貧乏ゆすりする人が気になるのはなぜ?カフェの端で揺れ続けた足☕️
カフェに行くと、たまに小さな地震を起こしている人がいる。テーブルの向こうで、片足がやたらと勤勉に上下しているのだ。コーヒーは静かに湯気を立て、店内にはゆるい音楽が流れ、隣の人は本を読んでいる。なのに視界の端だけ、震度二くらいで揺れ続けている。あれが気になりだすと、もう終わりである。本文を読んでいたはずなのに、目の端にいる足首のほうが主人公になってくる。
しかも、そういう人はだいたいイヤホンをしている。完全に外界との国交を断絶している顔だ。「その足、そろそろ終電ですか」と心の中で声をかけても、当然届かない。彼はもうカフェにはいない。音楽か動画かゲームか知らないが、自分だけの地下シェルターにこもり、足だけを地上に残している。
あの貧乏ゆすりは避難訓練なのではないか。焦り、不安、退屈、眠気、そういう得体の知れないものを、片足でせっせと排水している。
本人にとっては、あれが一番ましな姿勢なのかもしれない。動かずにはいられない心を、足にだけ担当させている。会社で言えば、全社員が不満を抱えている中、ひとりだけ残業して処理している総務部みたいなものだ。足の総務部、かなりブラックである。
とはいえ、周囲はたまったものではない。本人の安心が、私の視界に小刻みに漏れてくる。音はしないのに、うるさい。ぶつかってもいないのに、落ち着かない。快適さというのは、思ったより密閉されていないらしい。誰かの「これで落ち着く」が、別の誰かの「それで落ち着かん」になる。ウェルビーイングとは、優しい言葉の顔をして、案外めんどくさい。
そう思いながら、私はコーヒーを飲み、例の足をできるだけ見ないようにした。あの人は足を揺らして世界と折り合いをつけている。そう自分に言い聞かせながら、私は無意識にあごのヒゲを抜いていた。

⬅️ 前話はこちら:ガンダムの世界🌏
↩️ シリーズ序章はこちら:これはウェルビーイングな時間?
