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【中編小説】金色の猫 第3話(全33話)#創作大賞2024

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読了目安時間:約4分(約2,100字)

 あまりの寒さに目が覚め、震えながら脂臭いダウンコートを首元まで引っ張り上げた。「ううう、さむすぎる」思わず声が出た。ふくらはぎへ触れた爪先は布越しでもわかるほどに冷たい。こわばった足指を動かそうとすると少し痛かった。両脚を抱え込むように身体をまるめ、冷え切った両手を太腿の間へ差し入れる。まるで股に氷を挟んでいるようで、俺は大きく身震いをした。
 ふたたび眠りたかったが難しく、ネットカフェの個室にある壁掛け時計を見た。仄明かりにぼんやりと浮かび上がった白い文字盤は、午前六時二分を示していた。いつもなら五時半には起きているのに、めずらしくゆっくり寝てしまった。近頃はじめた日雇い派遣のアルバイトで疲れていたのだろうか。
 ほとんど毎日通っていたあの公園にも、そのせいで数日間顔を出せていない。きっと猫がお腹を空かせて待っているに違いない。少し日銭が入ったから、煮干しより上等なものを買ってやろう。そう考えると胸の奥からしだいにあたたかくなり、俺はいそいそ支度を整えてネットカフェを出た。

 しかし、いざ外気へ当たってみるとやっぱり寒い。くすんだ雲の向こう側から冬日の淡い光が覗いている。脳味噌に纏わりつくおもくるしい空気を感じながら、白く濁ったオフィス街を歩く。コートのポケットへ両手を突っ込むと、指先へかりかりに乾いた煮干しが触れた。それを大事にポケットへ隠す猫の姿が思い浮かび、こわばった頬がわずかに緩んだ。半ばスキップのようなかたちで最寄りのコンビニへ傾れ込み、奮発してツナ缶を三つほど買った。
 公園の石製ベンチでは、思っていた通り黒ぶちの猫が小さな身体をまるめて俺を待っていた。冷たい石畳の上で寒いだろうとコートを脱いで傍へ置いてやると、それには目もくれずに俺の足元へ擦り寄ってきた。そしてしばらく来なかった俺を責めるように、上目遣いでこちらを見上げて高い声で訴えるように鳴いた。今まで待たせた女が拗ねるようすを何度も目にしてきたが、これほどまでに胸が締め付けられたことがあっただろうか。迷わずその場にしゃがみ、凍てついた両手で小さな猫を不器用にこねくりまわした。
 しばらくすると猫が毛繕いをはじめたので、石畳へ紙皿を二枚並べてそれぞれに水とツナを盛ってやった。よほど腹が減っていたのかはじめて食べるそれが相当うまいのか、猫は思わず声が漏れてしまうほどの勢いでがつがつ食べた。そのようすを横目に見ながら俺はひたすら肩甲骨を回す運動をしていた。今日は上着なしで過ごすにはどうしたって寒すぎる。

✴︎

 俺はぬるくなったおしること豚汁の缶を両手に持ち、爺さんが来るのを待っている。大抵俺と猫が到着して間もなく示し合わせたようにやって来るのだが、昼過ぎだというのに爺さんは現れなかった。今までも何日か爺さんの来ない日はあったが、しばらく日が開いてしまったから少し心配だった。もう俺が来なくなってしまったと思っているかもしれない。なにしろ俺たちにはスマートフォンのような連絡手段がないから、こうして心細いおもいをしながらテリトリー内で待つしか術がない。
 日がかたむきはじめるとといつもどこかへ消えてしまう猫も、今日は何かを察したのかダウンコートの上で大人しく俺と一緒に爺さんを待っていた。そろそろ返して欲しかったが、小さな猫から奪い取るわけにはいかない。缶飲料を持った両手を水平に上げ、ゆったりとワイドスクワットのポーズをとった。おもみでちょうどいい負荷がかかる。脇では足を止めて興味津津にこちらを窺う散歩中の柴犬と、それを早く不審者から遠ざけたい飼い主の攻防が繰り広げられていた。
 柴犬が大きく鳴いたのでそちらを見れば、見慣れた青いキャップが目に入った。両手を肘まで懐に仕舞い寒そうに身をこわばらせたその姿は、いつもよりいっそう年老いて見えた。腹を守るように背中をまるめ、両脚を引き摺りながら少しずつこちらへ歩いて来る。俺はスクワットを止めて直立し、真っ白な空の下をゆっくり進む爺さんをしずかに待った。爺さんの靴底と石畳の擦れるざらついた音が、しだいに鮮明になっていく。
「へへへ、おそくなっちまったな」
「うう、さみい」掠れた息を吐きながらゆっくりと上体を逸らして俺を見上げ、爺さんは赤黒い歯茎を見せた。今にも顔面から剥がれ落ちてしまいそうな弱弱しい笑顔に、心臓のあたりがにわかに重くなった。
「すげえ、待った。俺待つのとか、苦手なのに。さみいし」
 奥歯がかたかたと音を立てるのは、きっと身体が芯から冷えてしまったせいだ。柴犬の声に驚いて逃げたのか、いつの間にか猫の姿は見えなくなっていた。用済みとなったダウンコートを手に取ろうとして、両手の缶に気づく。
「ああ、これ、もう冷めちゃったけど……おしること豚汁どっちがいい」
「しるこ。おまえ、甘いの苦手だろ」
 差し出された掌は細かい皺までびっしり真っ黒な汚れががこびりついている。俺はその薄い掌に、冷たくなったおしるこの缶をそっと乗せた。
「んだよ、知ってんのかよ。今さら変な気つかうなって」
「へへ」そう笑って石段へ腰をかけようとした瞬間、爺さんは大きくバランスを崩して俺の腕を掴んだ。
 未開封の缶が鈍い音を立てて石畳を転がっていく。ふいに両腕で抱き留めたその身体は驚くほど軽く、分厚いコート越しでも痩せた骨の感触がわかった。

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