できないので、大人でも難解であると言わざるを得ません。最悪の場合はミイラ取りがミイラになることも多い。だから毎週教会に通って聖書を学び信徒たちと祈るべきだと思うのです。だってこんな文章長すぎて読まないでしょうし、「ああ宗教の話ならここは飛ばそう」と思う人の方が多いでしょう。理解が少ない日本人に向けて書いているとはいえ、初歩の初歩でこれですよ。これでも何度か無駄だと思った文章を消しているのですがこの長さです。
日本は正義(律法)がしっかりする前に間違った慈しみ(許し)だけが暴走しているように見えます。恐らくはたくさんの欲望を管理しきれなくなり、「誰を幸せにすべきかわからなくなってしまった」状態です。だから、だんだん国は無秩序に荒れて、理不尽なことも増えていきます。誰かの金儲けのために子供が誘拐されるようなことも増えてしまうということですね。
「自由で、夢を叶えて、夢のためには手段を選ばない、他人なんて関係ないそれこそ自由であるはずだ」
一応犯罪者にも「恵まれない俺たちが社会が復讐しただけ、自己責任などというけれど生まれたときの遺伝やお金が平等ではない」とか「金持ちを狙えば義賊」の様な理屈があるようなので、自分が正しいことにしようとする点は面白い現象だと思っています。これも論拠がないから起こることだと言っても良いでしょう。
聖書は、自分で読んでもそのことには気が付きにくく、重要なことがさらっと書いていることも多いので非常に読みにくいので、たぶん聖書を自力で読むより解説してくれる人と読んだ方が良いです。聖書を読むだけでもかなり長いのに、解説書を並べたら図書館のようになるようです。私も書くべきことはたくさんあるのですが、全部書くと長すぎて読んでもらえなさそうなので書けません。どうしても日曜日休めない人のために少しでも聖書がわかりやすくなるような文章は書いていきたいとは思うのですが、誰宛に書いているかよくわからない限り、このように文章が膨大になるのです。その為やはり個々人が困った時に相談してきてその時に話しかけた方がいいなと文章を書いて良く思うところです。
恐らくは聖書とは何か事件が起こってから、司祭の人が社会に対してどのように対処すべきかを、例えるなら薬を処方するお医者さんのように聖書の一部分を取り上げて解毒をしてくれるような形で使われていたのだろうなと思います。(そうじゃないと読みにくいですし、正義の濫用をされると社会が滞ったり戒律だらけで大変なことになります)そういう意味で本当は各地に牧師さんがいて、みんな困りごとがあると牧師さんのところに行って必要な場所を処方してもらうのがいいのでしょう。また毎週通って生き方を学ぶと身を守れますが、たぶんこれを言うと日本人にはすごく怒られる気はします。
■あとがき
少し状況を説明するだけでここまでの長文になってしまったのですが、
何で私はここで議論について説明しなければならなかったのだ。
素直なお子さんには無関係だったかもしれませんね。
しかし素直で心優しい子だって、時々は傷ついて議論のルールを破ってしまうこともあります。そういうことは大人でもあるのです。(※繰り返しになりますがこのときの心の持ちようは、本当に聖書を勉強するというか…いえ、本当は牧師さんがとても詳しいので、お話を伺うと良いと思います)
儒学者にも似たような側面はあるので、日本なのだから道徳は儒教にすべきだという発想もあるかと思います。しかし、儒教というか、中国思想の欠点だと思いますが、論拠があまりないんですね。「民をよく治める」としたら民に入っている要素が非常に複雑すぎて、何が良いか悪いかということに関して、その当時の価値観に依存してしまいます。
例えば「聖書における偶像崇拝や売春の禁止」なんかは経済も復興するのでどうしてダメなのかよくわからない掟の一つだと思います。しかし、(ちゃんと学術的根拠をあげながら話すと長くなるのですが、)実は、これをやると少子化したうえに他の人に自分がやりたくない労働を押し付けようとするので、植民地政策や奴隷を獲得するための略奪戦争や不当な差別によって奴隷階級を作るようになっていくので戦争や滅亡の原因になったりします。この偶像崇拝や売春の禁止を破ったとしたら、お金が儲かるその時だけで言えば「こんなに儲かるのに何で禁止されていたんだろう!根拠不明な迷信に従うのはやめましょう」という価値観になってきます。
最悪つくるのが楽しいから根拠があってもやめてくれません。歴史修正をされたら最悪それが原因で人類が滅びます。神様ボスケテ。ある意味で柔軟で「すべての思想や宗教のいいとこどりをできる素晴らしい日本」という感覚になるかもしれませんが、しかし、本当は他のリスクを度外視して、少しの学問を流し読みしただけでわかっただけになっているという側面もあるのです。

利権がらみで本当に止まってくれない偶像造りと売春
憲法の様な王を縛る法律のようなものは…試みはあったものの法的には存在しないので、上から言われたことにはすべて従わねばならないということになります。
聖書であれば、王族や牧師であれ、法に照らし合わせて間違っていたら反論ができるのですが、中国思想の多くにはそれがないのです。少なくとも「騙した方が悪い」というルールが実質はないので、まず騙しあいになってしまいます。しかも疑心暗鬼になって人を殺すのも「優秀かも知れないがいやな奴」ということになるので、騙すのが不得意であったり皆に人気がない人に関しては、騙され続けなければなりません。日本では「疑心暗鬼になることは駄目だ」とは言われて禁止されているのに騙すことにだけは寛容なので、詐欺ばかり横行します。これでは白血病のような状態です。
しかしみんなの人気者も「常に与えられ続けるか」と言えばそうではないので、そういう時は人気票が逆転し、自分にだけ優遇する傀儡が退場し、優秀な者が人気になってくることもあります。彼が一度平和にするなり天下統一をするなりしたとしても、しばらくすると邪魔になって、再び傀儡の様な自分が汚職をしながら遊んで暮らせる状況を許す者を上に立てるようになります。それの繰り返しで、快楽と戦争を繰り返しながら、戦争の原因を適当に為政者や権力者のせいにして、一番の戦争の原因になっている怠け者だけが肥え太り、隠蔽するものだけがのさばるのですが、なぜか、不思議と科学は発展しません。
色々と書きましたが、平たく言えば、「確かに局所的には優れた知恵や生き方が書かれていることもあるのだが、特定の役職には向いていることもあるかもしれないが全体化してはいけない知恵も多く、中国思想がベースにある日中韓の歴史を見ると、キリスト教以降の西洋史やユダヤの民の統治やイスラム教国のはるかに上を言って上手くいかないことはわかっている」ということです。個人的には「騙しあい」に使うリソースが大きすぎて「科学や思想を発展させる暇がないのではないか」と思っていますが、この話もまだまとまっていないのでこの辺にします。
(※この「騙しあいを禁止するルールがないと滅ぶ」という話は少し以下のnoteにも関係があるかもしれません。
あとがきには少し本編と無関係のことを書きすぎたかもしれません。
大人も闇バイトをしてしまうように、自分から不利な状況に陥らせるなどと手法は巧妙化しています。少し今までの日本の在り方よりも、警戒心をもって暮らした方がいいかも知れません。
歴史は特に繰り返されるので、言論が特定の物事に偏っている時には特にヒントになることが書かれているので、暇があれば学ぶことをお勧めします。
