クリスマスにチキン食べれて幸せ🍗これはウェルビーイングな時間?
ウェルビーイングという言葉を耳にする機会が増えた?知らん。初耳や。横文字たちは、いつも急にやってくる。サステナブルをようやく「長持ちするっぽいやつ」として受け入れたばかりなのに、今度はウェルビーイングである。私の都合などお構いなしに、意識の高そうな顔をして玄関先に立っている。
調べてみると、「より良く生きる」とか「幸せが持続している状態」と出てくる。なるほど、わからんが、言いたいことはなんとなくわかる。きっと、朝に白湯を飲み、観葉植物に話しかけ、ヨガマットの上で自分の呼吸と仲良くなれる人たちの領域である。
少なくとも、クリスマスの夜に半額シールを狙ってスーパーへ向かう中年男性が、堂々と口にしてよい言葉ではない。
その日はクリスマスだった。街は当然のように浮かれていた。イルミネーションは、まるで「本日だけは全員幸せであること」と行政から通達でも出ているかのように光っている。
そんな中、私は夜の七時を待っていた。目的はひとつ。売れ残ったチキンとケーキに、ありがたい半額シールが貼られる瞬間を見届けるためである。サンタクロースが煙突から入ってくる家庭もあるだろうが、我が家のサンタは値引きシールを貼る店員さんである。
ところが、玄関を開けた瞬間、外は雨だった。私のクリスマス作戦は、そこで一度崩壊した。遠征予定だったスーパーは断念し、徒歩で行ける駅前のスーパーへ向かうことにした。だが、そこは最大でも三割引きまでしか許さない、値引き界の堅物みたいな店である。しかも到着した頃には惣菜コーナーはほぼ空っぽだった。チキンの残骸すらない。まるで村が襲撃された後のファンタジー世界である。私だけが、剣も魔法も持たずに遅れて到着した村人Aだった。

仕方なく帰り道、駅前の吉野家に寄った。そこにはチキンレッグとから揚げのセットが、十パーセント引きで鎮座していた。十パーセント。半額を夢見た者にとっては、あまりに現実的な数字である。しかし、人生とはだいたいそういうものだ。理想は半額で、現実は十パーセント引き。私はその小さな妥協を袋に詰めてもらい、家に帰った。
テーブルにチキンとから揚げを並べると、犬たちが静かに集まってきた。彼らはクリスマスもウェルビーイングも知らない。ただ、目の前にうまそうな匂いがあることだけを信じている。その迷いのなさが、うらやましかった。
私は吉野家のから揚げを口に入れた。普通にうまい。ものすごく特別なわけではない。奇跡の味でもない。ただ、雨に濡れたあと、何もかも思い通りにいかなかった夜に食べるから揚げとして、かなり正しかった。

もしかして、これはウェルビーイングな時間なのだろうか。たぶん、違う気がする。少なくともパンフレットに載るような顔ではない。テーブルの上には半額ではないチキンがあり、足元にはそれを狙う犬がいて、私はクリスマスに吉野家のから揚げを食べている。だが、幸せではあった。

結局、ウェルビーイングとは何なのか、今もよくわかっていない。だが、もしそれが「人生をきれいに整えること」ではなく「予定が崩れても、十パーセント引きのから揚げで機嫌を少し戻せること」なら、私にもわかる。
クリスマスの夜、半額チキンを逃した私は、犬たちに見守られながら吉野家のから揚げを食べた。これをウェルビーイングと呼んでいいのかは知らない。ただ、その瞬間の私は、少なくともアンハッピーではなかった。いや、犬たちからすれば、チキンをもらえなかった時点で、我が家のウェルビーイングは完全に崩壊していた。
