うどんスープが消えた夜🙂↕️|おでんの素で作ったカレーうどん🍜
中途半端に余ったカレーほど、家の中で立場に困る存在はない。そのまま食べるには少ない。鍋の底で「わし、まだやれますけど」と見上げている。ならばカレーうどんである。これは家庭料理界における敗者復活戦であり、前日のカレーが急に和食の顔をし始めるときでもある。
ところが、いざ作ろうとしたところで、うどんスープの素がない。気分はすでにカレーうどんの改札を通過している。今さら白米駅には戻れない。そこで妻にLINEを送った。「帰りにうどんスープの素買ってきて」。返信は「わかった」。このときは、すべての世界線が正しく動いているように見えた。

妻が帰宅した。マイバッグからは食材が次々と出てくる。まるで市場を攻略してきた勇者である。しかし、どれだけ袋を覗いても、肝心のうどんスープの素が見当たらない。
代わりに出てきたのは、おでんの素だった。台所に静かな風が吹いた。「おでんの素と間違えとらん?」と聞くと、妻は「あっ、間違えた」と笑った。かわいい顔をしているが、私が同じことをしたら、たぶん鍋ごと審議入りである。

目の前には余ったカレー、冷凍うどん、そして予定外のおでんの素がある。台所は急に料理番組ではなく、発明家の実験室になった。カレーとうどんスープが親戚なら、おでんの素も遠い親戚くらいではある。
正月に会ったことはないが、法事には来てそうな距離感だ。和風だしという同じ苗字を名乗っている以上、まったくの他人ではない。

鍋に水を足し、おでんの素を入れる。粉が溶けた瞬間、湯気の向こうから立ち上がった匂いは、思ったより堂々とカレーうどんだった。もっと「私はおでんですけど?」みたいな顔をしてくると思っていたのに、すんなりカレー側に寝返ったのである。味見をすると、薄いどころか出汁の押しが強い。いつものカレーうどんより演歌寄りだ。若手俳優だと思っていたら、北島三郎の楽屋から出てきた感じである。
うどんを投入し、器によそう。妻は一口食べて「これはこれでアリ」と言った。勝訴である。おでんの素と言わなければ、カレーうどんだった。むしろ出汁感が強く、貫禄まである。しかも、おでんの素は一袋でたっぷり作れる。インフレの時代に、量まで増えるとはありがたい。間違いから生まれたのに、なぜか家計に寄り添う顔をしている。
料理とは正解を作る競技ではなく、食卓に着地させる競技なのかもしれない。うどんスープの素を買い忘れたのではない。おでんの素が、カレーうどん界へ転職しただけである。
ただし、次に私がおつかいを間違えたときも、この理論が採用されるかはわからない。家庭内裁判は、だいたい判例より気分で動く。

⬅️ 前話はこちら:お餅が美味い😋
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️
