記憶堂の神は呪われ花嫁を恋慕う【第1話】
❚❙ あらすじ
幼少期の水難事故で声と記憶を失った鞠花。
周囲からは呪いだと謂われのない非難を浴び、存外な扱いを受けて育ってきた。唯一の味方だった祖父の儀市も他界し、孤独を憂う鞠花の前に「そなた、呪われているな」と、土地神の紫水が現れた。
身を粉にする鞠花を案じた紫水は唐突に婚約を申し入れる。戸惑う鞠花だが、儀市と知り合いだという紫水の人柄に惹かれ心が揺らいでいく。
紫水は記憶を保管する“記憶堂”を営んでいて、そこにいれば鞠花に呪いをかけた人物を見つけることができると言うのだ。
呪いを解くため鞠花は紫水に嫁ぎ、記憶堂で働くことに。
旦那様とあやかしのラブファンタジー。
❚❙ 本文
――あなたの御縁、買い取ります。ご連絡はこちらまで。
二つ折りにされた用紙にはいつも同じ文章が書かれている。差出人は不明。その達筆な文字からは人柄の良さが感じられるけれど、三年が過ぎた今もどこの誰かわからないままだ。
『また来てる』
四辻鞠花は眉をひそめ、自分宛てのそれを凝視する。
祖父の儀一が亡くなって三年。不思議なことにそれは月命日に必ず届く。
ご連絡はこちらまでと言われても、差出人の名前もなければ電話番号の記載もない。連絡の取りようがない鞠花は首を傾げた。
『もしかして何かの暗号が隠されてるとか?』
しかし光に透かしてみても文字は浮かび上がらない。
そもそもの問題点は、この文章が鞠花にしか読めないということにある。他の人には真っ白な用紙にしか見えず、今日に至るまで鞠花以外に読めた人はいない。
その送り主が直々に会いにくることになろうとは、この時の鞠花は露ほどにも思わなかった。
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薄桃色の桜が散り、葉桜が庭を彩り始めた五月。
窓から入る風もあたたかくなってきた。
『今日はより一層お天気ね』
右手でひさしを作り竹箒を脇に抱えながら、鞠花は雲ひとつない青空を見上げる。
陽の光を浴び、寄り添いながら飛んでいるニ羽のスズメ。それを追う鞠花の瞳は凪いでいた。
『私も、ここではないどこかへ行ってみたい……』
吐いた言葉は音にならずに消えていく。
傷だらけの小さな手で竹箒を握り、枯れ葉を掃く鞠花を気に留める存在は誰ひとりとしていない。
唯一の話し相手だった祖父の儀市が他界してから孤独の淵にいる。
そんな鞠花にも小さな来訪者がいた。
『あなたたちはずっと私の友達でいてくれる?』
鞠花は足元で戯れる二羽のウサギに、心の中でそう言った。
するとウサギはそれに応えるように鞠花の両肩にちょんと乗る。
手のひらサイズのウサギは儀市が亡くなってから現れるようになったのだけれど、なぜか鞠花のそばを離れない。もふもふの毛はほんのりラテ色で、耳の色は二羽で異なっている。一羽の右耳は淡い水色、もう一羽の左耳は淡いピンク色だ。
鞠花はウサギたちを指先で優しく撫でながら微笑む。
『双子みたい。いつも一緒で仲良しなのね……少し羨ましい』
瞳から光が消えていく。
そこへ鞠花の母が声を荒らげてやってきた。
「鞠花、鞠花どこにいるの! 返事をなさい!」
それに続く言葉を察する鞠花は身構えた。
竹箒を持ち軒先に佇む姿を見つけた母は、軽蔑の眼差しを向ける。
「なんだそこにいたの。返事をなさい」
鞠花は竹箒の柄をきゅっと握った。
「ああそうだったわ。あなた、声が出ないんだった」
哀れみというよりも嘲笑うように袖口を口元にあてる母。その少し離れたところで着飾った双子の妹・椿も母と同様に嘲笑うのだ。
