扉の開けっぱなしはだらしない?いや、心が広いだけかもしれん
扉を開けたら、開けっぱなしである。引き出しも閉めない。鍵を閉めたかどうかも記憶から消えている。
こう書くと、ただのだらしない人間に見えるが、物事は角度を変えると都合よく見えるものだ。
もしかしたら私は、扉だけでなく心まで開けっぱなしなのかもしれん。
人間関係も、わりとそんな感じである。来るもの拒まず、去るもの追わず。
入りたい人は入ればいいし、出たい人は出ればいい。無理に引き止めることも、管理することもない。結果、いつの間にか自然消滅した恋愛も数知れず。悲しい話のようにも聞こえるが、本人はそこまで深刻に受け止めていない。風通しが良すぎて、感情までどこかへ抜けていったのだろう。
失敗についても同じである。自分のミスも、他人のミスも、そこまで大事件には感じない。
完璧を目指していないので、失敗は予定内、ミスは日常イベントくらいの扱いになる。「なんでできなかったの」と責めるより、「まあ次やな」で終わらせたほうが楽なのだ。
怒るのも体力がいるし、怒られる側も疲れる。そんなことにエネルギーを使うくらいなら、コーヒーでも飲んだほうがいい。
一方、世の中には扉をきっちり閉める人たちがいる。確認、管理、把握、安心第一。うちの妻も、そちら側のタイプである。娘にGPSをつけようと本気で考えていたこともあるし、行動も発言も細かい。
ミスをすれば「なんで?」「前も言ったよね?」がセットで飛んでくる。ただ最近思うのだ。あれは支配したいのではなく、安心したいだけなのかもしれん。心配と束縛は紙一重だ。
扉を開けている人は、管理しない代わりに信じている。扉を閉める人は、信じたいから管理する。
私は閉めるのが苦手で、管理もしない。その代わり期待もしない。だから娘にも怒ることがない。期待を閉じ込めるから、裏切られた時に腹が立つ。そう考えると、開けっぱなしにも理屈はある。
もっとも、家族から見れば、そんな理屈よりまず引き出しを閉めろという話である。心が広いのは結構だが、頭をぶつける扉まで広げておく必要はない。
……知らんけど(-ᴗ- )フフフ…✨

🔗 前章はこちら:開けたら開けっぱなし🗃️
🌀 シリーズ序章:ADHD?いや、ただのナマケモノかもしれん🦥
