好きと暮らすは別。でも老後の孤独はまた別の話
若いころの恋愛は、好きか嫌いかでだいたい何とかなった。
でもアラカンになると、そこに老後問題が勝手に乗っかってくる。
これがなかなか、ややこしい。
もう共同生活の適性は、だいぶ前に死んでいる。
好きな人ができても、一緒に暮らしたいとは思わない。
・・・と思っているのだけど。
アラカンシングルになると、話はそんなに単純じゃない。
ここに、老後問題が割り込んでくる。
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老後のひとり。
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この言葉、なかなかの破壊力がある。
今は元気だからいい。
仕事もしているし、脚立に乗って電球くらいは気合いでどうにかしようとしている。
でも、この先もずっと同じとは限らない。
病気をしたら。
転んだら。
入院したら。
動けなくなったら。
そういうことを考え始めると、
誰かいたほうがいいのかな、という気持ちが、ちょっとだけ出てくる。
好きだから一緒にいたい、ではない。
老後が少し不安だから、誰かいたほうが安心かもしれない。
夢がない。
実に夢がない。
でも、この年齢になると、恋愛にも現実が混ざる。
いや、混ざるというより、現実の比率がだいぶ高い。
ただ問題は、その「誰か」と暮らすことで、今度は別の面倒が発生することだ。
ひとりは不安。
でも、誰かの「飯炊き要員」や「介護要員」になるのは嫌。
ついでに、相手の都合のいい老後パートナーになるのも嫌。
でも、相手だって同じだろう。
そう思うと、この年齢の恋愛は、好きだけでも、打算だけでも動けなくて、余計にややこしい。
ひとりは気楽。
その快適さを知ってしまった人間が、老後が不安だからといって、簡単に誰かとの共同生活に戻れるわけがない。
ひとりで生きる覚悟を固めるのか。
ほどよい距離で誰かと関わるのか。
それとも、いざとなったら人の手を借りる前提で、お金のほうを準備するのか。
この年齢になると、恋愛の話をしているようで、実は生活設計の話になる。
ときめきだけでは無理。
でも、老後の不安だけで同居するのも無理。
寂しいのは嫌。
でも、雑に誰かと暮らすのはもっと嫌。
そんなことを、あれこれ真面目に考えている。
考えているのだけど。
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今のところ、まだ誰とも出会っていない。
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だから現実には、「介護要員」にも「飯炊き要員」にもなっていないし、相手の「老後対策要員」として選ばれる心配も、まだない。
心配する順番が、たぶん少し早い。
でもまあ、アラカンの恋愛って、始まる前からこういうことまで考えてしまう。それがまた、ややこしいのである。
だから今のところ、全部ただのシミュレーションである。