椿は人形のように美しい顔立ちをしていて、絹のような亜麻色の髪は陽にあたるときらきらする。
その姿が眩しく見えた鞠花は、竹箒を持ったまま深々と頭を下げる。
すると母は再び声を荒げた。
「今日は人目に立つなとあれほど言ったでしょ」『申し訳ありません』
一秒も待たずに謝罪をするけれど、その心の声は母にでさえ聞こえない。
「なんとか言ったらどうなの!」
乱暴な言葉と共に、母は柄杓で掬った水を鞠花にかけた。
鞠花の肩に乗っていたウサギは驚いて鞠花の足元へ。濡れた体をぷるぷると払うウサギの姿を、鞠花は頭を下げたまま見つめる。
「ほんとに使えない子ね」
鞠花はより一層頭を下げる。
「もういいわ。早くそこから消えて。いいわね」
摺り足で屋敷を抜けていく母の背を見て、寂しそうな表情を浮かべた。
黒地に紅い椿が刺繍された二重太鼓結びの帯は祝いの意味がある。今日は椿の誕生日であり、水雫町で筆頭の地位にある院瀬見家の御子息との見合いの日だ。といっても御相手は分家の者。
そのため母と同様に椿も祝い着となっている。薄桃色の着物にふくら雀風の金糸帯と華やかな紅色の帯締め。それに対し、鞠花は麻で繕われたつぎはぎだらけの着物を纏う。艶のない鞠花の髪には貧がないと、華やか簪すら買い与えることすらしない。
鞠花も誕生日なのだけれど、祝われる立場でないことは承知の上。
ため息だけが鞠花の唇をすり抜ける。
再び鞠花の肩に乗ったウサギは、案ずるように薄紅色の三つ編みに触れた。
『大丈夫よ』
ウサギに微笑んだあと、凪いだ瞳は賑わう街へ向けられる。
軍需品の部品を製造し財を成している四辻家。街を一望できる高台の地に屋敷をかまえ、この水雫町では名を馳せている。
『どんな乗り心地なのかしら』
凪いだ鞠花の瞳は眼下に見える列車に視線を移した。
畑の脇には駅と駅を繋ぐ帝釈人車鉄道が通り、ひとりの押男が六人乗りの人車を運行している。終着駅の柴又帝釈天には毎日多くの参詣客が訪れ賑わいを見せているが、鞠花は一度も赴いたことがない。実際には赴いたことはあるのかもしれないけれど、今の鞠花はその記憶を失くしている。
瓦葺き屋根の長屋門を背に、鞠花は虚ろげに空を見上げた。空遠くに浮かぶのは掠れた白い雲。
雲、と言おうと開けた唇から音は出なかった。どんなに喉を鳴らそうとしても鞠花には声がない。
正確に言うと、ある日を境に声が出なくなったのだ。
――あれは鞠花がまだ八つの頃。今より九年も前のことである。
言い出しっぺは椿だった。川の向こう岸まで渡ってみようと、荒れた川に足を踏み入れる椿。鞠花はそれを引き留めようと川に飛び込み、気づいた時には椿とともに川岸へ跳ね上げられていた。
一命を取り留めたものの、鞠花の声だけが消失していて……。
一時的なものだと言われていたけれど、一向に声が戻る気配もない。
両親に怒られることを恐れた椿は、鞠花が川を渡ろうと言ったのだと嘘をつく。死人に口なしではないけれど、それを訂正する術が鞠花にはなかった。
なぜなら鞠花が失ったのは“声”だけではなかったのだから。
不幸なことに事故以前の記憶が失われ、自分が何者なのかさえもわからなくなっていた。
いつからか呪われたのだと、謂れのない非難を浴びるようになって九年が経つ。
十七になった今も、鞠花に声は戻っていない。自分が何者なのかという記憶、も。
−−チリンチリン
瞼を閉じる鞠花の耳に心地の良い鈴の音が届く。振り向くと、長屋門の前に紫紺色の着物を着た男が立っていた。
男は袖口にかけて薄紅色にグラデーションがかった羽織りを纏い、なぜか黒字で『神』と書かれた和紙を面のようにして顔に貼りつけている。
(……神、樣?)
