完璧主義より危うい「70点でいい」という呪い🪄|初心者に優しくフリした謎理論💭
「完璧主義は疲れるので、とりあえず70点を目指しましょう」という言葉を見るたびに、私は採点表のありかを探し始める。70点と言われても、その答案用紙を一度も見たことがない。
肩に力が入りすぎると文章も人生もラーメンの麺みたいに伸びてしまう。だから、ほどほどで出そうって話だろうけど、問題は、なぜそこで「70点」という数字が出てくるのか。採点基準はどこにあるのだ。職員室か。金庫か。校長室の奥か。
たとえば「毎日1000文字書くのがしんどいなら、今日は700文字で投稿してみよう」という話ならわかる。1000文字という満点があって、その七割だから70点。これはまだ算数として成立している。
しかし、noteの記事や日々の暮らしに「70点でいい」と言われても、答案用紙を配られていない。問題文もない。配点もない。なのに「70点を目指しましょう」と言われるのは、もはや試験ではなく、霧の中でボウリングをしているようなものである。ピンが倒れた音が聞こえて、点数は誰かの気分で決まるのか?
特に「初心者こそ70点の記事を書きましょう」みたいな文章を見ると、笑うしかない。初心者が一番わからないのは、自分の記事が何点なのかである。
書き終えたときの感覚など、たいてい「できた」か「もう無理」か「寝たい」なのに「これは70点くらいだな」と冷静に判定できる人は、初心者ではなく、もう採点側の妖怪である。赤ペンを耳に挟み、夜な夜なおすすめ欄を徘徊しているタイプの妖怪だ。

そもそも、正解のないものに点数をつける行為そのものが、かなり完璧主義に近い。「今日は70点くらい楽しめた」「昨日の自分は42点だった」などと採点し始めたら、人生が通信簿になってしまう。朝起きたときから「起床態度、やや減点」と教師が現れ、洗濯物を畳み忘れたら「生活意欲に課題あり」と書かれる。そんな毎日はしんどい。
私はただ普通に暮らしたいだけなのに、学期末面談が始まってしまう。
だから私は、70点を目指すより「今日は提出できた」でいいと思っている。文章も生活も、まずは机の上に置けたら充分である。満点かどうかは知らない。そもそも答案用紙ではない。書いて、出して、モヤモヤして、そのモヤモヤをまた文章にする。
そうやって赤ペンを振り回していたら、いつの間にか気分が少し軽くなっていた。これこそウェルビーイングな時間である。いや、違うかもしれないが、少なくとも、採点不能ではある。

↩️ 前話はこちら:これはウェルビーイングな時間?
