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「元を取りたい」は貧乏性ではなかった?👛|親と子で違う満足のかたち🏰

娘が小さい頃、テーマパーク遠征は、もはや家族旅行ではなく討伐クエストだった。沖縄から大阪まで飛び、開園前のゲートに並び、開いた瞬間に親の理性を置き去りにして歩き出す。走ってはいけないが、心は全力疾走である。入場料、飛行機代、宿泊費。頭の中では電卓がカチカチ鳴り、私はパパというより、娘の満足度を最大化する会計係になっていた。

「せっかく来たんだから」は、親にとって魔法の呪文である。待ち時間も思い出、疲労も記念品、閉園まで遊べば勝ち。アトラクションを一つでも多く回るたびに、私は見えないスタンプカードを埋めていた。あれは子どものためだったのか、元を取ろうとする貧乏性だったのか。愛情とコスパは、親になると同じ財布に入ってしまう。

ところが、娘はいつの間にか別のルールで遊ぶようになっていた。クリスマス明け、久しぶりに帰ってきたと思ったら、玄関に知らない靴がある。一瞬「彼氏か」と警報を鳴らしたが、靴が小さい。友達らしい。お泊まり会のあと、そのまま制服ディズニーへ行くという。私は朝から出陣するものだと思っていた。

しかし翌日、昼になっても娘たちは寝ていた。私の中の開園ダッシュおじさんが、布団の前で膝から崩れ落ちる。結局、家を出たのは十四時ごろ。帰ってきたのは二十時ごろ。アトラクションは二、三個。あとは写真を撮って、チュロスを食べて、制服姿で笑っていたらしい。それで満足だという。パパは「割り算がおかしい」と震えていた。

考えてみれば、彼女たちはテーマパークを攻略しに行っているわけではない。世界を救うRPGではなく、ログインボーナスを受け取りに行く感覚である。親世代のイベントは年に数回の大冒険だったから、レベル上げもボス戦も宝箱回収も一日で済ませようとした。娘世代のイベントは日常の延長にある。今日は写真が撮れた。チュロスがおいしかった。友達と笑えたなら、そこでログアウトしていいのである。

私はずっと、満足とは長くいることだと思っていた。だが娘たちは、ちょうどいいところで帰ってくる。疲れ切る前に終わる。機嫌が悪くなる前に切り上げる。メイクも体力も人間関係も、全部コストに入れている。大人ぶっているようで、賢いのかもしれない。

昔の私は閉園まで遊ばせることで、親の責任を果たした気になっていた。今の娘は、六時間で自分の満足をちゃんと持って帰ってくる。親子で違うのは、楽しみ方ではなく、冒険の終わらせ方なのだろう。私がまだラスボスを探している横で、娘はチュロスを食べ終え、「今日はクリア」と言って帰ってきた。

⬅️ 前話はこちら:70点の呪い🪄
↩️ シリーズ序章はこちら:これはウェルビーイングな時間

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