犬のお散歩拒否は性格!?|通りたくないココと、止まらないリン🐾
夕方、犬の散歩拒否に関するニュースが流れていた。犬が途中で固まる。歩かない。帰りたがる。飼い主が困る。そんな内容である。犬を飼っていない人からすれば、ただの「犬あるある」かもしれないが、「これは我が家の内部告発ではないか」と思った。
ちょうどその朝、TUKUSHIさんの愛犬・つくし姫ちゃんが、猫や道路清掃車両を前にして固まるという記事を読んだばかりだった。そこへ夕方の散歩拒否ニュースである。もはや偶然ではない。犬界から人間界へ向けた、何らかのメッセージだろう。
我が家にはココとリンがいる。この二匹がまた、同じ犬とは思えないほど散歩への向き合い方が違う。ココにとって散歩とは、屋外に潜む危険を慎重に見極めながら、できるだけ早く安全圏へ帰還する任務である。

一方のリンにとって散歩とは、外界へ放たれた狩猟本能のフェスティバルである。同じリードを持っているはずなのに、毎回、真逆の思想を両手に握らされている。
🐶 ココの場合

ココは通りたくない場所が多い。地面がカンカン鳴るところ、側溝、グレーチング、よくわからない謎の地点。パパから見るとただの歩道なのに、ココから見れば「ここは通ってはいけない」と赤い結界でも張られているらしい。
パパが「大丈夫やで」と声をかけても、ココは足を止める。目線の先には何もない。車もない。猫もいない。風もない。なのに動かない。
こうなると、パパの妄想癖が顔を出す。もしかして、そこに何か見えているのではないか。人間には見えない何かが、歩道の端で「こっちへおいで」と手招きしているのではないか。あるいは、犬だけが読める道路標識があるのかもしれん。
「この先、抱っこ推奨」
「右側、前世で苦手だった道」
「グレーチング、魂を吸う危険あり」
そう考えると、ココの散歩拒否もただのわがままではなく、見えない世界との交信に思えてくる。
そして、家が近づくと急に元気になる。それまで地面と交渉していたココが、軽快な足取りで帰り道を進むのだ。あれは散歩ではない。撤退戦である。ココは外へ出たいのではなく、「無事に家へ帰る」という成功体験を積み重ねている。だから二周目など絶対に認めない。一度生還した戦場へ、なぜもう一度戻らねばならないのか。ココの顔には、そう書いてある。
🐩 リンの場合

一方、リンには散歩拒否という概念が存在しない。グレーチングだろうが、穴だろうが、多少足を取られようが前へ進む。彼女にとって道とは選ぶものではなく、突破するものである。
散歩中も常に何かを探している。猫なのか、鳥なのか、過去に取り逃がした幻の獲物なのかはわからないが、とにかく目が忙しい。そして、ときどき何かを訴えるように喋る。あれは「異常なし」ではない。「この町、まだ狩れる」と報告している。

家が見えてもリンは止まらない。むしろ、そこからが本番のような顔をする。「帰ろっか?」と声をかけると、振り返って「は?まだ序章やけど?」と言いたそうな顔をする。パパとしては一周で十分なのに、リンの中ではまだオープニングテーマが終わったくらいなのだ。先に疲れるのはいつもパパである。犬の散歩という名目だが、実際には中年男性の体力測定である。
🐕 犬の“散歩拒否”は、性格そのもの

犬の散歩拒否には、怖さや不安、過去の経験、甘え、飼い主への信頼など、いろいろな理由があるらしい。たしかに、ココは怖がりで慎重で、道の違和感に敏感である。リンは前進型で、世界を疑うより先に突っ込む。止まる犬と進む犬。拒否する犬と延長を求める犬。そこには、それぞれの性格がそのまま出ている。
そう考えると、犬の散歩拒否とは、ただ歩かない行動ではなく、犬なりの意思表示である。ココは「この道は信用できない」と言い、リンは「この世界はまだ終わっていない」と言う。パパはその真ん中でリードを持ち、車を避け、グレーチングを避け、見えない何かに怯えながら歩いている。
結局、散歩の主導権は人にあるようで犬にある。パパはリードを握っているつもりでも、握らされているのは生活のペースであり、体力の限界であり、犬たちの小さな哲学である。
夕方のニュースは「犬の散歩拒否」と言っていたが、我が家の場合、それは拒否ではない。ココは見えない何かから家族を守り、リンは見えない獲物を追いかけている。
つまり今日も、パパだけが何も見えていないのである。
🐶 ココのアンサー:🈁通りたくない👻
🐩 リンのアンサー:なんで帰るん?🏡
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