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記憶堂の神は呪われ花嫁を恋慕う【第3話】

『紫水様のおそばに……いたい、です』

 思いを伝えたのは何年ぶりだろうか。果たしてこの声が紫水様に届いているのだろうか。
 その不安を、紫水はいとも簡単に解いていく。

「承知した」

 紫水は柔和な笑みを溢し、鞠花の髪を優しく撫でた。
 それも一瞬で、すぐそばまで来た母に蔑むように言うのだ。

「四辻旦重だんじゅうはどこにいる」
「ど、どちら様で……」
「私は院瀬見本家の当主、紫水だ」
「え、紫水……様?」

 母の顔は強張った。それだけ紫水の悪い噂で洗脳されている。
 取り乱す母は言葉を続けた。

「ま、まさか鞠花が紫水様にご無礼を……」
「彼女はそのような女性ではない」
「ではどうして……椿の見合い相手は分家の治慶はるよし様では」
「分家のことは分家に任せてある。四辻家の主と早急にお話させていただきたいのだが、どちらにおいでか」

 低く轟くような紫水の声に、玄関口の玉砂利が生を成したように跳ね上がる。体がズシンと重たくなるような感覚は息苦しさを覚えるほど。
 足元のウサギがよろめいたのがその証拠だ。
 その際、紫水の紫紺色の瞳が金色に光ったのを鞠花は見逃さなかった。
 恐れ慄く母はその場で尻もちをつく。

「ひぃっ、お、奥の居間に……」
「なんの騒ぎだ」

 物々しい雰囲気を感じ取ったのか、お尋ね人は自ら足を運ばせてきた。
 紫水はにこりと微笑む。

「お初にお目にかかります。紫水、と言えばお分かりいただけますね」
「……紫水様!」

 鞠花の前では傲慢な態度を取る父・旦重は迷うことなく地に頭をつけるのだ。その隣で母も頭を下げる。
 その様子を鞠花は紫水の背後で静かに見守り、ウサギもその肩にちょんと乗る。

「頭をおあげください」
「し、紫水様に頭をあげるなど」
「そうですか。ではそのまま耳だけお借りするとしよう」

 すると紫水は鞠花の腰をふわりと抱き寄せる。
 不思議に思う鞠花に紫水は優しく微笑むのだ。そして鋭い眼差しを両親に向ける。

「この度、四辻鞠花との御縁を買いにきた」「「…………はい?」」

 突拍子もない発言に両親はようやく頭をあげた。
 震えながら言うのは旦重だ。

「紫水様が直々に足を運ばれたうえに、こ、こんな子を買うなど」
「こんな子? 口を謹んでもらいたい」
「……っ!」

 殺意に満ちた瞳を紫水に向けられていた旦重は、魔法をかけられたように唇を縫う。
 怯える両親の前で紫水は貼りつけたような笑みを向けた。

「言葉の通りですよ」

 紫水は右手を天高く掲げる。

「――この御縁、買い取らせていただく」

 強い声が屋敷中に響き渡る。
 するとなぜか突然、天から羽根のように札が降ってきた。一度は天を覆い隠すくらい降り注いでいたそれはあっという間に地面を覆い尽くす。
 まさに青天の霹靂。陰で見ていた椿も駆けてきて、両親と共にそれを拾い集めるのだ。晴れ着が汚れることも厭わない家族に鞠花は落胆することもない。
 紫水は金を拾う両親の前で跪く。

「一度しか言わない。よく聞け」
「………っ」
「金輪際、鞠花に関わるな。もし危害を加えるようなことがあれば、どんなこをしてででも四辻家を滅ぼす。いいな」

 体感したことのないような圧が三人の体の自由を奪う。目の前に散った紙切れさえ拾えない指先は震え、頭をあげることすらできない。
 そんな中、なぜかウサギだけは軽快に丸い尾を振り紫水のマネなのか落ち葉を札に見立てて舞わせている。その姿に紫水はため息を吐いた。

「アリス、イリス。帰る支度を」
「「あい!!」」

 命を受けた二匹のウサギは小さな手で敬礼する。そして次の瞬間、鞠花の周囲は暖かな光で包まれ両親たちの姿は見えなくなった。

「結界成功でし」
「一時凌ぎでしけどね」

 へへん、とふわふわの胸を張るウサギたち。突拍子もない行動に鞠花は瞬きを繰り返した。いつも自分の周りで戯れていたウサギが喋ったのだから無理もない。

『……っ!』

 すると鞠花の顔に前触れもなく何かが貼られた。慌てふためく鞠花にアリスが言う。

「ご安心ください。これは和紙の面でし」
『お面……あ、さっき旦那様がつけていらした』
「はい、姿隠しで〈嫁〉と書いてあるでし」
「なんせ僕たちの結界はそこの門までしか……」
『ねぇ、あなたたちも私の声が聞こえるの?』