鞠花が反射的に右足を一歩後退させると、男は異彩を放ちながら互いの距離を縮めてきた。
「あえてそなたに問う、四辻家はここか?」
和紙の面が鞠花の眼前で揺れる。
しかし鞠花はグッと口を噤んだ。
『お話できない。さきほどお母様に叱られたばかりなのに』
頑なに視線を合わさない鞠花に男は優しい口調で言う。
「案ずるな。今の俺はそなたにしか視えない」
男の言葉を信じようと思えたのは、ウサギが男の足元で戯れていたからだ。
鞠花は慌てて帯締めに挟んであるメモ用紙と筆を取り出した。
これは攻撃のためのものではい。鞠花には欠かせない対話の術。
それに文字を綴ろうとした鞠花に、男はすらりとした長い指を揃えて右手掌をかざす。
「必要ない。いつも通りに話せばよい」
鞠花は酷く動揺した。声を失ってからというもの話し方すら忘れてしまっている。
話し相手といえる祖父の儀市は他界。いつも通りと言われても、今の鞠花にはそれがないのだ。
困り果てる鞠花に男はため息を吐く。
「そなたの名は鞠花だな」
紫紺色の瞳に見据えられた鞠花は即答できずにいた。
あの日からずっと自分が何者でどのように生きてきたのか思い出せずにいる。思い出そうとすればするほど白くて丸い靄がかかるのだ。
今持ち得ている情報はすべて周囲から得たもの。自分が鞠花という名であることも、双子の妹が椿だということも、今の四辻家には愛されていないことも全て。
周囲に合わせ相槌を打っていたけれど、それも限界で諦めの境地に達している。
『どうして私が鞠花って……』
「さきほどそう呼ばれていただろう」
『えっ!? 私の心の声が聞こえて』
鞠花は慌てて両手で口元を隠した。声は出ないのだけれど。
愛らしい行動に男は口元をふっと弛める。
「聞こえているよ」
正気の返答なのだろうか。
顔に貼りつけてある和紙のせいで鞠花は男の表情を汲み取ることができない。
疑いの眼差しを向けられながらも紫水は言葉を続けた。
「俺は儀市の命でここへ来た」
『おじいさまの?』
首を傾げる鞠花に、男は見覚えのある封を手渡すのだ。
宛名は四辻鞠花。封を切るといつもと変わり映えのしない用紙が収めてある。
儀市の月命日に必ず届くそれを怪しむ鞠花に紫水は言う。
「この三年、一度も連絡がなかったので迎えに来た」
鞠花は再び筆を握ろうとしたけれど、その手を男が止める。
「必要ない。鞠花の声は俺には届いている」
『ほんとうに私の心の声が聞こえているのですか?』
「そうだ。なぜ連絡をしてこなかった」
すらすらと進んでいく会話。不思議な感覚を覚えながらも、鞠花は続けた。
『連絡先がどこにも書いていなかったので……』
「そうか。水文を知らないのか」
『水文?』
「文の種類というのかな。それを水に浸けてみるとよい」
紫水は白く細い指先で桶を指差した。鞠花は不思議に思いながらも桶を持ち、汲んだばかりの水にそれを浸ける。
すると、水面に墨汁を垂らしたかのようにゆらゆらと文字が浮かび上がってきた。
【院瀬見紫水を尋ねよ】
鞠花はハッとする。
紫水は本家の現当主の名だ。本家の中でも紫水の顔を見た者はごく僅か。冷酷な男で、無礼を働く者の首に躊躇いもなく刃を向けたという噂もある。
噂だけでは紫水の性格は計り知れないけれど、この男が紫水とイコールならば今までの無礼な態度に手をあげているはず。
凪いでいたはずの鞠花の瞳が波を打ち始める。
紙を顔に貼りつけるくらいなのだから、よほど奇特な趣向を持ち合わせているのだろうか。
椿の見合い相手は分家と聞かされていたけれど、まさか間違いで彼がほんとうの見合い相手なのか……。
次から次へと繋がりのない疑問を浮かばせる鞠花はますます混乱してきた。
『お、お言葉ですが宛名をお間違えかと思います』「間違えてはいないよ」
先ほどとは異なる優しい口調に、鞠花の心はなぜか温かくなる。
「それは力のある者しか視えないようにしてある」
すると男はようやく、顔に貼りつけてあった和紙を剥がした。
水のよう透き通った肌。切れ長の瞳は紫紺色。腰元まである銀糸のように輝いた髪は絹のように美しい。
『うわぁ、綺麗な人』
魅力される鞠花に紫水は優しく微笑んだ。
「申し遅れたが、俺は院瀬見の本家当主・紫水だ」
途端に鞠花の背筋は伸びる。
そんな鞠花に紫水は腰を屈めて視線を合わせるのだ。しばらく瞳を覗いた後「やはり」と何かを勘ぐったような一言を放ち、酷なことを鞠花に告げる。
「−−そなた、呪われているな」
▽次話▽