 鞠花の心の声を受けアリスとイリスは小さな両手で耳を隠した。紫水の力で和紙の面越しでも二匹の様子が見え、鞠花は愛らしく微笑む。

『もっと早くお話したかったな』
「僕たちが怖くないでしか?」
『私が心細い時にいつも一緒にいてくれた友達だもの』
「「ともだちっ!」」

 パァっとアーモンドアイを輝かせる姿につられ鞠花も笑みを溢した。
 するとアリスとイリスは中央に穴の空いた一枚の銅貨を鞠花に手渡す。

『お、お金はいただけませんっ』
「鞠花しゃんにならいくらでもあげられるでしけど、そういうことではないでし」
『…………?』
「中を覗いてみるでし」

 言われるがままに銅貨の穴を覗き込むと、鞠花の瞳は万華鏡のようにキラキラと輝き始めた。
 その向こうに見えるのは今は亡き祖父、儀市の姿。場所は四辻家の敷地内にある和風庭園。西郷柄の着物を着た儀市は膝を屈めアリスとイリスに微笑みかけている。生前、鞠花に微笑みかけていたように。

『おじいさまだわ。でもどうして……?』
「この銅貨には御縁が詰まっているでし」
『御縁?』
「はいでし。儀市しゃまは怪我をしていた僕たちを助けてくれた命の恩人で“友達”なんでし」
『そうだったの』
「この銅貨は僕たちの大切な記憶なんでし」
「だから儀市しゃまが大切に思っている鞠花しゃまも、僕たちは大切に思っているでし」

 アリスとイリスの純粋な気持ちに触れ、鞠花の心はぽっと温かくなる。涙で揺らぎ始める視界。
 目尻に溜まる涙を指先で拭う鞠花の頭に、紫水の大きな手がふわりと乗せられた。

「大切な記憶はいずれ還ってくるものだよ」
『そう、だといいのですが』

 未来に悲嘆し俯く鞠花の前で紫水は跪き、その小さな左手を取った。

「鞠花との御縁は俺が頂戴したが異論はないか?」

 憂いを帯びた紫水の美しさに鞠花は息を呑む。
 なんとなくこの瞳に見覚えはあるが思い出せない。不安よりも差し伸べられた温もりを信じたいと、鞠花は「はい」と小さく溢す。

「承知した。今この瞬間から鞠花は紫水の花嫁とする」

 言葉の直後、紫水は鞠花の左薬指に触れるだけの、キスをした。
 するとどうだろう。紫水に口づけされた薬指に花の紋様が浮かび上がってくる。

「これは紫水の嫁である印だ」
『……印?』
「重ね重ね申し訳ないが、俺は水雫町の土地神で記憶堂を営んでいる」
『それはつまり……人ではないということですか?』「人の姿を借りた神というべきか。アリスとイリスは従業員のあやかしになるかな」

 情報を処理しきれず鞠花は首を傾げた。
 本家の素性があがってこない理由はこれなのだと納得するしかない。

「記憶堂にいれば、鞠花に呪いをかけたものにも辿り着くだろう」
『その記憶堂というのは、どんなことをなさる場所なのですか?』
「表向きは湯宿でね。支払いで頂戴した銅貨の御縁を該当の者に御返しする、というのが本業だよ」

 返却先のない銅貨は記憶堂に保管されていると紫水は続ける。
 鞠花も幾度か銅貨の穴を覗いたこともあったけれど、向こうに代わり映えのない景色が見えるだけだった。
 記憶堂では特別な力が働き、銅貨に御縁という名の記憶が収められているのだろう。
 大切な記憶はいずれ還ってくる。それは記憶堂を営んでいるがゆえの言葉なのだと、鞠花は汲んだ。
 これもなにかの御縁。呪いを解いてみせるという強い意思を瞳に秘める花嫁の姿を、紫水は優しい瞳で見つめ手を差し出した。

「さあ帰ろうか。我が家へ」
『はい、旦那様』

 鞠花はゆっくりと紫水の手を取った。


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